第4話

奏が佐々等を撒けたのは、既に日が暮れた頃だった。息を切らしながら、電柱に体重を預ける。


「や…やっと……撒けた……」


 こんなに真剣に走ったのはいつ以来だろうか。中学校の体育祭の百メートル走以来ではないだろうか。奏と佐々等の速度が同じだったのか、追いつかれる事は無かったのだが、逆に撒ける事も無かった。

疲労困憊の奏はフラフラと身体を揺らしながら夜道を歩く。この道は人通りも少なく、不気味なくらい静まり返っている。不審者も徘徊しているようだが、奏は特に気にせずに歩いていると、ふと皐の言っていた奇妙な事件を思い出す。


『道端にね、女の人が倒れていたの。通りすがりの人が気付いて助けたみたいなんだけど……その女の人ね、何で自分が倒れていたのか全く覚えていなくて……』


 そんな事件、本当にあったのだろうか。もしかして、女の人の狂言では?と思ってしまうのは奏がひねくれた考えを持っているせいか。

 早く帰ろう。少し早足で歩いた時だった。


「いやっ!やめてっ!」

「!」


 奏はピタリと足を止めた。女性の悲鳴のようだ。叫び声は曲がり角から聞こえた。


「もしかして…!」


 先程まで考えていた事件が過り、奏は疲れているのも忘れ、走って角を曲がった。街灯が無いせいで、暗くて見えない。奏は目を凝らして注意深く見る。


「……!」


 二つの人影があった。ピッタリと寄り添うように影が重なって一見恋人同士で抱き合っているように見える。しかし、背の低い方の女らしき影はじたばたともがいている。明らかに恋人ではないと瞬時に思い、女が男に襲われていると確信した。


「……っ!」


 奏は気付いたら影に向かって走っていた。邪魔なバッグを放り投げる。纏まっていない思考とか、どうでもいい。今はとにかく助けなくては!

こちらに気付いた不審者が顔を上げた。若い男のようだ。暗くてよく見えないが、青白い顔で驚いたように奏を見つめる。

「やめろ!変態ぃぃぃぃ!!」


 奏は勢いよく叫びながら、その顔目掛けて拳を振るった。


「……うっ!?」


 拳は男の頬に見事に入った。もろに殴られた男は受け身を取る事も出来ずにその場に倒れ込む。


「こっち!」

「え…?」


 奏は女の手首を掴んで素早く引き寄せると自分の後ろに回らせた。奏と同じくらいの歳のようだ。他校の制服を着ている。おとなしそうな顔は恐怖と驚きと戸惑いで強ばっていた。奏は男に顔を向けたまま、後ろの女を軽く押した。


「行って!」

「あ……でも……」

「私は大丈夫だから!」


 奏を置いていくのを渋る女に、より一層強い口調で後押しする。


「……あ、ありがとう…!」


 走り去る音が遠ざかった所で、男がやっと身体を起こした。


「…痛い」


 男はポツリと呟いて立ち上がり、首を鳴らして奏を睨む。奏は数歩下がって構え、男を観察する。

 随分と綺麗な顔をした男だ。さらさらの黒髪に、血のように赤く光る眼。歳は、奏と同じくらいか年上くらいだろうか。黒いコートに身を包んでいるせいで、青白い顔が暗闇の中でやけにくっきりと見えた。


「お前、何するの?」


 薄い唇から、低い声が漏れる。その言葉には、怒りというより殺気が混じっていた。


「何って…人助け」


 ここで怯んだら負ける気がして、奏は怯まずに言い返した。


「人助けぇ?」


 男は嘲笑して、すぐに真顔になる。


「何が人助けだ。俺の食事を邪魔しやがって」

「食事…?」


 奏は拳を構えながら、怪訝そうに顔をしかめる。女の人が晩御飯だと言いたいのだろうか。


「……」


 奏が無言で拳を突き出したので、男は慌ててそれを避けた。


「なっ…急に何するんだ!」

「やっぱり女を襲うただの変態だったのね。女が晩御飯だなんて…一体どういう考えをしているの?とりあえず変態は成敗しなくちゃね」

「ち…違う!俺は言葉のあやのつもりで言ったんじゃなくて……!」

「とりあえず死ね」


 今度は回し蹴りを繰り出す。男は両腕でガードしながら叫ぶ。


「だからっ!俺はあの女の血を吸おうとしていたんだって!」


 男の言葉に、奏はピタリと動きを止めた。


「……血を、吸う?」


 何を言っているのだろう、この男は。それじゃあまるで…


「吸血鬼…?」


 だが、確かにそう言われるとそのような風貌だ。黒髪に赤い眼。薄い唇の奥にチラリと見えた鋭い牙。いや、しかしそんな非現実的なものがいるわけない。そんな奏の考えを否定するように、目の前の男は言った。


