5-2
アイスコーヒーのグラスにかけた手がピタリと一瞬動きを止めた。
視線は真っ黒なその中に注がれたまま、指先がゆっくりとストローを掴んで氷とアイスコーヒーを混ぜた。
「俺があいつらに会った時、八百屋の前でさー。こうずらーっと野菜とか果物とか道路に面して並んでんじゃん?その前に二人で心細そうに手繋ぎ合って立ってたんだよねー。周り見たら親も居ない感じだし、そうしてる間に月斗がさ葉月にこそこそ耳打ちしてさー。そしたら葉月がどっか行くわけ。店から見えないところに駆けて行くんだよ」
なんか気になる兄妹じゃん?と明るく問われ、言葉も出なかった。
「そんで何すんのか見てたら、店のおばちゃんがよそ見した隙にぶどうを二つ持って駆け出していくんだよな。まじかすげーって思ってさー」
「それ止めたんですよね」
「何で?止めねえけど?」
「何でですか……」
「だって食べたかったんだろ?おばちゃんも気づいて無かったし、成功したならそれで良かっただろー」
全然良くない。何にも良くないですよ。
愕然とする俺を、おかしそうに笑って見つめてくる。笑うと瞳がスっと細くなる。何だか冷たい双眸にすら見えた。
「やるなーって思って見てたんだけど、店から離れた場所で待ってた妹のところにぶどう持って行ったら、全部妹に食べさせてんの。葉月はほら月斗より小さいからなー。兄ちゃんがおれは大丈夫って言えば、大丈夫なのかなーって思うし、自分も腹減ってるからそれどころじゃないわけだ。必死に盗んできたぶどうをぺろっと食っちゃってて。美味しい美味しいって言う妹を、良かった全部食べなーって言ってる細い身体のガキみてたら何かねー」
充希さんは手の平でぶどうを持ったジェスチャーを加えると、それを自らの口元へと運んでみせた。
それから頬杖を着くと「俺にも弟が居るんだよな」と消え入りそうな声で呟いた。
「でも俺は弟を守らず逃げちゃった。その二人見てたら色々思い出してさ、何か放っておけねえなって思って気が付いた時には声かけてたんだよねー」
「……児童相談所とかには」
「あいつらの住む家の近くではちょっとした噂にはなってるらしい。いつも同じ服着て、泥だらけで、もしかしてネグレクトか何かなんじゃないかって。でも保護するほどじゃねえって思ってるんだろうなー。それに今の世の中、下手に他人が介入しすぎると状況が悪化する事もあるだろ。一回保護されても、親がそうじゃないって言えば家に戻されたりするしなー」
確かに、悲しい子供のニュースは沢山目にする。虐待されて亡くなった子供。児童相談所に相談を受けていたのに助けられなかった子供。
だとして充希さんは、ずっとーーーーーそれこそあの二人が自分の力で生きていけるまで一緒に居てあげるつもりなんだろうか。
こっそりと親の目を盗んで食べ物を買い与えていくつもりなんだろうか。
「俺、雪ちゃんにちょっとしたお願いがあってここに呼んだんだわー」
ほら、食べなと未だに手をつけていなかったドーナツを再び差し出される。未だに食欲はわいてこないけれど、粗末にするのも失礼で無理矢理口をつけた。
「お願いって何ですか」
「俺ねー仕事上、今忙しくてあんまりあいつらの様子見に行ってやれねえの。たまにで良いからあいつらの事見に行ってやってくれねえ?」
「……何でそんな事俺に頼むんですか」
「何で?」
「………」
「雪ちゃんが哀れそうにあいつらの事話すから。放っておけねえって分かるから。この状況が良い事じゃねえって分かりながら、もがいてる感じがするから」
俺、そういう奴嫌いじゃねえんだよなーと充希さんは明るく笑って、目の前に1万円札を3枚差し出してきた。
何をされたのか理解できずに瞬きを何度も繰り返してしまう。
ちょっと待って。ちょっと待った!
「何ですかこれ!いりません!いりませんからね!」
ドーナツ屋の店内で三万円も貰う意味が分からないし、嫌な予感しかしない。受け取ったらやばい気がする。確実に。
なるべく声を潜めながらも一万円札を充希さんへと押し返す。だけれどすぐにまた俺の目の前へと戻される。戻してくるな!
