■2■
扇風機の音が静かな部屋の中に響いてた。
フっと開いた瞳の中に薄暗い部屋の天井が一番最初に映りこむ。鈍痛がする頭に片手を額に押し当てる。それだけで何を意味するのか分かった。
「また、か」
暫くそのまま「はあー」長く息を吐き出し、真上に向けていた視線を横に滑らせてホっとする。俺の隣には翼が居た。
タオルケットにくるまるようにして眠る翼は固く瞼を閉じて起きる気配が無い。
逆隣にはベッドが置いてあり、そこからはグーグーとイビキにも近い寝息が聞こえてきた。カズだな。
もう一度瞼を閉じる、が眠れず仕方なく上半身を起こした。
音をたてぬように立ち上がり部屋を出る。見慣れた新しいカズのマンションの一室で安心する。ベッドで眠るカズもさほど変わってねえ様子だ。
だけどこんな事にも限界がある。俺と翼はこのおかしな状況に巻き込まれてから何ら様子が変わってねえ、反してこの時代に生きる人間は歳をとってく。カズもその一人だ。
カズには宇宙人で説明がついても他の人間には苦しい言い訳だ。10年も時代を飛び越えたら説明がつかねえ。それこそ気味悪がられて終わるか別の面倒な問題に巻き込まれる可能性もある。
「頭いてえ」
とにかくこの鈍痛はやめてもらいてえな。後ろ手に寝室の扉を閉めてこめかみを指先でぎゅっと押し眉間にシワを寄せる。
「起きたんだ」
そんな時だった、部屋を出た廊下の奥からその声が聞こえてきたのは。
こめかみに押し付けていた指先を離す。暗闇に包まれた廊下には何の影も無い。それが逆に不気味だと思いながらも足を進め、台所兼リビングになっている部屋に顔を覗かせた。扉は開かれたままだった。
「起きなくても良かったのに」
テーブルに突っ伏すようにしていたその顔がゆっくりと俺に向かって上げられる。顔を上げたのは弟を前回引き取ったカズの知り合いの男だった。女みてえな顔だがその顔に似合わず残酷な表情を見せる。
名前なんつったか…。
「俺はハチだよ。」
俺の考えを読み取ったようにハチが言う。ああ、へえーそうですか。
「お前はどうしてここに居るんだ?カズのマンションだろ」
「居ちゃ悪い?別に友人が泊まりに来てたっておかしい事じゃないでしょ」
友人ねえ。そう言うわりにテーブルの上にはギラギラと光る折りたたみ式のナイフが刃先を出された状態で置かれていた。
普通の友人はそんなもん持ってこねえと思うけどな。
「アオがあんたが起きなくて心配してたよ。明日あんたが起きたの知ったら大喜びだね」
「俺が寝てた間、弟に何かしてねえだろうな」
カズの友人とは聞いてたがカズとは間逆の存在だという事は分かってる。いつも他人の裏を探ってる。おかしな点があれば容赦なくそのナイフで切れるあぶねえ人間だろう。
キャラメル色の髪を邪魔そうに後ろに払い、そのまま腕にはめていた髪ゴムで雑に後ろに一つに結び上げる。
一連の動作を黙って見届けていた俺にハチはフっと口角を持ち上げ微笑んだ。
「何もしてないよ。心配性な兄貴なんだね。」
「弟を兄貴が心配して何が悪い。お前だってその点だけは同じだろ」
「…そうだね、その点だけは同じかな。でもそれが分かるからへし折ってやりたくもなるよ」
ナイフの鋭さを確認するようにハチが自分の指先を先端に埋めていく。
人差し指を暫く押し付け、ナイフの先端から離すと指先にはべっとりと自らの血が纏わり着いてた。あぶねえ野郎だな本当に。
「アオにいくら忠告してもあんたの事信用するのやめないんだよね。あんたも弟の事は絶対助けられるって自信があるだろ。そういうの見てると目障りなんだよね」
