込み上げてくる感情

第9話

――佐神先生が大学教授と連絡を取ってから2日後。

 私と桐島くんと佐神先生の三人は風祭大学総合科学研究科の石井教授の元を訪れた。

 六畳程度の研究室の両壁に専門書と思われる多数の書籍が並んでいる。

 石井教授は入室した私たちの方に向かってきて佐神先生と軽い握手をした。


「石井教授、ご無沙汰してました。お元気でしたか?」

「えぇ、そちらこそお変わりないようで安心しました。お会いするのは4〜5年ぶり以来ですかね。いきなり電話を頂いたのでびっくりしましたよ」

「ご多忙中にすみません。早速ですが、例の件についてお話をお願い出来たらと……」

「まずはそちらのソファーへおかけ下さい。話はそれからで」

「失礼します」


 四人が部屋の中央のソファーに腰を落ち着かせたところを見計らってから、私は早速本題へ。


「私とここにいる桐島くんはパラレルワールドからやってきました。ある日の夜、私と妹は喧嘩している最中に鏡に吸い込まれてしまったみたいで、目を覚ましたらこの世界に来てて……」


 先日佐神先生に伝えた話と同じ内容を石井教授に話した。

 すると、教授はテーブルからペンを拾い上げてメモをとる。

 時より質問を受けながらやりとりが20分ほど続いた後、教授は言った。


「パラレルワールドは元々一つの世界だった。だが、今から300年ほど前のある日、グリーンフラッシュが原因でこの世界にとんでもない事態が起こってしまった」

「グリーンフラッシュ……。なんですか? それ……」

「グリーンフラッシュとは、日没時に太陽が最後に放つ緑色の閃光のこと。地球の大気中の光線の屈折によるものでプリズム効果によって起こってるもの。それになんらかの異常が重なって時空を歪ませてしまい、一つの世界が二つに分岐されたと伝えられている」

「……なぁんか、ややこしい話だな。俺らはただ異常事態に巻き込まれただけなのに」

「桐島くんっ!」

「ははっ。理解出来ないのも無理はない。私たちも8年前に研究チームを作って調べている段階だからね。……それで、君たちは元の世界に帰りたいと」

「はい。帰る手段はあるのでしょうか。インターネットや図書室で調べても有力な情報が見つからなかったので……」


 私は上目遣いでそう言うと、彼は立ち上がり、窓の方へ行って外を眺めた。


「……実は一つだけ方法がある」

「えっ」

「ただ、絶対に帰れるとは約束出来ない。私も人から聞いた話なので……」

「それでもいいです。ぜひ教えてください!」


 いま有力な情報が一つもない私たちにとっては喉から手がでるほど欲しい情報だ。

 その分、逸る気持ちも抑えきれなくなっている。


「ここから二つ先の九重駅から徒歩15分ほどのところに陽翠湖という小さな湖がある。そこは神様の隠れ家とも言われている神秘的な場所。そこで、20時から5分だけグリーンフラッシュに近い現象が起こる。たった5分間だけ月が緑になるとか。その間に湖に向かって帰りたい気持ちを叫ぶと、元の世界に帰れるらしい」

「えっ!! たったそれだけで帰れるなんて……」

「簡単にここへ来たように、簡単に帰れると噂で聞いている。……ただし、それは1年に一度で満月の日。幸いにも3日後の15日がちょうどその日。つまり、今日から3日後の20時に陽翠湖でスタンバイしていればいいだろう」


 それまで帰宅方法を難しく考えていた私たちは、思わぬ吉報に安堵した。



 ――それから10分後。

 佐神先生はまだ教授と話があるからと言って研究室で別れ、私たちは大学を出てから駅の方へ向かった。

 貴重な情報を入手したお陰か、大学へ向かっていた時よりもお互い表情が明るい。 

 

