2-1
「距離は取るが、走って行ける場所には常にいる。何かあったらすぐこれで知らせろ」
右耳についたイヤフォンを視線で差した光輝さんに深く頷いて、暗がりへと向かって歩き出した。肩越しに振り返ると、光輝さんは未だその場所に立っていて何とも言えない表情で俺を見つめていた。
道をどことも決めず、人通りが少ない道を選んで歩いた。
背後から襲われたのを聞くと、どうしても振り返ってしまいたい気持ちになるのをぐっと堪える。身構えて居なかったところを後ろから襲われたら、どんなに怖かっただろう。
皆悔しい気持ちを抱えてる。
恐怖で外に出られない子だっている。
ずっとそのトラウマを抱えて生きていかなければいけない子だっているはずだ。
そんな子達が居る中で、犯人は今ものうのうと生きていて、未だに同じような犯罪を繰り返してる。それが本当に許せない。
「こんばんはー」
いくつか角を曲がって、全く見慣れない道へと出たところだった。背後から声をかけられて、視界の隅にキイ、と音をたてて自転車が2台動きを止めた。
顔を上げると警察官で、身体がギクリと強張った。
―――――タイミング、最悪。
「学生さん?この辺り最近ちょっと危ない事件が多発しているので、帰り道気を付けてくださいね」
「なるべく明るい道通って帰って」
柔和な笑顔を俺に向けつつも、「この道街灯少なくて暗いからなー」と辺りの確認を怠らない。笑顔を絶やさぬ警察官と、不愛想でやけに体格の良い警察官。
―――――あれ、この二人どこかで……。
返事をしようにも、イヤフォンから【喋んな】と光輝さんの指示が飛んできて口を半開きにしたまま、何度もコクコクと頷いた。辺りをちらりと確認しても光輝さんの姿は見当たらない。いったいどこから見てくれているんだろう。
ふいにその時、ジイっとこちらを見つめる視線に気が付いた。
視線をもう一度警察官の二人へと戻すと、体格の良い警察官が俺を上から下まで眺めた後、瞳を細めて小首を傾げてる。
やばい、男だってバレたかも。まさか警察官に声をかけられるなんて思ってもみなかった。どうやって言い訳しよう。光輝さんは助けに来てくれるだろうか、――――いや、絶対に来てくれない!あの人、俺の事敢えて放っておくに違いない。どうしよう。
「おい、あんまりじろじろ見るな。怖がってるだろうが。すみません、うちの後輩が。見た目怖く見られがちなんですけど根は良い奴なんで」
「……見た事ある」
「やめなさい。女子高生を口説くんじゃねえ。今は仕事中だぞ。俺だって口説きたいのを我慢してんだ」
「じゃなくて、……痴漢の時の、捕まえてた」
「――――なんだって?」
どこかで見た事があると思えば、あの痴漢男を捕まえた時に来た警察官の二人組だ。
にこにこと優しい笑顔を浮かべていた警察官は、俺を上から下まで眺めると瞳を細めて考え込むように腕を組んだ。暫くの間、合点がいった様子でスっとその笑顔を引っ込める。
やばいと悟った瞬間、「お前男かよ!」と警察官は絶叫した。
「もう泣きたい」
警察官二人にそのまま来いと連れて行かれたのは、近くの交番で、まさか事情聴取をされる日が来るとは思ってもみなかった。格好も恰好だから、尚更に。
両手で目元を覆いながら嘆く俺の隣には、やっぱり光輝さんの姿はどこにも無かった。
最後にイヤフォンから聞こえた言葉は「くそが」という罵倒で、その後通話も切れてしまった。見放されたに違いない。後で何を言われるか、考えただけで恐ろしい。
「あのなあ、個人の趣味をとやかく言うつもりはねえけど」
「違います。そういうのじゃないんです。じゃあ何だって聞かれたら答えには困りますけど、違うんです。信じてください!」
「いや別に責めてるわけでもねえしなあ。なに?罰ゲームか何か?」
「そういうの……でも無いって言うか」
「分かった分かった、それ以上は聞かねえから」
複雑そうな顔をしている目の前の警察官は沢渡(さわたり)さんで、その隣で未だに不愛想な表情で立っているのは桜庭(さくらば)さんと言うらしい。この交番に来る間際、そう名前を名乗ってくれた。
「ただ、さっきも言ったけどあの近辺はあぶねえ事件が相次いでんだよ。現に俺も君が女子高生に見えたわけだしな。素敵な笑顔振りまいて損したわ。返して欲しいところだけど、今日は特別に勘弁してやる。はあ……騙された。えっと大学生なんだって?……青井 雪くん?」
「……はい……」
「ていうかまさかとは思うけど、囮捜査みたいな事してるんじゃねえよな?」
俺の身分証をひっくり返したり表に戻したりしながらも問われて、ギクリと身体が強張りそうになる。警察官って誰もがこんなに鋭い人ばかりなんだろうか。それとも俺が顔に出やすいだけなのか。
「たまに一般人がこういう事件に首突っ込んでくる事あるけど、危ないからやめようね。相手が何を持ってるかも分からねえだろ?」
「そ……そうですね」
「まあ、そういう話がしたかったから呼んだわけ」
「じゃあ……帰れるんですか?」
このままパトカーに乗せられてーーーーー、とかにはならない?