「これでー」
「みなまで言わないでください!聞きたくないです!」
「二人にー美味しい飯食わせてやってあげてー」
「絶対嫌です!何で俺が!充希さんがすれば良いでしょ!」
「だから俺は暫く忙しくて会いにいけねえから、その間だけ」
「だから何で俺が!」
「雪ちゃん俺に借りがあるの忘れてんねー」
はあ!?ドーナツか!?ドーナツの事言ってんの?食べちゃったけど。確かに食べさせていただいたけど、それだけで借りとか言わないでしょ。
「何言ってんですか!ドーナツ代くらいなら自分で」
「命助けてあげたのにな。白状な奴」
「……は?」
「あ!」
命って何の事言ってんのこの人。
きょとんとしたまま充希さんを見返した視界を一本指が滑っていった。それは、ドーナツ屋の店内から真っ直ぐ窓の外を指さしていて、反射的にそれを視線で追いかけてしまう。
ガタンと椅子がひっくり返りそうな勢いで音をたてた。まさかと思い、目の前をもう一度見た時には充希さんの姿は無くて。
「じゃあよろしくー」
店内の自動ドアを潜って外へと走り去った背中に発狂しそうになる。
あ!って、あ!って、何も無いんかい!と内心で突っ込みながらも三万円を握りしめてその背中を追いかけた。店内を飛び出して充希さんが走り去った方向へと駆けだしたけれど、その姿はもうどこにも見当たらなかった。
勢いで握りしめた大金が手の平の中でくしゃくしゃに潰れてる。冷たい風に吹かれると端が頼りなくカサリと揺れた。
どうしようと途方に暮れたけれど、そもそも聞かなかった事にすれば良いのではと自分に言い聞かせた。このお金は次に充希さんに会った時に突き返す。文句を言われるかもしれないけれど、俺は………あの子達を救える気がしない。何かしても全部罪悪感に変わってしまう。
お腹が空いたと泣く二人の姿が浮かぶたび、何度も頭を振って振り払った。
光輝さんから怒りの電話がかかってきたのは、その翌日の事だった。
大学終わりを狙ったかのようなタイミングでかかってきた電話に、「あ、光輝さんだ。何か依頼かな」くらいの軽い気持ちで出た事を後悔した。
『ばばあの用事済ませて事務所に戻ってきたら、扉の前でこの間のガキ二人が座り込んでやがった。何やってんだって聞いたら『雪ちゃんがここにおいでって言った』だと。てめえの脳みそは空なのかよ。何も入ってねえのか。挙句、帰れって怒鳴ったら大泣きしやがった。どいつもこいつもいい加減にしろ』
「………と……とりあえずすぐ行きます……」
ようやく絞り出した掠れきった声に、光輝さんは『20秒で来い』と言って電話を切った。某有名アニメ映画のおばさまだって40秒の猶予を与えてくれたというのに。
どうしてあの二人が光輝さんの事務所に来たのか。理由は考えずともすぐに分かる。充希さんの仕業だろう。
二人は一度、あの事務所に来た事があるし、充希さんもあの場所を知っていた。だからきっと、自分が居ない間あそこに行けと俺が言っていたように伝えたに違いなかった。
物凄く怒っているであろう光輝さんに会うのは恐ろしかったけれど、電話越しにも大泣きする二人の声が聞こえていたので急いで何でも屋へと向かった。
事務所の扉をノックも無しに開くと、もう泣き声は響いておらず、ソファーで小さくなって座っている二人がちびちびとオレンジジュースのコップを手に喉を潤しているところだった。
腕組みして待っていた光輝さんにギロリと睨まれる。
充希さんの事を説明すると、それはそれで面倒な事になりそうだ。絶対さらに叱られるしなあ。厄介事に巻き込まれてんじゃねえとか言われるに違いない。俺もそう思っているし。
色んな言い訳がぐるぐると頭を埋め尽くす中、素直に「ごめんなさい」と項垂れる。
そもそもは充希さんの誘いにのってドーナツ屋に行った俺が悪かった。あの場で無視していればこんな事にはたぶんならなかったはずだ。
顎をしゃくられ、それが連れて帰れ、今すぐ追い出せという意図を示している事が分かる。
子供ながらにその空気が分かるのか、二人はちびちびとではあるけれど、それでも少し急ぐようにオレンジジュースを飲み干した。
