不破准教授の恋は誤答率100%
藤原ライカ
春浅し
第1話 成瀬 泉
バイオテクノロジーの分野で、
しかし彼は、間違いだらけの恋をしている。
そんな不破准教授には、
鉄の掟があるそうだ。
◇ ◇ ◇
「ねえ、泉、うちの大学で臨時秘書しない?」
高校時代の親友に呼び出された居酒屋で、仕事の斡旋を受けた
「なんで、わたし? 普通に募集かければいいじゃない」
「急を要するのよ。いまから募集をかけて、書類選考して面接となると、最低でも1か月はかかるでしょ。それに今回は英語力と秘書経験が必須だから、条件を満たす人材を確保するのはそこそこ難しいと思うのよね」
「それなら、
艶のある巻髪に上品なスーツを着こなす帰国子女の親友、
「わたしはすでに人事担当として総務課で働きながら、学長と学部長の秘書を兼務しているのよ。社畜ならぬ学畜、一歩手前。これ以上は無理だから……で、日給はこれでどう? これプラス、交通費やら諸手当あり」
2本の指を見て、悪くないと思った泉は、ついつい話を聞いてしまった。
これが、大きな誤りだった。
高校卒業後、アメリカの大学に進学した泉は、大学時代の友人に誘われ、現地のオンラインゲームの開発を手掛けるベンチャー企業に、広報担当として就職した。
給料はすこぶる良かったが、環境はとてつもなく悪かった。
ここは本当に、残業大嫌いなアメリカなの?
目を疑うほどのブラック企業ぶりに、泉は唖然となった。
上手くいかなかったら日本に帰国して、就職先を探そうという安易な考えが悪かった。もう少し調べてから就職するべきだったと後悔しても、もう遅い。
社内の過半数をしめるエンジニアたちは、人間であることを半分以上放棄した集団で、なかでも最高責任者であり、会社の代表という立場にあった男は、不健康代表そのもの。
ほぼ週1のペースで倒れていた。社長にして、社畜オブ社畜。
そんな男を間近でみること一年あまり。
広報担当ということで残業も多くなく、給料が良いだけに、なかなか辞める気にはなれなかった泉だが、
「もうムリ、見てられない。見ているこっちがメンタルやられそう」
クビを覚悟で、職場環境の改善に乗り出した。
基本三食しっかり食べ、睡眠は8時間以上を目標にしている泉が、広報業務のかたわら、不健康男の食事管理にはじまり、自宅と会社の強制送迎、スケジュール管理といった秘書業務を兼務するようになった。
諸悪の根源である男は、最初こそ抵抗をみせたが、就業規則と労働法を盾にした泉に白旗をあげるのは予想よりも早く、
「イズミ! 今日はダメだ。今夜中に絶対に仕上げないと、来週の納期が……頼むよ!」
懇願してくるようになった。しかし男が泣こうが、喚こうが、怒ろうが、問答無用である。
「ダメです。会社の代表たる者は自身の健康管理に気を配り、他の社員の見本にならなければなりません」
「わかってる。だから、今日だけ! これが終わったら休暇を取るから」
「休暇のスケジュールはすでに別で組んであります。変更はできません。今日はすでに残業3時間です。つづきはまた明日、もちろん定時に出勤です。さあ、帰りますよ」
「だったら! あと5時間……いや、3時間でいい。日付が変わるまでには帰るから」
「昨日も同じことを云っていましたが、実際に帰ったのは深夜2時でしたね。ビルの防犯カメラで確認しました。退社時刻を大幅に誤魔化さないでください」
「何もそこまでチェックしなくても……」
「そこまでさせているのが、誰なのか……わかりませんか? 会社のトップが定時を守らないから、みんなが帰りたくても帰れない。なぜ、アメリカでこんなことが起きるのかしら? これは古き悪き日本の社内環境そのもの。訴えられたら即負けです。ためしに、わたしが訴えてやる」
会社代表の肩書を持つ男の顔が、サアーッと青ざめていく。
「イズミ……ちょっと、待って」
「いいですか。これまで何度も云ってきましたが……」
デスクの背後にまわり込んだ泉は、ディスプレイの電源を切る。
「ああぁぁぁ……」
「もう一度だけ、いいます。上司がダラダラとオフィスに居座られては、下の者が帰りづらいのです。古い日本企業のような旧態依然とした職場環境で働きたいという有能な社員はいません。目先の利益だけを求めて、人を大切にしない企業に、輝かしい未来はありません」
泉の指先は、パソコンの主電源に向かった。
「や、やめてくれ! 頼む!」
「今すぐ、シャットダウンしてください。そうしないと、3秒後にプチッと落とします。これがただの脅しではないことは、よ~~くご存知かと思います。わたしは、ヤルといったらヤリます」
震える男の手が動き、データは保存された。
「お疲れさまです。グッバイ、エディ」
徹底した生活管理の甲斐あって、倒れることが減った男の率いる会社は徐々に職場環境が改善され、社員のモチベーションも上がっていく。
「ブラック企業から、ようやくグレーぐらいまでは改善したかな」
泉も手ごたえを感じていたその翌年だった。満を持して発表したソーシャルオンラインゲームが空前の世界的ヒットとなり、男の会社は大成功をおさめる。
そして、はやくも続編が期待されるなか —— それは起きた。
『インスピレーションがわかない。ちょっと新しい世界を見てくる』
ふざけたメールを送ってきた最高責任者が失踪。
もぬけの殻となっていた男の部屋で、泉は叫んだ。
「異世界にでも行っとけ!」
会社代表の失踪により、会社は一時休業。
一時帰国した泉だったが、一年経ってもこの状態はつづいており、このまま日本で就職しようかなと思っていた矢先に、高賃金の仕事を斡旋されたのだ。
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