三週目⑥


 メロンを半分に切ろうと包丁を振りかぶったら、なぜか止められた。


「お、おやめください妃殿下っ!」

「えっ?」


 見ると、私の隣でなぜか青い顔をした料理長が、に引っかかった虫みたいにあわあわと手を動かしている。調理室を見回すと、やはり顔面そうはくの料理人たちが、作業の手を止め、じっと私をぎょうしていた。

 ここは宮殿の調理室で、応接室ほどの広さのスペースには、調理台や洗い場、かまどなど、

調理に必要な施設がひと通り揃っている。料理人は十人ほど。彼らは、私たち夫婦のための日々の料理はもちろん、使用人たちの料理もまかなっている。当然、パーティーを開くとなるとその料理もこしらえる。要は、料理ぜんぱん何でもござれな彼らなのだけど、そんな彼らにも、今回のような指示は初めてだったようで、あくせんとうしながらも私が渡したレシピにいどんでいる。……正しくは、いた。というのも私が加勢に入ると、どういうわけか皆の手が止まり、私の一挙手一投足に視線が集まってしまうのだ。

 余程、異国の皇女のお手並みが気になると見える。

 というわけでさっそく、それをろうしようとした矢先にこれだ。


「あの、おそれながら……そもそも包丁とはそのように、振りかぶるものでは……」

「どうして? 勢いをつけた方がものは良く切れるじゃない」

「それは、ええ、仰る通り、なのですが」


 ふぅむ、どうも要領を得ない。何にせよ切れさえすればと改めて包丁を振りかぶると、今度は、背後から伸びた手が私の腕をむんずと摑む。お次は何、と振り返ると、例によって眉間に深い縦じわを刻んだクラウスが、じっ、と私を見下ろしている。


「貸したまえ」


 言うが早いか、クラウスは私の手から包丁を取り上げると、そのをへたに垂直に当て、

まっすぐにまな板へと落とす。刃は、さく、と小気味よい音とともに実をぱっくりと二つに割る。……って、振りかぶらなくても切れるんだ!?


「包丁とはこのように使うのだ」

「そうだったのですか。その……よく、ご存じで」


 ううむ、故郷では料理の類はじゅうたちに任せきりだったけど、少しは練習しておくべきだったかしら。


「うん。内部構造の写生や標本づくりのために、こうやって果物を切り分けることも多くてね。ところで、ほら見たまえ。この美しい断面を」


 言いながらクラウスは、たった今割ったばかりのメロンの中身を開いてみせる。現れたのは、若草色に輝くみずみずしい断面。その、触れれば弾けそうな断面から、この果実特有の甘い芳香がふわりとただよう。


「この植物はウリの仲間でね。アデルネ海南部が原産とされている。基本的に高温地帯でしか育たないが、一方で湿しっに弱く、生育場所を選ぶ植物だ。その点、カスパリアは気候的に最適なかんきょうと言えるだろう。我が国で育てるとなると、やはり気温がネックになるだろうな。で育てるには、この国の夏はすずしすぎる」

 よどみなく説明を続けながら(むしろ淀みがなさすぎて怖い)クラウスはさくり、さくりとぎわよくメロンを切り分けてゆく。手つきに迷いはなく、慣れているとしょうするだけはある。


 そんなクラウスの、まくり上げたシャツのそでから覗く腕は、がっきゅうはだな印象とは裏腹に太くたくましい。とりわけ、腕に刻まれる筋肉のいんえいには、私の目をきつけてやまない奇妙な引力がある。引力というか……色気? いやいや、しっかりしなさい私! 夫といえど相手は政略結婚で結ばれただけの人。その手の下心は禁物だ。

 そう自分をいましめると、私は、今度はぶどうの皮きに取り掛かる。これはさすがに、カスパリアでも使用人たちが剝いてくれるのを目にしていたので要領はわかる。ふさから実をもぎ、つぶさないよう軽く摘まめば勝手に皮が割れてするりと中身が――。