「パソコンや本であんなにたくさん調べけど、なぁんか拍子抜けしたね。あんなに簡単に帰れそうだなんて」

「湖がこの世界からの出口だったなんて信じられないな。一番引っかかるのはあの話が人づてだってこと。どうも胡散臭いんだよね〜」

「確かにね。でも、もしかしたら本当の出口かもしれないからやってみる価値はあると思う」

「まぁな。3日後みたいだし、教授の言うことを信じて試してみっか! ダメだったらまた別の方法を考えればいいし」


 いざ帰れるとなると、この世界が少しばかし恋しく思う。

 何故なら、ここへ来てから大きな障害にぶつかり、次々と心強い仲間に出会えて、それを乗り越えられそうな段階までやってきたのだから。


「桐島くんは元の世界に戻ったら一番に何がしたい?」

「バスケ。思いっきり走っていい汗をかきたい。ここではやる気のない奴らばかりだからまともに参加するヤツがいなくて。……堀内は?」

「……私?」

「うん」

「私はね、青春っっ!! 心葉と一緒に原宿行って、流行りの韓国コスメ買って、かわいい洋服買って、美味しいスイーツ食べて、三井くんにもう一度告白して、恋人になって、デートして……」


 元の世界を思い巡らせながらやりたいことを考えていたら、いつしか頬に流れた雫が地面に一直線に向かっていた。

 楽しかった思い出が溢れんばかりに蘇ってきた途端に我慢が限界を迎えていたらしい。

 桐島くんはそれに気づいたようで、心配そうに顔を覗き込む。


「……もしかして、泣いてんの?」

「あはは……。情けないよね。元の世界にこんなに執着してたなんて。『嫌だ』『一刻も早くここから抜け出したい』。ここへ来た当初はそんなことばかり考えてたのに、毎日ここで生活していくうちに想像以上に愛着が湧いてたんだなって思ったら勝手に涙が浮かび上がってきたよ」


