第40話 赤い靴?
むかしむかし、あるところに、貧しい母娘がいました。あまりに貧しくてまともな靴を買うお金もなく、娘の足は荒れて真っ赤でした。見かねた靴屋のおかみさんが、赤色の古切れで娘の靴を作ってくれることになりましたが、それができあがる頃には母親が亡くなってしまいました。娘はその靴を履いて、とぼとぼと母親の葬儀に参列しました。真っ赤な靴でお葬式は変ですが、これしか靴が無かったのです。
この様子を、通りすがりの立派な馬車から眺めていた老婦人がいます。老婦人は娘を哀れに思い、自分の家に引き取って育てることにしました。
老婦人は娘のぼろぼろの衣服や靴を捨てて、きれいな物を身に着けさせました。娘は豊かな生活を送るようになり、然るべき教育も受けました。
やがて、娘は教会で洗礼を受ける年ごろになりました。老婦人と娘は、洗礼の日用に靴を買いに出ました。靴屋にはいろいろな靴がありましたが、娘はピカピカに光るエナメルの真っ赤な靴を欲しがりました。
洗礼の儀式には黒い靴と相場が決まっています。赤い靴なんてあり得ません。が、老婦人は寄る年波で色がよく見えなくなっており、赤いエナメルの靴を黒だと勘違いして買い与えてしまいました。
洗礼の日、娘は赤い靴を履いて儀式に臨みました。儀式の最中、娘はずっと赤い靴のことを考えていました。
儀式が終わった後、老婦人は人々が娘の靴について噂しているのを聞きました。それでようやく、娘の靴がとんでもない色だと気づいたのです。老婦人は娘に言って聞かせました。
「教会でお祈りするときは、黒い靴を履きなさい。赤い靴なんて、罰が当たりますよ。」
しかし、娘は頑として首を縦に振りません。老婦人は何度も教え諭し、娘には新しい黒い靴を買ってやりましたが、結局次の教会の日も娘は赤い靴を履いて行きました。
教会への道中、一人の乞食が老婦人に靴を磨かせてくれと声を掛けました。ノブレス・オブリージュの気概に満ちた老婦人は乞食に靴を磨かせ、小銭を与えました。それから、娘も同じように、乞食に赤い靴を差し出しました。
「はて、きれいなダンス靴ですわい。踊るときに、ぴたりと足にくっついていますように。」
乞食は靴を見て言いました。すると、娘は怒って足を引っ込めました。
「これはダンス靴なんかじゃない。バカにしないで。」
「おお、これは失礼いたしました。随分美しい靴なので、きらびやかな場にふさわしいと思いまして。」
「きらびやかな場だろうと、どぶの中だろうと、私はこの靴を履きます。でもそれは美しいからではなくて、そうする必要があるからだよ。」
娘は乞食をにらみつけると、すたすたと教会に歩いて行きました。
教会に入ると、周りのみんなが娘の赤い靴に目を向けて、ヒソヒソと陰口を言い交しました。でも、娘は胸を張って、物おじせずに澄ましていました。そして、お祈りの時も讃美歌の時も、赤い靴のことを考えていました。
お祈りが終わって、老婦人と娘は家に帰るために馬車に乗ることにしました。すると、そこに先ほどの乞食がやってきました。
「はて、随分きれいなダンス靴ですわい。」
と乞食は娘の靴を見てまた言いました。
すると、何ということでしょうか。娘の足がむずむずとして、ひとあし、ふたあしと踊りだそうとするではありませんか。
「鎮まれぃ!」
娘は雄たけびを上げると、ダンっと強く地面を踏みつけました。そして、つかつかと乞食に歩み寄ると、ぐいっとその胸ぐらをつかみました。
「この靴は、ダンス靴じゃないと言ったでしょ。あんたがどこの何者だろうと、これ以上あたしに何かするなら蹴り倒すよ。」
「これこれ、落ち着きなさい。哀れな人々に、乱暴をしてはいけませんよ。」
慌てて老婦人が娘の腕を取りました。娘はすぐに大人しくなり、老婦人と共に馬車に乗り込んで家に帰りました。馬車の中で、老婦人は娘に言いました。
「また赤い靴を履いて行ったのですね。ダメだと言ったのに。なぜですか。」
しかし、娘は答えませんでした。やむなく、家に帰ると、老婦人は娘の赤い靴を戸棚の奥にしまい込んでしまいました。それでも、娘はずっと赤い靴のことを忘れはしませんでした。
