第21話

――元の世界へ戻る前日の放課後。

 私は廊下で佐神先生を呼び止めて、校庭が一望できる日陰にやって来てからベンチの前に腰を下ろした。

 目の前にはサッカー部の練習が行われている。

 元気な声を真正面から浴びたまま彼に言った。


「先生。私、いよいよ明日帰ることになりました」

「そっか……。前回の満月の日を逃してからもう1ヶ月経ったか。この世界に来てから長かっただろ」

「はい。心の準備が整わない状態でここへ送り込まれてしまったから、最初はすごく心細かったです。でも、同じ世界からやって来た桐島くんが力になってくれたから寂しくありませんでした」

「君が桐島と一緒にパラレルワールドの話をしに来た時は素直に信じてあげれなかった。きっと、教師として技量不足だったんだと思う」

「そんなことありません。信じられないのが普通だと思います。それより、いっぱい力になってくれたことをとても感謝しています。ありがとうございました」

「よしてくれ……。君たちとのお別れが悲しくなるから」

「先生……」


 佐神先生の瞳はかすかに潤んでいた。

 それを見た瞬間、私自身も目頭がじわじわと熱くなっていく。

 彼は調べ物を手伝ってくれたり、石井教授にパラレルワールドの話を聞く為に大学に連れて行ってくれたり、元の世界へ帰りそびれた私たちを心配してくれたりと、多方面で支えてくれて感謝していた。


「桐島に呼び捨てにされた時は驚いたよ。ある日突然いじめられっ子が勝ち気な性格に変わったからね」

「えっ?! 桐島くんっていじめられっ子だったんですか? 意外っ!!」

「あぁ。まさか僕のことをいきなり呼び捨てにすると思わなかったよ。前日まで声もかけられないくらいビクビクしていたのに」

「向こうでは桐島くんのことが怖くて誰も近づけませんでしたよ。私もその一員でしたけど」

「あはは。つまり、二人はこの世界に来てから仲良くなったということか」

「そうなんです。桐島くんも、萌歌も……」

「なるほど。仲直り出来て良かったね。で、萌歌は一緒に帰ってくれるって?」


 私は俯いたままううんと首を横に振る。


「この世界に残るって。ここで夢を叶えたい気持ちは変わらないみたいです」

「それは残念だね……。せっかく仲直りしたのに」

「仕方ないです。彼女にはやりたいことがはっきりしてましたから」


 諦めなきゃいけないのに、諦められない思い。

 このもどかしさが寂しさに生まれ変わって一生つきまとっていくだろう。


「そっか。実は先日、純奈の母親と電話で話をしたんだ。科学研究所勤めと聞いてから興味が湧いてね。そしたら、両世界の行動パターンやシーンは並行してるらしいと聞いたんだ」

「……それって、自分の身に起きてることが向こうの世界とリンクしてるということですか?」

「もう一人の自分とは人格が違うから、言動が全てが同じとは言いきれないだろう。ただ、何処へ行ったとか、誰に会ったとかは共通しているらしい。もしかしたら、僕たちが石井教授に話を聞きに行ったように、向こうの世界でもきっと同じようなことがなされていただろう」

「じゃあ、いまこの瞬間も?」

「そう。向こうの世界の僕たちはこうやってサッカー部の練習を見ながらお別れの挨拶をしているかもね」


 なんか不思議。

 両世界は全くの別物のように思えても、一番大切な軸は繋がっているなんて……。

 ある日、急に鏡の中に吸い込まれた向こうの世界の皐月は、きっと私と同じように別世界に驚いただろうなぁ〜。


「じゃあ、向こうの世界の皐月はもしかしたらお別れで寂しい思いをしてるってことですかね」

「いや、逆に喜んでるかもよ? やっとの思いで元の世界に帰れるからね。元々一つの世界だったものが分岐しているから運命と言えば運命なのかもしれないね」

「へぇ……。全て同じじゃないところがミソですね」

「神様のいたずらとも噂されてるらしい。基軸を修正する為にね」

「まだ知らない謎がたくさんあるんですね。もっともっと知りたくなります」

「だろ。……そこで、もう一つ大事な話をしてもいいかな」


 先生はそれまで組んでいた足を崩して、私の方に体を向けた。

 それが何かの一つの区切りに見えてしまい、なぜか自分までかしこまってしまう。


「えっ、なんですか? 急にそんなにかしこまって……」

「実は、君にパラレルワールドの話を聞いてから拾い集めた情報を元に論文を書いていたんだ。それを純奈の母親に話したら、それを送って欲しいと言われてね。研究所で目を通してくれたらしく、おとといその返事が来て研究員にならないかってスカウトされたよ」

