握りしめた小銭

第61話

愛里紗は家に上がると、台所付近を見回して昼食を探した。


ところが、テーブルの上どころか付近には何も置いていない。

冷蔵庫を開けてみてもおかずらしきものは見当たらないので、背後の翔に尋ねた。




「お昼ご飯はどこに用意してあるの?」


「飯なんていつも用意してないよ。あるのは昼食代だけ」




翔はポケットに手を突っ込み、チャリチャリと音を鳴らしながら中の小銭を握りしめて愛里紗に見せた。


拳が開かれて小銭が覗かせた瞬間、愛里紗はショックを受けた。




私は母親が作ってくれる温かい料理をいつも当たり前のように食べていた。

だけど、みんなが自分と同様の生活をしている訳ではない。


それは、いま小銭を見せてくれた彼が無言で教えてくれた。




専業主婦として家に居てくれる母親もいれば、働きに出て常に不在がちの母親もいる。


きっと、彼の母親は後者。

仕事が忙しくて時間がなかなか取れずにお昼ご飯を作る余裕が無かったのかもしれない。


台所のシンク内には、朝食時に使ったと思われる置きっ放しのコップと重なっているお皿が母親の忙しさを物語っていた。




愛情たっぷりの温かいご飯を母親が見守る前で当たり前のように口にしている私は、母親が傍に居てくれるありがたみを感じた。


逆に昼間一人ぼっちで過ごしている彼は、普段からこんな様子で過ごしているかと思うと不憫ふびんに思ってしまい、キュッと胸が締め付けられた。





彼の現況は小学生の私に言葉を選ばせるくらい深刻に思えた。


両親の不仲に心を痛めて小銭を握りしめて一人寂しく過ごす彼の深い悲しみが、私の本能を刺激している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る