3-4


 毎日が充実していて、夢を見るひまもない。

 それでもルシアはる前に夜空を見て、神にいのりをささげていた。

 ――アレク、私は元気にやっているから心配しないでね。

 ルシアが風邪をひけばおろおろし、ルシアがをしたら代わりに泣いていた心優しい婚約者は、きっとルシアを今もどこかで心配しているはずだ。


「辺境伯は私に合っていたみたい」


 ルシアが明日も頑張ろうと自分をはげましていたら、ドアをノックされた。


「辺境伯さま、お客さまがいらっしゃいました」

「どなた?」


 酒場はまだ開いているだろうけれど、つうの人はもう寝る時間だ。

 ルシアは、よほど急ぎの用件を抱えている人がきたのだろうとドアに向かう。


「フェリックス・アシュフォード公子さまです」

「……フェリックス?」


 もしかして、王都でなにかあったのだろうか。

 ルシアは不安になりつつ、歓迎の間に案内してという返事をする。

 急いで鏡を見ておかしいところはないかを確認し、それから自分の部屋を出た。


「フェリックス、王都でなにかあったの?」


 ルシアは、歓迎の間に現れたフェリックスへ心配そうな顔を向ける。

 するとフェリックスは、なぜか首をかしげた。


「王都ですか? 特になにもなかったですよ」


 ルシアはまばたきをしたあと、フェリックスを自分の部屋へ招く。


「ならどうしてここに?」


 王都からチェルン゠ポートまでそれなりの距離がある。ちょっと寄ってみたというわけにはいかない。


「それはもう……」


 フェリックスは笑った。そして、当たり前だろうというひびきを声にのせる。


「ルシア王女殿下のことが心配だったからです」


 フェリックスの答えは、ルシアにとって想定外だった。

 勿論、自分たちは友人と呼べるあいだがらだろうし、友人を心配するのも当然だ。けれども、フェリックスの心配は「無事にチェルン゠ポートへ到着した」というルシアの手紙一枚で

どうにかなるものだと思っていた。


「……もしかして、私の手紙は届かなかったの?」

「届いたけれど、着いたということしか書いてありませんでした。そこからなにもれんらくがなかったので、どうしているだろうかと気になっていたんです。最初は手紙を書こうかと思ったんですが、文字だけでは伝わらないこともあるので、直接行こうかなと」


 ルシアはますます驚く。

 そこまでフェリックスに心配されていたなんて、想像したことがなかった。


「チェルン゠ポートまできてくれて嬉しいわ。ありがとう」


 ルシアの心がじわりと温かくなる。

 感謝の気持ちをめてフェリックスを見たら、フェリックスはからかうような声を出し

た。


「本当ですか?」

「ええ。その証拠に一番いいワインを開けてあげる。まるところはあるの? まだ決めていないのなら、ここに泊まっていって。客室を用意させるから」


 ルシアはベルを鳴らし、使用人を呼ぶ。フェリックスのための部屋と食事の用意を頼み、一番いいワインを用意させた。


「軍艦を造る!?」

「ええ、ようやく準備が終わったところなの。……あ、一応、私の船よ。でもお父さまにはないしょね」


 フェリックスの食事が終わったあと、ルシアはフェリックスと色々な話をする。その際にチェルン゠ポート辺境伯としての取り組みを話せば、当然だけれど驚かれた。


「元気にやっているどころか、随分と派手にやっているみたいでよかったです」


 フェリックスがほっとしたように言うから、ルシアはそうねと笑う。


「きっと貴方のおかげよ」

「俺ですか? なにもできていないと思いますけれど」


 ルシアはフェリックスの顔をじっと見た。

 いつだってフェリックスの瞳には、優しい光がともっている。


「私が前を向いていられるのは、貴方がいるから。貴方はいつだって私に『そこにある幸せ』を教えてくれる。だから頑張ろうと思える」


 フェリックスは、ルシアの生命力あふれるきらきらと輝く瞳に息を吞み、そしてため息をついた。


「今のはすごい口説き文句ですね」

「あら? こんなことで口説かれてくれるの?」


 ルシアはくすくすと笑い、ワイングラスを持ち上げる。


「私と貴方の再会にかんぱい

「……乾杯」


 たがいにグラスをかかげ、改めて再会を祝い合う。


「貴方の話をもっと聞きたいわ。楽しい話も、楽しくない話も、両方よ」

「どちらもたくさんありますよ」


 チェルン゠ポート辺境伯になったルシアは、王宮内のことを『私には関係ない』で済ませるわけにはいかなくなっていた。

 ルシアは、フェリックスの話の中に気になるところが出てきたら、より詳しい説明を求める。


「大聖堂のとうの修復はあとふたつきもしたら終わりそうですね」

「無事に終わりそうでよかった。完成を祝うミサの日が決まったら教えて。うっかりすると陛下からの連絡は妹たちににぎつぶされて、欠席することになりそうだわ。ついでに陛下へ頼まなくてはならないこともあるから、よろしくね」