それからしばらくして、老婦人は重い病を患いました。もう助かりそうにもありません。娘は戸棚から赤い靴を出して履き、その姿でせっせと老婦人の看病をしました。
「それはあの赤い靴ですか?」
老婦人はよく見えない目で靴を見て、尋ねました。娘は正直に頷きます。老婦人は少し考えてから、ため息をつきました。
「そう言えば、今日は町で舞踏会があるのでしたね。お前はそれに行きたいのかしら?」
「とんでもない!」
娘は老婦人がびっくりするくらいの大声で否定しました。
「なんで、この靴を履いているだけで、誰もかれも、私が踊りたがっていると勘違いするんですか。ただ赤いってだけなのに。」
「それは、お前は赤色が不適切な場面でもその靴を履くからでしょう。どうしてなの?」
「それは…」
「私はもう長くありません。どうか、最後に教えてくれないかしら。」
老婦人に真直ぐに見つめられて、娘は黙ってうつむきました。しかし、しばらく考えてから、顔を上げて答えました。
「実は、母の教えなんです。赤い物を身に着けていると、健康になれるって。」
「まあ、お母様が。でも、確かあなたのお母様は若くして御病気で…。」
「母は、苦しい生活の中、靴屋に頼んで私の赤い靴を作ってくれました。でも、自分には赤いものを買えませんでした。そのせいか、母は流行り病で亡くなりましたが、私にはうつりませんでした。私はこの靴を履くといつも、あの赤い靴と母のことを思い出すんです。」
娘の説明を聞いて、老婦人ははっと気が付きました。娘を引き取った後、娘が着ていた不潔な衣類はすべて処分してしまいましたが、その中に粗末な赤い靴がありました。娘が母親の葬式で履いていた靴です。端切れで作ってあって、形も不出来な、お金持ちの老婦人にとってはぼろ屑に等しいものでした。
老婦人の目の端から、すうっと涙がこぼれました。
「私に気兼ねして、あなたはずっと理由を言えなかったのね。ごめんなさい。あなたの大事なものを、私は簡単に捨ててしまった。赤い靴を履くなだなんて、言うべきではなかった。」
娘は老婦人の涙を優しく拭き取りながら、首を横に振りました。
「泣かないでください。私はおばあさまに感謝しているんです。私が、昔の思い出から一歩踏み出さないといけないんです。本当は、赤い靴を履いちゃダメな時があるって、分かってますから。」
「良いの、良いのよ。あなたの思うようになさい。」
老婦人はとめどなく涙を流しました。
それから間もなく、老婦人は息を引き取りました。娘が取り仕切ってお葬式が行われましたが、その時もまた、娘はいつもの赤い靴を履いていました。老婦人の知り合いも教会の人たちも、娘の非常識さを陰で囁き合いましたが、娘は傲然と顔を上げ続けました。
ところが、老婦人の亡骸を埋葬するというその時です。突然、娘は赤い靴を脱ぎ捨てました。そして、その靴をきれいに揃えて、老婦人の棺桶の傍らに埋めてしまいました。周りの人たちがまたもやざわめきましたが、娘は裸足で立ったまま、何も言わずにお墓ができるのを見つめ続けていました。
それからというもの、娘は赤い靴を一切履かなくなりました。老婦人の遺産を受け継いだ娘は、身寄りのない貧しい子どもたちのための施設を作り、子どもたちと一緒に質素な生活を送りました。娘も子どもたちもみんな、靴も服も全部地味な色です。
ただ一つ、変わったところがあるとすれば、下着でしょう。娘は真っ赤な下穿きを作って、子どもたちに身に着けさせていたのです。誰の目にも触れませんが、教会にお祈りに行くときも、近所のお葬式に出るときも、地味な服の下は真っ赤なパンツです。このパンツのおかげか、子どもたちはみんな元気に育ち、施設を巣立っていくことができました。もちろん、娘も健康に長生きしました。
この赤い下着の効能はいつしか遠い国にも伝わり、赤パン健康法として一部のお年寄りたちの間でひそやかな人気を誇るようになったそうです。めでたし、めでたし。
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