第三章

3-1


 海洋都市チェルン゠ポートは、フォルトナート王国の西海岸側にある。

 元は小さな港町で、住民は漁業とレモンのさいばいをしながら暮らしていた。

 しかしあるとき、チェルン゠ポートのわんがんに軍港が造られ、海上戦の要所となる。その軍港を管理する目的で『チェルン゠ポートへんきょうはく』というしゃくと領地が定められた。

 ちなみに、税収があまり期待できないことから、このチェルン゠ポート辺境伯はめいしょくというあつかいである。どの時代も、他の立派な爵位を持つ者によってけんにんされていた。

 現在のチェルン゠ポート辺境伯は、ガレス・ダンモアはくしゃくである。しかし、ガレスは身体からだの不調によって伯爵領とチェルン゠ポートへの行き来ができなくなり、辺境伯の爵位を王へへんかんすることになった。

 その後任に選ばれたのは、第一王女ルシアだ。王宮でじょにんしきを済ませたルシアは、すぐにチェルン゠ポートへ向かうことになった。

 ――第一王女は、都合のいいこまにされたようだ。

 こんやくしゃを失って帰ってきたルシアの扱いに困った国王が、名誉職をあたえるという形で王宮から追い出すのだろうと、貴族たちはひそひそとささやき合った。

 ルシアは皆からの同情の視線を浴びながら、仲良くなったフェリックスやその姉であるフィンダルこうしゃくじんマーガレットに別れのあいさつをする。

 家族とのお別れのばんさんかいでは『貴女あなたには王宮よりも港町がお似合いよ』というお祝いの言葉をもらい、それから―― ……アンナベルの部屋の前に立った。


「アンナベル、ルシアよ」


 結局、ルシアは王宮にたいざいしている間、アンナベルと一度も顔を合わせることができなかった。

 最後にもう一度だけとアンナベルの部屋に寄ってみたけれど、やはり出てこない。

 ルシアはアンナベルのじょたのみ、アンナベルのしんしつのドアの前に立つ。


「聞いているかもしれないけれど、私はこれからチェルン゠ポートに行くの」


 多くの人が、ルシアを馬鹿にしたり同情したりしていた。

 けれどもルシアは、もう気持ちをえている。


「きっとてきなところよ。いつでも遊びにきてちょうだい。好きなだけ滞在していって」


 アンナベルのふたの弟は、亡きおうたいシモンだ。

 きっとアンナベルは、ルシアの知らないところで、王太子との扱いの差に色々思うところがあっただろう。

 同じように王位けいしょうけん争いにまわされたであろう妹が、王宮にいることで心苦しいのならば、遠くはなれた地でのびのび暮らした方がいいかもしれない。


「じゃあ、私は行くわ。元気でね」


 アンナベルの部屋から出たルシアは、胸を張って歩き出す。

 ここからまた長旅だ。しかし、これからチェルン゠ポートでしたいことを考えていたら、あっという間に着くだろう。

 海洋都市チェルン゠ポート。

 漁港と軍港がりんせつするフォルトナート国の海辺の要所は、思っていたより賑やかだった。

 潮のにおい、カモメの声、そしてきつける湿しめった風。

 ルシアはかんのために毎年行っていたアルジェント王国の港町を思い出し、なつかしさにを細める。


「海風がさわやか……というわけにはいかないわね」

 うっかり外に長時間いたら、髪も肌も大変なことになるだろう。これからは常に気を付けなくてはならない。


「ルシア王女殿でんとうちゃくしました」


 馬車から降りたルシアは、いよいよチェルン゠ポート辺境伯ていに足をれる。

 山の方に城があると聞いていたけれど、こちらで生活することにした。街の外れにあるこのカントリーハウスにいれば、街でなにをするにしてもすぐに直接足を運べ、指示を出しやすいからだ。


「チェルン゠ポート辺境伯邸の管理をしているしつちょうのバリー・ウェルと申します。王女殿下にお目見えできて光栄でございます」


 門の前に立っていた初老の男性が、うやうやしく頭を下げてくる。

 ルシアはゆうほほみ、挨拶をした。


「私が新しいチェルン゠ポート辺境伯よ。まずはしきの案内をお願い。荷物はとりあえずどこかの部屋に入れておいて」

かしこまりました」


 バリーの指示で馬車から荷物が降ろされ、屋敷の中に運び込まれていく。

 ルシアはげんかんホールに入ったあと、部屋の中をぐるりと見た。

 大きなだん、多くの客人をむかえたつやのあるじゅうたん、海のがみえがかれた絵画。それになんといっても、てんじょうかがやいている見事なシャンデリア。


(歴代の辺境伯のうちの誰かが、ずいぶんとお金をかけてくれたみたいね)


 二階に続くオークの階段は少しばかりすり減っているけれど、きちんとニスがられていて、落ち着きのある艶が出ている。きっと代々の執事たちがこの屋敷を愛し、ていねいしてきたのだろう。