「そうだ。俺は吸血鬼だ」

「……頭までイカれてるの?」


 容姿は吸血鬼そのものだが、もちろんそんな事を信じられる事ができるわけがない。


「……試してみるか…?」


 自称吸血鬼は怪しく笑った。


「!?」


 まずい、と思った瞬間、先ほどまで少し遠くにあったはずの男の顔が目の前にあった。奏は動揺しながらも、突き出された手を冷静に避ける。


「へぇ…」


 吸血鬼から感嘆の声が漏れた。奏は距離を取ろうと数歩後ろに下がるが、吸血鬼の異常なスピードに適う事ができず、再度延ばされた手によって首を捕まれてしまった。吸血鬼はそのまま奏を地面に押し付けた。頭を強く打ちつけ、一瞬意識が飛ぶ。


「……くっ」


 吸血鬼は奏に馬乗りになり、首を強く締め付ける。苦しそうにもがく奏を見て、吸血鬼は満足そうに笑った。


「さっきは食事を盗られたからなぁ…お前が代わりになってくれるか?」

「……!」


 代わりという事は、吸血されるという事。奏の顔色が青くなる。何とかもがこうとするが、息が満足に出来ない為、身体が上手く動かない。その強さから最強女子高生と謳われる少女に、最大の危機が迫っていた。

 吸血鬼は奏の様子を楽しそうに眺めながら、ゆっくりと奏の首筋に顔に近付ける。


「ヒーロー気取って人を助けた事……後悔するんだな」


 吸血鬼の吐息が首筋にかかり、奏は思わず身震いをした。このまま黙って吸血されるなんて嫌だ。そう思うのに、自分の力では吸血鬼から逃れられない。奏は思わず目を瞑った。

 その時―


「うっ!?」


 金属の物が何かに当たる音がしたと同時に、吸血鬼の首を絞める手の力が緩んだ。


「!」


 奏は状況が飲み込めなかったが、これを好機と捉えて吸血鬼の手を払い、また拳を彼の頬へ向けて振るう。奏の拳を再度まともに受けた吸血鬼は、またドサリと倒れる。


「……あ!」


 吸血鬼の姿が無くなり、 目の前の視界が開ける。そこにいたのは。


「だ……大丈夫ですか…!?」


 先ほど逃げたはずの女子高生だった。震える手には何故かフライパンを持っている。どうやらフライパンで吸血鬼の後頭部を殴ったらしい。


「こっち…!」

 

 女子高生は倒れたままの奏を起こすとそのまま手を引いて走り出した。


「あ…」


 奏は手を引かれながらチラリと後ろを見る。吸血鬼は仰向けになったまま動かない。


「……」


 奏はそのまま女子高生に引かれて曲がり角に入った為、吸血鬼の姿はすぐに見えなくなった。



***


「………一度ならず二度までも」


 吸血鬼は赤くなった頬を抑えながら、ゆっくりと身体を起こした。二人の姿はもうない。食事を奪われ、女に二回殴られ、そしてフライパンで後頭部を殴打され。こんなに屈辱的な事はない。


「…とりあえず、お返しはした方がいいよなぁ…?」


 やられたままで黙っていられる程、吸血鬼は穏やかではなかった。

 このまま追い掛けてみようか。まだあの二人は近くにいるはずだ。だが、それではつまらない。


「ん?」


 顎を擦りながら考えていると何かが視界に入り、吸血鬼は視線を向ける。そこには奏が落としたであろう、バッグが転がっていた。どうやら忘れてしまったらしい。


「……」


 何かを思い付いた吸血鬼はバッグの中をあさり始めた。女子高生にしてはシンプルな筆箱や教科書の奥に、それは押し潰されていた。


「……セイトテチョウ…」


 吸血鬼は生徒手帳を手に取ってパラパラと捲って中身を確認してみる。最後のページに、奏の無愛想な顔と、簡単なプロフィールが記載されている。名前も、住所もある。


「……原田奏……ね」


 吸血鬼は薄く笑って、奏達の消えた方向を見つめた。

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