「……」
「そういうの見てると壊してやりたくなる。そんなにアオは俺が心配ならアオも俺と同じ気持ちを味わうべきだって思うよ」
挑発するように残酷な笑みもプラスして言うハチがナイフをわざと焦らすようにして折りたたんでいく。
あれからどれだけ時間が経ったのかは分からねえが、こいつは全く変わってねえらしい。
その表情、まだたぶん復讐はやめてねえだろうなあ。まあ俺の知ったこっちゃねえけど。
カズには悪いが、翼をあぶねえ事に巻き込んでまで関わりたくはねえ。こっちはこっちで忠告したんだ、それで止まらなかったのならもう手遅れだって事だ。
腹の虫の居所が悪いと、それだけで翼にあたってきそうじゃねえか。
それが分かってていつまでもこのあぶねえ人間に関わってるのは馬鹿のする事だ。
何を言っても意味がねえんだろうと反論するのを止めてハチに背を向けた。真後ろの気配はしっかりと感じ取りながらも部屋に戻ろうと足を進める。
廊下の途中まで来た所で室内からハチが立ち上がったような足音が聞こえてきた。
肩越しに振り返り足を止めるとナイフをポケットの中に押し込んだハチがクスクスと笑いながらも自分の首に両手をかけた。
「アオ、何かあるみたいだね」
「…何の話だ」
「何かトラウマがあるみたいだ。」
ね?語りかけるように自分の首にかけていた両手を離し揺らして見せる。暗闇の中ジっとこちらを見つめるハチの視線は挑発的なまま。
俺を怒らせようとしてるのは分かる。
きっと同じ兄貴として妬んでる部分があるんだろう。
自分はこんな思いをしてるのにお前はそんな幸せそうで許せない、瞳がそう語ってる。
「可哀想に。俺があいつのトラウマを治してやろうか」
「お前に弟は任せられねえよ」
「何でよ。ちょっと暫く貸してごらんよ。しっかりトラウマ消してやるから」
「その代わり別のトラウマを植えつけそうじゃねえか」
「ご名答!」
冗談めいた口調で言葉が返ってくる。パチパチと嘲笑うような拍手まで付けられた。
「ああいうのは別の何かでかき消した方が簡単に消せると思うよ。」
「弟に構う前に自分の行動をどうにかしたらどうなんだ」
「俺の行動に何か文句があるの?」
「復讐、止めてねえんだろ」
鈍痛がまた酷くなってきたのはこいつと話しているのが原因かもしれねえ。背中を壁に預けながらも腕を組み一度深く息を吸い込み吐く。それでも鈍痛は大して良くはならなかった。
俺の言葉を聞いたハチは驚いたように瞳を見開き、すぐにまた元に戻す。あの残酷な表情に。
「弟もカズもお前の妹も心配してるのに結局変わらないんだな」
俺達の事については口を出すのが好きなくせに、自分の話になると静かに押し黙り俺の様子を窺ってる。
と言うよりも何も言う言葉はねえのかもな。何を言われてももう止まるつもりもねえし、何を言われても心に響かねえ、ハチは黒に染まりきっちまったのかもな。
「弟はお前の事心配してるみてえだけど、俺はお前の事なんてどうだっていい。忠告は一回で聞くもんだ」
「忠告ね」
「俺はお前に忠告しただろ、あれで終わりだ。他人にそんな構ってやる性格じゃねえのよ俺は。」
「それはありがたいね。毎度毎度煩く口挟まれたら殺しちゃいそうだもの」
「弟の忠告もちゃんと聞かねえと俺がお前を消すかもしれねえぞ」
言ったよな、弟に手を出したらって。あれもちゃんとした忠告だ。分かってて聞けねえ馬鹿を俺は野放しにはしておかねえよ?