俺と光輝さんを不安そうに交互に見やる瞳を直視出来ない。そんな縋るような目を向けないで欲しい。
とりあえず今日は帰ろうーーーーーそう言って促そう。帰り道で言い聞かせる……しかない。ここは仕事場で、二人が来ると迷惑……いやそれは無い、酷すぎる、そんな言葉はあんまりだ。でも曖昧にしても二人のためにならない。どうしよう、この八方塞がりの状況。
その時、ソファーに腰かけていた二人から盛大なお腹の音が聞こえてきた。
空腹を知らせる合図のように無音に包まれた室内にぐるぐるーという、情けない音が響く。
「……あ……」
恥ずかしそうにお腹を押さえた月斗くんが、何でもないよと言わんばかりに頭を激しく横へと振った。治まれ治まれと両手でお腹をぽんぽんと叩く。
葉月ちゃんが悲しそうに「はづちゃんおなかすいた……」と月斗くんの腕をぐいっと引いて、訴えかける。
「おい」
「……え、はい」
ふいっと二人から視線を逸らしてデスクへと戻っていく光輝さんがもう一度顎をしゃくる。それが先程までの問答無用に連れていけと、冷たさを孕んでいた視線とは少し違う事に気が付いた。
言われている意図を汲み取って、「あの」と二人に話しかける。
「パンケーキ食べる?」
「……たべる!!」
「たべる!!」
「おい」
デスクを軽く叩く音。二人が同時にぴゃっと肩を上げて驚くと、光輝さんは「ガキ共」と凄むように瞳を細めた。
「アレルギーはねえだろうな」
その顔でーーーーーだから本当に言葉と表情が合ってない。
アレルギーは無いという二人に、棚の中に押し込んであったパンケーキミックスでパンケーキを焼いた。調理場は本当に簡素なもので、備え付けのIHが一つしか無いけれどパンケーキくらいならそれで事足りた。
いつ用意していたのか、蜂蜜もバターも冷蔵庫の中にあって、もしかしていつかのためにと思って光輝さんが買って来たんだろうかと頭を過ったけれど口にはしないでおいた。
目の前で「おいしいっ」「おいし!」とパンケーキを頬張る二人に「良かった良かった」と頷きながら、これからどうするべきなのか一人で考えていた。
結局充希さんの思惑に嵌まってしまっている気がしてならない。
「雪ちゃんは、パパとママいる?」
口端に蜂蜜をたっぷりつけたまま、月斗くんが小首を傾げた。
隣では葉月ちゃんが二枚重なっていた下のパンケーキにフォークを突き刺したところだった。
「うん。居るよ」
「お家にいる?」
「んー。働いてるから居ない時もある」
「それってさみしい?」
「………」
「かなしくなる?」
子供ながらに純粋にその答えを知りたがってる。
今、もしまだ一緒に住んでいたとして、俺は俺で大学生活もあればこうして光輝さんの所に来させてもらったり、バイトもあったり。寂しいとか悲しいって感情は無いと思う。
けれど二人と同年代だったとしたら話は違う気がする。きっと寂しさや悲しさを感じるはずだ。
でもそれを言葉にして良いのかが分からない。
二人の何かを崩壊させてしまう事になるような気がして。
押し黙っている俺を見て、月斗くんは何てこと無さそうに「ぼくさみしくないの」と言った。何の感情もこもっていない瞳だった。
「しーってしなくていいもんね」
「うん。ふたりでおうちにいて、パパもママもかえってこなくてもさみしくない。ふたりでぎゅってしてたらだいじょうぶ。でもお腹はすくんだよ。それはかなしい。これって変なのかな」
「こうえんであそんでると、みんなパパとママがいてうれしそうなの。でもはづちゃんもつきちゃんもそれはちがうから、へん?」
「………」
「どうしたのゆきちゃん。おなかすいた?おなかすくとなみだがでちゃうの。かなしいかなしいってなるからね。はづちゃんのパンケーキちょっとあげる。はい、あーんして」
「ごめ……っ…」
違うんだよ。悲しいなんて思うのは違う。二人はそう思って無い。でも心が苦しい。同年代の子供とは全く違う事を言う二人を見ていると、涙が止まらない。泣いたらいけない、二人が泣いていないのに。