「とても素敵なカントリーハウスだわ」

「お気にしたようでよかったです。先任の辺境伯さまはこの屋敷を古めかしいとおっしゃって、あまりお使いにならなかったので……」


 ルシアはあらあらと思ってしまう。

 前任のガレス・ダンモア伯爵の領地は別のところにある。おそらくここは社交シーズンのついでに、年に数回ほど寄るだけだったのだろう。


「私はここで暮らすことに決めたわ。よろしくね」

「承知いたしました」


 バリーは早速、屋敷の中を案内してくれる。

 まずは一階だ。玄関ホールの横にある武器庫、戦利品やくんしょうかざるためのトロフィールーム、ゆうしつ居間パーラー、ダンスホール、晩餐会もできる立派な食堂。二階に上がれば、辺境伯用の私室にしつしつおくがた用の私室に子ども部屋、ティールーム

しょさい、サロン用の部屋に客室といった様々な部屋があった。そして、それらはいつでも使えるようにしてある。


さっそくだけれど、ティールームにお茶を用意してくれる? それから、この屋敷で働いている人たちを集めて。みんなの顔を見たいし、名前も知りたいわ」


 冬になると、ルシアはアレクサンドルと共にかんである港町へ行っていた。

 そこにあるカントリーハウスもこのぐらいの大きさで、冬を楽しく過ごすことができた。


(ここもあのやさしいカントリーハウスのようになってほしい)


 ルシアは自らティールームの窓を開け、海の風にきんぱつをなびかせる。

 息を大きく吸ったら、ドアがノックされた。


「お茶の準備が整いました」

「入って」


 ルシアはバリーにを引いてもらい、優雅に座る。


「王女殿下のお口に合うかどうかはわかりませんが……」


 バリーはそんなことを言いながら丁寧に茶を入れてくれた。


「これは……」


 ルシアは匂いだけで、この茶のめいがらがわかってしまう。

 キャラメルのような甘い香りのお茶といえば、一つしかない。


「アルジェント王国のお茶?」

「はい。長くそちらで暮らしていらっしゃったので、ご用意しておきました」


 ルシアは、バリーの気の配り方に感心する。

 この屋敷での暮らしは、とてもいものになりそうだ。


うれしい。このお茶はとても好きだったの。……よく手に入ったわね」


 ルシアの着任の話を聞いてからだと間に合わないのではないかと思ったけれど、バリーは嬉しそうにうなずいた。


「ここはチェルン゠ポートです。世の中の様々な物がここを通っていきます」

「……そうだったわ」


 アルジェント国産の茶葉も、この港でその一部が降ろされる。丁度船がこの港に寄っていったところだったのだろう。


(これは港町の強みね)


 チェルン゠ポートには『望めばなんでも手に入る』というりょくがある。しかし、そのことをまだ誰も理解していない。

 漁港とレモンと軍港があるだけのチェルン゠ポートから、望めばなんでも手に入るチェルン゠ポートという評判に変えていくことが自分の役目だろう。

 ルシアは頭の中で今後のチェルン゠ポートについての計画を立てながら、茶にえられていたクッキーに手をばす。


「クッキーもしいわ。どこのお店のものかしら」


 少し塩気を感じるクッキーは、口の中でほろりとけていく。

 店に行ってみたくなっていたら、バリーが店の場所を教えてくれた。


「この屋敷のコックが作りました。おめいただいて光栄です」

「そうだったの。王都で店を開いたら一番の人気店になると伝えておいて」


 ルシアはティータイムをゆっくり楽しんだあと、とある決断をする。


「……決めたわ」


 港町チェルン゠ポートを誰もが行きたくなる街にする。これが最終目標だ。

 そのためにも、まずは港を発展させなければならない。


(どこの国の船も寄港したくなるような魅力を、チェルン゠ポート港に持たせる。食料、こうひん、ウィスキーにワイン……それから船の修理材料も必要ね。船乗りが遊べるところも増やさないと)


 国内の評判を上げるよりも先に、国外の評判を上げた方がよさそうだ。その辺りのことは、チェルン゠ポート議会にも協力してもらおう。


「あとは海域の安全確保ね」


 沿岸の警備をしている海軍とのれんけいは、とても重要だ。


(やはり、あしもとを固めるところから始めたい。……どう考えても手が足りないわね。ゆうしゅうな人材が必要よ)