 ぺちっ。


「あいたっ!」


 不意に額を襲う痛み。手元には皮だけが残され、かんじんの中身はどこかに消えて――いや、よく見ると足元に転がっている。いつの間にこんなところに。

 ん? もしかして、さっき私の額をはじいたのは……。


「あ、あの、妃殿下」

「え?」


 振り返ると、またしても青い顔をした料理長が、気まずそうなうわづかいで私の顔を窺っていた。


「そろそろ……ごきゅうけいなどいかがでしょう」


 と、いうわけで、どうやら戦力外とされたらしい私は、あれよという間に調理室のすみに追いやられてしまう。

 クラウスの方は、相変わらず調理室で器用に包丁を振るっている。

 せんさいないちじくのうすかわを苦もなく剝き、スイカはメロンと同様、だいたんに割って皮と可食部とを切り分ける。私が苦戦を強いられたぶどうも、実のおしりにあらかじめ薄く切り込みを入れ、切れ目からするすると皮をぎ取ってゆく。果実ごとに剝き方を変えるのは、それだけ果物の構造に精通しているからだろう。

 ――カスパリアから嫁いでくる君に、不自由な思いをさせたくなかったのだ。


「よ……余計なお世話だわ……」


 その間も料理人たちはてきぱきと動き、私がレシピに記したとおりの料理を次々と仕上げてゆく。王族の宮殿に勤めるだけあって、さすがに皆、腕は確かだ。いや、彼らの仕事ぶりは、これまでいだ料理のにおいからも伝わってはいたのだ。嫌がらせのせいで味わう機会を奪われていただけで。

 料理人たちは他にも、複数の料理を同時へいこうで仕上げてゆく。

 牛肉とオレンジの皮を一緒に煮込む料理は、これまでも何度か食卓で目にしている。彼らには、レシピの料理を作るのと同時に、エデルガルトのフルーツ料理も存分に披露するよう命じていた。別に、両者のかくがしたいわけじゃない。そうほうの料理を一緒に並べることで、彼らとの間に横たわるみぞめたかったのだ。

 やがてタルトやケーキが焼き上がり、冷菜が仕上がり、仕込んでいたサングリアが飲み頃になる。それらを大皿に盛りつけ、あるいはデカンタに注ぐなどして食堂に運び出す。

 食堂では、すでにパーティーの準備が整いつつあった。

 中央の長テーブルにはしょくだいのほか、小皿やカトラリーが一か所にまとめて置かれている。テーブル中央はがらんと空いており、そこに、調理室から運んだ大皿をどしどし並べてゆく。小分けはしない。料理は各自、食べたいものを食べたいだけ小皿に取る。いわば立食形式だ。

 改めて見ると、随分と作ったなと思う。

 カットフルーツにカスパリア産の水牛チーズとオリーブオイルをえたサラダ。ヨーグルトにレモンじるとニンニクを加えたディップ。生ハムとメロンを合わせたカナッペは、私の子どもの頃からの好物でもある。

 ほかには、貿易港ならではの異国じょうちょあふれる料理も。例えばなんぽうから運ばれるココナッツやこうしんりょうで煮込んだ肉料理も、ていではおみの味だ。その煮込み料理には、クラウスの温室で取れたキウイをかくし味に投入している。


「今回のもよおしは、皆さんへのろうねているの。どうか遠慮なくし上がって」


 するとメイドたちは、困った顔で仲間の反応を窺い合う。彼女たちにとって私は、今なお敵国の皇女にすぎない。だからこそ、ドロテの嫌がらせにも見て見ぬふりだったのだ。中には、進んで嫌がらせに加担した者もいただろう。

 その皇女が、ねぎらいとしょうしてごちそうをってくる。当然、何か裏を疑うはずだ。さもなければ毒によるしゅがえしか。私に言わせれば、どちらもはためいわくしんあんに過ぎないのだけど。

 そうぜんとなる中、やがて、一人のメイドが私の前に進み出る。ドロテだ。まさか、このに及んでまだ何か――。


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