「わかりました、必ず連絡します。……その代わり、たまにはゆっくり休んでくださいね。

なにか手伝えることがあればいくらでも手伝いますから」


 フェリックスは、王都にただ戻るだけではなさそうなルシアをいたわってくれた。


「ありがとう。きっと私のやりたいことは、私が辺境伯にならなければできないことだった。……それがとてもほこらしい」


 王宮を追い出されたことをなげく王女は、もうどこにもいない。

 ここにいるのは、輝かしい未来をつかもうとする若きチェルン゠ポート辺境伯だ。


「――貴女は強くて立派な人だ」


 フェリックスは今、それだけしか言えなかった。

 ルシアは新しい土地で、充実した毎日を過ごしている。

 逆にフェリックスは、王都でつまらない日々を送っているだけだった。そんな自分がずかしくなってきたのだ。


「そう見えていたら嬉しいわ。……本当はね、心弱い自分もいるのよ。でも、そうなりたくないと思っている」

「大丈夫です。貴女にも心弱いところがあるから、人の弱さに気づいてえる優しさも持っているんです」


 フェリックスはルシアに微笑む。

 ――この方は、強くて、立派で、優しい人だ。

 神はやはりいるのかもしれないと思ってしまった。こんな人を王族として生み出してくれたことに、感謝したくなる。


「ルシア王女殿下がいてくれてよかったです。俺は、娘を利用するばかりの陛下も、自分の娘のことしか考えない王妃殿下たちも、自分のことしか考えない王女殿下も嫌いでした。王家の血のせいでこうなったんだと思っていたんですけれど……」


 フェリックスは肩をすくめる。


「王家の血を引くルシア王女殿下がとてもご立派な方なので、あれは血のせいではなかったとわかりました。それぞれに問題があるだけです。だから俺は王家に絶望しなくて済みました。……いつの日か、自分の子を可愛がれる気がします」


 フェリックスは、ルシア以外の王女とけっこんすることが決まっている。

 ルシアからは、フェリックスはその覚悟をしっかり決めているように見えていたけれど、彼はまだ若者だ。


(自分の子を愛せないかもしれない。自分も国王陛下のようになってしまうかもしれない。……フェリックスがそのことになやんでいても当然だわ)


 ルシアの存在がフェリックスの救いになったのなら、とても嬉しい。


「貴方の子は王家の血を引く。その子は私に似ているかもしれないし、貴方に似ているかもしれない。だから大丈夫よ。自分の子を愛してあげて」


 ルシアはフェリックスのとなりに座り直し、フェリックスの手を握る。


「きっとね、愛せる距離というものが誰にでもあるわ」

「愛せる距離?」


 ルシアは、部屋に飾ってあるアルジェント国の風景画を眺める。


「私はアルジェント王国にいたとき、妹たちを愛していた。誕生日には手紙とおくものを届けていたし、帰ることが決まったときも仲良くしたいと思っていたの」

「あ~……」

「実際に王宮でいっしょに暮らしたら、考えが変わったけれど」


 ルシアはふふと笑う。


「貴方もきっと私の妹たちとの距離がもっとあったら、ちょっとわがままだけれど可愛いと思えたはずよ」


 フェリックスは、ルシアの言う通りに自分が王配になっていない未来を考えてみた。

 別の人と結婚することになっていたら、王女たちのことをもっと気軽に「彼女たちにもいいところがある」と言えたかもしれない。


「私は今、また妹たちと離れたところで暮らしているから、妹たちの王宮でのとんでもない話を聞いても、少しだけ可愛く思えるわね」

「それはうらやましいです」


 フェリックスがかたを落としたので、ルシアは励ますようにその肩を軽く叩く。


「……では、俺とルシア王女殿下の『愛せる距離』はどのぐらいですか?」

「そうね……。かなり近いと思うわ。王宮で一緒に暮らしても愛せるぐらいに」


 フェリックスは少し考えたあと、手を広げた。


「このぐらい?」

「ふふ、もっと近いわ」


 フェリックスの隣に座っていたルシアは、フェリックスとの距離を縮める。肩がうほどの近さからフェリックスの顔を見上げた。


「このぐらいかしら」


 ルシアはフェリックスのほおに触れる。

 フェリックスは、間近にせまったルシアの顔を見つめた。

 ――はかなげな美しさを持つのに、生きる力があふれている。

 あわく光る神秘的なすみれいろの瞳に吸い込まれそうだと思ってしまった。


「……あ! そうだわ」


 とつぜんルシアはフェリックスから手を離し、立ち上がる。


「貴方に見せたいものがあるの! きて! ……静かにね」


 こっちよと部屋のドアに向かうルシアに、フェリックスは息をそっと吐くしかなかった。


(今のは……ずるいなぁ)


 もし先ほどの会話とせっしょくが意図的なものだとしたら、ルシアはこいの駆け引きをする相手としてとてもごわいだろう。


「フェリックス?」

「はい、行きます」


 ルシアはフェリックスを連れて一階に降りた。

 そこで「静かにね」ともう一度言い、人差し指を口に当て、そっととびらを開ける。


「……子犬?」


 居間のはしさくが取り付けられていて、敷かれた毛布の上で小さな犬が二匹ねむっていた。


「海軍で飼われていた犬が双子を産んだの。里親を探していると言っていたから、このカントリーハウスで飼うことにしたわ」


 ルシアは「黒がウィルで、黒と白がテディ」と名前を教えてくれる。


「明日、もしよかったらこの子たちと遊んであげてちょうだい」

「楽しみです。俺も犬が好きなので」


 フェリックスは、ルシアへの見方を変えることにした。

 次に会いにくるときは、友人が心配だからという理由にしなくてもいい。彼女は強くて、こうして新しい土地にすっかりんで、大きな計画にいどんでいる。

 だからフェリックスは、じゅんすいにルシアへ会いたくてきたと言ってもいいのだ。

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