 さてどうしようか、とルシアは考える。

 前任の辺境伯は現地で人をやとっていたのか、それとも家から連れてきていたのか。まずはそのかくにんをしてみよう。

 とりあえず明日は山にある城に行ってみて……と予定を立てていたら、ルシアの用件を済ませてくれる人物が自ら挨拶にきてくれた。


「辺境伯さま。面会を希望している方がいらっしゃいますが、どうしましょうか」

「私に?」

「チェルン゠ポート議会のエイモン・ストーム議長の令息であるメリック・ストームさまでございます」

「二階に通して」


 客人を迎える場所は玄関ホールではなく、二階に上がったすぐのかんげいである。

 この歓迎の間には、一枚板のりの絵がかけられ、値段がつけられないような絨毯がかれ、天井にはごうなシャンデリアがかけられていた。

 ここは客人に『らしい』と言わせるための場所なのだ。


「メリックさま、あちらへどうぞ」


 バリーが客人を案内している。

 きんちょうしていますという顔をしながらおそるおそる二階に上がってきたのは、二十代半ばの茶色のかみの青年だった。


「お初にお目にかかります! メリック・ストームです!」


 メリックは、王族への挨拶の仕方がわからなかったのだろう。ルシアを見るなり勢いよく頭を下げ、そのまま固まってしまった。


「顔を上げて」

「し、失礼します!」


 ルシアは、メリックが緊張しないように優しく微笑みかけた。


「議長の代わりにここへ?」

「え? あっ、すみません! そういうつもりでは……!」


 どうやらメリックは、議長の代わりに挨拶をしにきたのではなくて、別件でおとずれたよう

だ。彼はカバンから書類を取り出し、ルシアに差し出す。


「あの! ぎの資料です! 必要かもしれないと思って作ってきました!」

「引き継ぎ……?」

「ガレス・ダンモア伯爵さまの辺境伯としての執務を手伝っていた方々は、ダンモア伯爵家にほとんどもどりまして……」


 ルシアはわたされた資料をめくってみる。丁寧な字で様々なことが書かれていた。


「ありがとう、助かるわ。……ほとんどということは、残った人もいるのよね?」

「はい……。残ったのは、元々ここに住んでいる僕だけです……」


 メリックは、城のどこになにがあるのかをゆいいつ知っている人らしい。親切な彼は、後任者が困らないようにしてくれたのだろう。


「メリック。貴方あなたは今、どんな仕事を?」

 

 資料には数字も丁寧に書かれている。

 おそらくメリックは、読み書きだけではなくて計算もある程度はできるはずだ。


「今は……職探し中です……」

「そうだったの。実は私、辺境伯の仕事を手伝ってくれる人を探していたところよ。私が雇うから、早速明日から城にきて」

「……! 本当ですか!?」

「ええ。これからよろしく」


 ルシアがあくしゅをするために手を差し出せば、メリックはあわあわとルシアの顔と手をこうに見た。それから意を決したのか、ルシアの手を両手でにぎる。


「貴方は議長のむすよね? 議会についてだけれど……」


 メリックは、議会とルシアの間に立つことができる人物のはずだ。

 ルシアはメリックから議会の話をくわしく聞いてみたかったけれど、その前にバリーが声をかけてきた。


「辺境伯さま、海軍のレオニダス・エルウッド将軍がいらっしゃいました」


 もう次の訪問客が現れたらしい。

 メリックは「将軍さま……!?」とおどろいたあと、あわててカバンをかかえる。


「おいそがしいところ失礼致しました……! それでは、僕はこれで!」


 ルシアがなにかを言う前に、メリックは慌ただしく出ていってしまう。ルシアは賑やかな人ねと笑いながら、バリーに次の客人を通すよう頼んだ。


「ルシア王女殿下、お目見えできて光栄でございます。私は海軍で将軍職を頂いているレオニダス・エルウッドと申します」


 歓迎の間に入ってきたレオニダスは、ルシアに最高礼を見せた。

 ルシアは王女としての気品あふれる微笑みでそれに応える。


「このたびは、チェルン゠ポート辺境伯のご就任おめでとうございます」

「ありがとう。これからみなと協力して、チェルン゠ポートの発展と防衛に力をくすつもりよ」


 海軍は、ルシアのチェルン゠ポート到着日と住む場所をきちんとあくし、すぐ挨拶にきてくれた。この様子なら、船に乗ってのんびり釣りをするのが海軍の仕事だと言い出すことはないだろう。


(軍をしっかりとう)|率《そつしている将軍がいてくれてありがたいわね)


 ルシアはずっとフォルトナート王国を離れていたため、国内のことをあまり知らない。レオニダスについても将軍だということしかわからない。まずはレオニダスの人となりをしっかり知っていこう。


「辺境伯さま、評議会のエイモン・ストーム議長がいらっしゃいました」


 これからレオニダスとだんしょうでもと思ったけれど、早々に三人目の訪問者の知らせが入った。どうやら今日は、多くの訪問客を迎えなければならない日らしい。


「慌ただしくて申し訳ないわね」

「とんでもないことでございます。お忙しい中、ありがとうございました」


 レオニダスが下がれば、今度は議長のエイモン・ストームが入ってくる。


「お初にお目にかかります……!」


 ルシアのチェルン゠ポート着任一日目は、様々な訪問客と挨拶をするだけで終わった。

 挨拶の最中に気になる話も出てきたけれど、その前に皆との仲をもっと深めていかなくてはならない。しんらいできる相手でなければ言えないことは、いくらでもある。


(これからすべきことを考えるだけでも眼が回りそうだわ。……でも、とても楽しい)


 ルシアはここにいる間、驚くほどじゅうじつした日々を送れる気がしてきた。

 落ち着いたらフェリックスに手紙を書こう。あの心優しい友人は、ルシアのことを心配しているだろうから。

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