それでも涙が止まらない俺に、葉月ちゃんは心配するようにフォークに刺したパンケーキを差し出した。それを口に含んで咀嚼しながらも、ずっと泣き続ける俺に月斗くんが「よしよししてあげる」と言って、頭を撫でてくれた。
額に触れた手の平から、沢山の悲しい記憶が流れ込んでくる。
家の中は酷く荒れていた。
テーブルの上に散乱した空き缶と煙草の吸殻。
周りはゴミ袋で埋め尽くされている。
その一角に小さなスペースを確保して、二人の寝床がつくられていた。
電気が消えた部屋の中、テレビから漏れる光がパチパチと爆ぜるように明るくなって暗くなるを繰り返す。
ゴン、と音をたてて壁に投げつけられた空き缶が二人の足元に転がってくる。
腹立たし気な舌打ちに、妹をぎゅっと抱きしめて布団を被った。
布団の隙間から見える両親は、それぞれ別の方向を見てそれぞれの時間を過ごしてる。
今日は一段と不機嫌そうな父親が、テレビのリモコンを掴んでむやみやたらにチャンネルを変える。
丸テーブルの上で派手な化粧をする母親は、自分達の事を見ようともしない。
自分達は居ないもの。
ここには存在しないもの。
息を殺して小さくなる。
この二人に強請ってはいけない。
何かを言うと途端に酷くあたられる。
こうしていると二人はなるべく無事でいられる。
お腹は空くけど大丈夫。
明日になったらきっと、きっと。
布団の隙間から薄っすら見える景色はいつもそんな冷たい世界だった。
ふっと消え去った映像が現実のものとすり替わっていった。
額に触れていた月斗くんの手の平が離れていったからだ。
テーブルの上に置いてあったティッシュ箱を持ってくると「はい、どうぞ」と差し出される。それを両手で受け取って、何度もありがとうとそう言った。
こんなに優しい子が、この時期に色んなものを望めない。妹を守るのに必死で、生きていくのに必死で、それでも明日になったらきっと大丈夫だって自分に言い聞かせるように生きているんだ。
さっきだって、二枚重なっていたパンケーキの上を妹の葉月ちゃんのお皿に分けてあげていた。
「パンケーキ……まだ作れるよ」
ティッシュで涙を拭いながら、言うと月斗くんは花でも咲いたような満面の笑顔を向けてくれた。
お腹がいっぱいになった二人はうとうとした末に、二人で抱き合うようにしてソファーで横になって眠ってしまった。光輝さんが「鬱陶しいガキが」と言いながらも、椅子にかけてあったブランケットを優しく二人にかけてあげる。
「俺も同じ事、ずっとガキの頃思ってた」
「……え?」
二人にかけた布団を直しながらも、懐かしむように何とも言えない瞳で二人を見ていた。
「親父なんて一生帰ってこなきゃ良いって。帰って来た時は常に顔色窺って、自分がなるべく痛くねえように、殴られたりしねえように親父から言われる事に何でもしたがって生きてた。そうすると段々自分が壊れていく。それが当たり前の事なんじゃねえかって錯覚する。いつしかそれが駄目な事なのかすらも分からなくなった」
「………」
「親父からされた暴力を他人に返して。俺と違う人間が心底憎くなるようになった。産まれてきた時から人間は平等じゃない。だったら俺は何のために産まれてきたんだ。自分と違う生き方をする人間が疎ましいから殺して、一瞬の快楽を求めるためか。恐怖を植え付けた人間を思い通りに従わせるためか」
―――――違う、そんなのはきっと違う。
一般的な家庭に産まれて、一般的な生活を送っているであろう俺から、光輝さんに向けて言う言葉は全て綺麗事にしかならないかもしれない。
産まれた時から、そこが天国か地獄か決まってるなんておかしい世の中だ。だけれどそれが現実だ。でも痛めつけられるために、自分を無くして父親の思うままに生きるために産まれてきたんじゃない。絶対に。
「……光輝さんは……」
「………」
「光輝さんはつーちゃんと出会うために産まれてきたんですよ」
あれだけ頑なにこの二人を近寄らせないようにしていたのは、きっと悲しい過去を思い出してしまう気がしたからじゃないだろうか。
自分と二人を重ね合わせてしまうから。
恐ろしい言葉を口にしながらも、その瞳は悲しみに満たされている。