 濡らした頬を手の甲でゴシゴシしてると、彼は私の頭の上に手をのせて髪をぐしゃぐしゃと強く撫でた。

 そのせいで、肩までの短い髪が開いた傘のように。


「そーゆーの、らしくねぇから……」

「ふ……ふぇっ?」

「元の世界に帰ったらいまよりも数百倍以上の幸せが待ってんのに、自分で足を引っ張り続けてもしゃーねぇだろ」

「そうだけど……」

「辛かった日も、努力してきた日も、困難を乗り越えた日も、振り返った時に全部最高の思い出になってると思うよ。だから、いまは前だけ向いてりゃいーの!」


 そう言ってニコッと微笑む彼の笑顔は太陽のように温かい。

 そうだよね。

 いまは帰る為に必死に頑張ってるのに、気持ちを後ろ向きにしちゃだめだよね。 


「ありがとう。ここへ一緒に来たのが桐島くんで良かった。私一人じゃ何も出来なかったと思うし……」

「俺も。お前がいなかったら自分に甘えてこの世界に残る気だった。……お前には感謝してる」


 もし、この世界に桐島くんがいなかったら、今日という日を迎えられなかっただろう。

 見えない出口を一人で探して落ち込んでいたはず。

 もしかしたら、この世界に取り残されたまま生涯を終えていたのかもしれない。


「ねぇ、一つ気になることを言ってもいい?」

「なに?」

「私たちがパラレルワールドにいる間は、もう一人の自分が元の世界に送り込まれたってことだよね」

「入れ替わってる可能性は大だな」

「もしそうなら、もう一人の自分はいまどんな日常生活を送ってるんだろう。やっぱり慣れない生活に混乱しているかなぁ」


 この世界に来た時は、周りの人たちの性格が真逆だったからすごく驚いた。

 心葉が別人のように冷たくなっていたし、いつもぼっちな萌歌に話しかけているクラスの女子もいた。

 だから、もう一人の自分が向こうの世界でどうやって生活しているのかがずっと気になっている。


「必ずしも幸せになってるとは限らないし……」

「私たちのように元の世界に帰りたいって思ってるかな」

「どうだろ。でも、俺たちが元の世界に戻ったら強制的に戻されるんだろうな、きっと」

「その間の記憶は残ると思う?」

「実際に帰ってみないとわからないね」


 もう一人の自分に巻き添えを食らわしてしまって申し訳ないと思う反面、少しだけ感謝している。

 何故ならここへ来てからの出来事が自分にとってプラス方面に働いていたから。


 駅に到着すると、急にあることを思い出して全身に冷や汗が湧く。


「あっっ!!」

「なに、急に大きな声を出して」

「学校に忘れ物してきちゃったのをいま思い出したよ! 急いでたから机の中を確認するのを忘れてたぁ!」

「なに忘れたの?」

「英語の教科書! 明日小テストだから取りに戻るね」

「うん。じゃあ、ここで」


 私たちは駅の改札でバイバイして、お互い逆方面のホームに向かって電車に乗った。



 ――下校時刻が間近に迫っていた頃に学校に到着。

 運動部の練習の声が響き渡る中、校庭の隅に目を向けると萌歌が所属しているダンス部が練習している。

 部員は20人程度。

 萌歌も他の部員と息を揃えてダンスに励んでいる。


 早速、石井教授に聞いてきたばかりの話を伝えようと思い、ダンス部の輪へ向かった。

 練習が一段落した頃、輪から外れてタオルで汗を拭き始めた萌歌の元へ。


「萌歌、お疲れ様〜! あのね、ビッグニュースがあるの!」

「……なに、そのビッグニュースって」

「パラレルワールドから帰れる方法が見つかったよ! 佐神先生の知り合いの大学教授がパラレルワールドの研究をしていたから、さっき話を聞きに行ってきたんだ! それがね、思ったよりも簡単だったんだよ」


 やっとの思いで入手した情報。

 心踊らせていたせいもあって、思い一つのまま彼女に伝えるが……。


「あたしは帰らないよ。この世界で生きていくと決めたの」


 だが、彼女は表情一つ変えぬまま下ろしていた髪を両手で束ねてハート型のクリップで留めながら言う。


「でも、ようやく帰る方法を見つけたんだよ? ここまでたどり着くのにどれだけの時間がかかったか……」

「そんなの知らない」

「えっ……」

「帰るなら勝手に帰ればいいじゃない。あたしはここでやりたいことを実現させる」

「なに言ってんの……。今回のチャンスを逃したら次は1年後になっちゃうよ。チャンスは1年に一度しかないから……。それでもいいの?」

「あたしはそんなことに費やしてる時間はないの。この1分1秒だって惜しいくらい練習に時間を費やしたいのに」

「そんなの向こうの世界に戻ってからやればいいじゃない。向こうとは並行世界なんだからさ」


 そう言った瞬間、萌歌の動きが止まってギロリと睨みつけてきた。

 そこで失言をしてしまったことに気づいて口元に手を当てる。


「『そんなの』って……、何様のつもり? 夢を軽くあしらわないでよ。あたしにとっては一生を左右するくらい大事な夢なの」

「ごめん、そーゆーつもりじゃ……」


 すかさず誤解を解こうとしていると、「萌歌ーーっ、なにやってんの? そろそろ練習始めるよ」と背後から気だるそうに呼びかける女性の声が届く。

 声の方に目を向けると、ダンス部の仲間三人がこっちを見ている。

 萌歌は「うん、わかった。すぐ行く」と仲間の方を見てそう伝えると、再び私に目線を置く。


「話は終わり。もう帰ってくれない? 練習の邪魔なんだけど」

「萌歌……」

「勝手なことを言うけど、元の世界に戻った時にオーディションの話がなかったらどう責任をとってくれるの?」

「並行世界だからその話は残ってるかもしれないじゃない」

「じゃあ、もし残ってなかったら?」

「それは……」

「あたしの気持ちなんて誰にもわかんない。あんたが思ってる以上に本気なの。絶対にこのオーディションに勝ち抜いてDATTYの一員になってやるんだからっ!!」


 彼女は怒鳴りつけるように吐き捨てると仲間の元へ向かう。

 私は彼女の言葉をこだまさせたままその様子を目で追った。

 自分が間違っていたのだろうか……。

 二人同時に別の世界からやってきたから帰る時も一緒だと思っていた。

 でも、彼女は彼女で、この世界で目標を持って前向きに取り組んでいる。

 

 そして、萌歌たちのグループ練習が始まった。

 生き生きしている表情にキレのあるダンス。

 普段とはまるで別人のようにキラキラと輝いていて、ここが自分の居場所なんだと言わんばかりに振る舞っている。


『あんたが思ってる以上に本気なの。絶対にこのオーディションに勝ち抜いてDATTYの一員になってやるんだからっっ!!』


 この言葉が弾丸のように胸の中を貫通していく。

 私は萌歌が苦手だ。

 口は悪いし、冷たく当たってくるし、一方的な気持ちを叩きつけてくるから。

 でも、やりたいことに全力で没頭してる姿を見ていたら、自分の気持ちにブレーキがかかってしまう。

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