「そっ、それ……すごいじゃないですか!! いきなり科学研究員なんて。……あ、でも先生には学校が」

「退職することにしたよ。僕は君たちから得た貴重な情報を元に困った人を助けていきたいと思っているし」

「先生……」

「ありがとう。僕が夢中になれるものを見つけるきっかけを作ってくれて。君には感謝してるよ」


 それを聞いた途端、照れくさい……というかなぜかむず痒い気持ちに。

 

「わっ、私も先生に感謝しています! まぁ〜、石井教授の話は不正解でしたけどね」

「あっはっは! 君は思ったことをズバッと言うねぇ。もう一人の堀内とは本当に別人のようだよ」

「先生も全くの別人ですよ。私、佐神先生とこんなにたくさん話をする機会が出来るなんて思ってもいませんでした」

「僕もだよ。まぁ、石井教授は噂で聞いた話だから仕方ないよ。本人も自信なさそうだったし」

「でも、とてもいい勉強になりました。みんなが支えてくれたお陰で一生忘れられないくらいの大切な思い出になりました」

「こちらこそ君がいなかったらなにも始まらなかったよ。僕自身もパラレルワールドには無関心だったから」

「向こうの世界の佐神先生はパラレルワールドについて興味を示してたんですよ? だから、先生を頼って聞いたのに」

「あはは、それは充分ありえる話だね。でも、いまなら素直に受け入れられる。君から貴重な話を聞かせてもらって僕自身はとても勉強になったよ。簡単に人を疑う前に話をよく聞いてしっかり調べないとね」


 先生は目を細めたままあははと笑った。

 この世界に来たばかりの時は、元の世界の佐神先生という概念だったけど、彼は彼で独立した考えを持っている。

 だから、元々この世界にいた私もきっと……。


「実は私もパラレルワールドの研究員になろうと思ってたんです」

「へぇ。どうして?」

「先生と同じように人の手助けをしたいと思ったから。ここに送り込まれてしまった人たちは深い事情があってここに来たと思うから、先に問題の解決方法を伝えていきたいと思っています。佐神先生のように」

「えっ、僕?」


 私はうんと頷いて話を続ける。


「はい……。先生は私たちに聞いてくれました。『君たちの不満はなんだったの?』って」

「えっ、それがなにか?」

「私たちがこの世界へ送り込まれてしまった理由の一つは”不満”だったから。もしあの時先生がその質問をしてくれなかったらいまの私はいないと思います。それに、萌歌と仲直りしないままこの場を去ってしまったかもしれません」

「つまり、帰る方法を教えるんじゃなくて、不満を乗り越える方法を伝えていくってことかな?」

「自分に出来るかわかりません。人の気持ちも考えずにズバッとものを言ってしまうし、それが原因で傷つけてしまうこともあるから。でも、この世界で学ばせてもらったことをふまえて人助けをしていきたいと思います」


 私は凛とした目で先生の瞳を見つめると、彼は目尻を下げて私の肩にポンッと手を置いた。


「君は立派な研究員になれるよ。大学に行ってしっかり学んでおいで」

「先生……」

「君なら大丈夫。僕は先に研究所で待ってるからね」

「はいっ! 頑張ります! ……では、先生。今日までありがとうございました」


 私は先生に頭を軽く下げてからその場から離れようとすると、


「ちょっと待って」

「えっ?」

「これを向こうの世界の僕に持っていってくれないか?」


 先生はスラックスのポケットに入っていたものを取り出して私に差し出す。

 目を向けると、それはコンパクトサイズの水色の封筒だった。


「自分宛てに手紙……ですか?」


 先生が向こうの世界の自分への手紙?

 一体、この手紙には何が書いてあるんだろう。


「よろしく頼むよ。……でも、決して中を開けちゃいけないよ」

「それってなんか玉手箱みたいですね」

「あははっ。でも、残念ながらその中には過ぎ去った時間は封入されてないよ」

「冗談ですってばぁ〜」

「じゃあ、よろしくね。向こうへ行っても元気で」

「先生もお元気で……」


 こうして私は、佐神先生はお別れをした。

 もう二度と会えないと思うと寂しい。

 でも、これからは元の世界の佐神先生と仲良くやっていこうと思う。

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