本当はそうじゃないって思いたいから。誰かにそうじゃないんだよって言って欲しいから。
「光輝さんが過去に経験した辛い事、俺は何て言ったら良いのか……正直分からないけど……でも光輝さんが産まれてきたのは、つーちゃんに出会って、俺やお婆さん達や、依頼してくれる人達を沢山助けるためです」
「……下らねえ理由だな」
「下らなくなんて無いです。現に俺だって凄く光輝さんに救って貰ったから。光輝さんは……幸せになるために産まれてきたんです」
テーブルの上に置いてあったティッシュ箱を掴んで目の前へと差し出した。怪訝そうに顔を歪めた光輝さんに「涙」とそう言う。
泣いてはいなかったけれど、今にも泣いてしまいそうに見えたから。
それが悲しい涙なら拭ってあげなければと思ったから。
大丈夫だって言ってあげないと。この人は本当は強く見せているけれど脆い人。誰かにちゃんと認めてもらいたい人。大丈夫。俺もつーちゃんも分かってますから。光輝さんの優しさを、今生きている意味を。
「泣いてねえ。ぶちのめすぞ」
乱暴に奪い取ってしまうと、再びデスクへと戻っていく。
疲れたように眠っている二人を見ていると、そちら側からティッシュを数枚引き抜く音が微かにした。
二人が目を覚ましたのは辺りが暗くなってからだった。起こそうか迷ったけれど、光輝さんが「寝れてねえんだろ」とそう言った言葉に、起きるまで待とうと決めた。
いつも両親の様子を布団の隙間から窺っていた。怒らせたりしないように、妹を守るために。だからこうして眠れる時に眠った方が良い。
二人を送ると言った俺に、珍しく光輝さんは無言で立ち上がると後ろを着いてきてくれた。
「はい。おててつなご」
階段下まで二人を抱えて降りた後、地面へとそっと下ろすと、葉月ちゃんは光輝さんに向かって片手を差し出した。うぐ、と言葉を詰まらせた光輝さんが未知の生物でも見つけたように表情を凍り付かせてる。
「そうですよ。手繋いで帰ろうね。暗いし危ないから」
ほらほら、と俺が急かすと絶句したような表情のまま光輝さんが親指と人差し指で葉月ちゃんの手をやんわりと掴んだ。そんな掴み方ってある?
「いちにーいちにーっていいながらかえろう?」
「いちにーいちにーってあるくんだよ」
「光輝さんも一緒に言ってあげてくださいよ。いちにーいちにー」
「………」
俺は月斗くんの手を、光輝さんは葉月ちゃんの手を握りながら二人の家路へと向かって歩く。俺達以上に身長差のある光輝さんと葉月ちゃんは、光輝さんが腰を屈める事で距離を縮めるようにして歩いてる。
時折二人は野良猫を見つけたり、煌々と光る店の明かりを見つける度に立ち止まった。「あ、みて!」と言って俺達の手をぎゅっと引っ張った。それはゆっくり帰ろうの合図みたいで、俺達はその度何度も何度も足を止めた。
「ここでだいじょうぶ」
そう言って月斗くんが俺の手を離したのは、ひっそりと静まり返る住宅街へと差し掛かった時だった。
「家の前まで送るよ?」
「だいじょうぶ」
「……そっか」
「うん。いつもふたりだから」
「ふたりのほうがたのしいの」
「……戸締り気を付けるんだよ」
「うん!」
「あのねあのね、パンケーキありがとう。おいしかった」
「おいしかった!ありがとうございました」
二人で一緒にペコンと頭を下げると、同時に俺と光輝さんにぎゅっとしがみ付いて来た。
「だいすき」と絞り出すような声が聞こえる。服を握り締めた手に強く力がこめられる。それはまるで、離したくないと訴えかけているようで辛くなる。
苦しくて、大切で、―――――俺だって抱きしめて離したくない。
だけれどそんな事は出来なくて、両手の行き場を失っている俺と光輝さんの元から二人はパっと離れると、強く手を握り締めあって暗い道を駆けて行った。
その背中が見えなくなるまでずっと手を振り続けた。何にも言わずに佇む光輝さんも、きっと俺と同じ複雑な気持ちを抱えていた。
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