「復讐を止めてねえなら自分の事で忙しいだろうが。俺達に構ってる時間なんてねえはずだろ」
「息抜きだってたまには必要なんだよ?」
「お前は頭の悪い馬鹿じゃなさそうだと思ったんだけどな」
「分かってても時々危ない道に足を踏み込みたくなるものよ」
分かってて足を踏み込むなら、それは馬鹿じゃなくて大馬鹿だな。
「アオに手を出したら飄々としてるあんたがどれほど怒るか見ものだね」
「本当に性根が腐ってるんだな」
「あんたも同じ部類に思えるよ。弟に手を出されたらどんな事でもしそうじゃない。俺に忠告してきたけど、あんただって俺と同じ立場ならきっと全く同じ事をしてるでしょ」
確かに、それについては何も言えねえな。
だからと言って俺達に当たるのは間違ってるだろ。同じ立場になりうる人間がたまたま近くに居ただけだ。
「同じ立場になるって分かってんならやめておけよ」
「どうして?仲間が増えて嬉しいじゃないの」
「そうか?俺の場合、復讐する相手はお前一人に絞られるんだぞ。意味が分かってんのか?」
複数居るより少人数の方が楽でいい。忠告を無視した代償はでかいからな。
視線だけで最後、言い聞かせた俺にハチは肩をすくめるだけで大して怯えた様子は無かった。むしろ好奇心が勝るのか楽しげに笑ってる。クスクスと。
「アオはあんたと違って可愛くていいよね」
もう何の言葉も無意味だと分かり、背中を向けた俺にハチが静かに毒と言う名の言葉を塗りつけていく。
「あいつはきっと泣くだろうな。色んな表情を見せてくれそう。やっぱり何かするならそっちの方が楽しくて良い。」
寝室のドアノブを静かに掴む。言葉を聞く前に入ろうとしたが失敗した。室内に俺が入るよりも早く、ハチが最後の言葉を塗りつけた。
「アオの首を絞めたらどんな反応するのかな」
ノブを掴んでいた手をゆっくりと離す。
冷たい感触が未だに手のひらにじわじわと残ったままだった。分かりやすい挑発だ。
ただ、何がタブーなのかしっかりと分かってる言い方。相手のどのスイッチを押したらそいつは爆発するのかしっかりと理解してる。
暗闇の中もう一度振り返り、ハチと対峙して沈黙を貫く。こっちの笑みは消えてもハチの笑みはまだやっぱり消えて無かった。俺が爆発するのを楽しげに見届けてるのが分かる。
毒を塗られて毒を塗り返すような面倒な事はしたくねえ。ハチの駄目なスイッチは何となく分かってる、がそれを押したって今のこいつは楽しがるだけだろう。じゃあ何が一番効くか。
「お前も兄貴の立場なら分かるだろ」
「……何がだよ」
「俺の弟に何かする前に、それを自分の妹に置き換えて考えてみろ。それでもそういう事が出来るなら、実際お前は妹なんてどうだっていいんだよ。復讐してるのは単に自分の気持ちが晴れねえだけだ」
静かに固唾を飲む気配を感じて、今度こそドアノブを強く掴み引き寄せた。開いたドアの中に足を踏み入れながらも寝室の中には聞こえぬよう、ハチに向かって小さい声で言ってやる。
「妹の気持ちまで考えられなくなったら、それはもう兄貴じゃねえぞ」
一旦言葉を待ってやるが、ハチは何も言わずただただ部屋の中から俺をジっと睨むように見つめ続けているだけだった。
暫く互いに視線を交錯させた後、俺が外して寝室へと戻る。舌打ちの一つでも聞こえてくるかと思ったが、一切何も聞こえてはこなかった。
まるで嵐の前の静けさみてえだと思いながらもさっきまで寝転がっていた布団の上に腰を下ろす。
数秒胡坐をかいた後、ごろりと横向きに寝転がりギョっとした。
隣に寝ていた翼と視線が絡む。暗闇の中ジっとこちらを見つめていた翼は何も言わずにタオルケットを肩まで引き寄せ俺に背を向けるようにして寝返りを打った。
会話が聞こえていたんだろう。あれは言いすぎだ。背中がそう語っていたけど撤回する気はさらさらねえよ。俺だってお前の兄貴だ、譲れねえ気持ちがある。
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