「帰れるに決まってるだろ。ただ顔は覚えたからな。次またその恰好であの辺ウロついてたらさすがに温厚な俺でも怒るぞ」
「……は……はい……」
すみませんでした、と深く頭を下げた俺に沢渡さんは仕方ねえなと肩を竦めると「気を付けて帰れよ」と手を振ってくれた。何を言われるのだろうと身構えてここまで来たけれど、優しい人達で良かった。
交番の外へと出る俺の隣を、桜庭さんが着いてきた。
見上げるように身長が高く、上から見下ろされると物凄く威圧感がある。
「……あの?」
「青井って言ってた」
「え?あ……はい。青井です」
「親戚に翼が居るか」
「それ、俺の従兄です」
このやり取り、確か光輝さんともしたような。
あの時は、通りで腹立つ顔だと罵倒されたけれど。桜庭さんはその言葉を聞くと納得したように、破顔した。ずっと不愛想に見えていた表情に、パアっと花でも咲いたような意外すぎる優しい笑顔。
それだけで、つーちゃんの事を慕っているのは理解出来てホっとした。
「通りで、顔が少し似てた」
「桜庭さん知り合いなんですか?」
「親友だ。輝で良い」
「輝さん?」
「輝」
「あ……輝くん?」
「うん」
納得したように頷いた桜庭さん基、輝くんに何だかこだわりの強い人だなと思う。
でもまさか、つーちゃんが警察官の人と知り合いだったなんて。
「つーちゃんって色んな人と知り合いで、本当顔が広いんですよね」
「あいつは人を寄せ付ける才能がある。良い奴だ」
従兄を褒められると悪い気はしないので、そうでしょうそうでしょうと頷きながらも、自らの着ていたスカートの裾がヒラリと揺れてハっとした。
「あ、……あのっ!この事はつーちゃんには言わないでください!」
まさか女子用の制服を着て徘徊していたなんて知れたら、何を言われるか。色々心配されるか、敢えて触れられないか、もしくは死ぬ程いじられる。
懇願するように両手を合わせると、輝くんは分かったと大きく深く頷いてくれた。
「言わない」
「お願いします」
「だからもう、囮になるような事はするな。お前が怪我したら、翼も悲しむ」
全てお見通しだとばかりに言われて返す言葉も無かった。
もっと上手くやれてればなんて今更遅い。一度失敗してしまえば本当に手立てがない。
輝くんに見送られながらも宛もなく歩く足取りは重かった。あの子達の悲しい顔が目に浮かぶ。警察が捕まえてくれれば、少しは安心出来るかもしれないけれど、現実そう上手くはいかないだろう。
「……光輝さんに連絡しないと」
きっと凄く怒ってるんだろうな。
言い訳のしようも無い。
スマートフォンをリュックの中から取り出した。履歴の中から光輝さんの名前を見つけ出すのは簡単なのに、電話をかけるのに勇気がいる。
指先を空中で何度か彷徨わせた後、意を決して画面に触れようとした矢先、勢いよく肩を引かれた。
衝撃で手の平に乗せていたスマートフォンが地面に落ちて、ガツっと嫌な音をたてた。
乱暴な手つきに、怒り狂った光輝さんがいつの間にか距離を詰めて近寄ってきていたのかもしれないと思ったけれど、腕に触れた手の平のジットリと濡れた感触と共に頭の中にザーっと真っ黒な映像が流れ込んできた。
荒い呼吸音が聞こえてくる。
だけれど不気味な程、走っている足音はやけに慎重だった。
目の前に歩いている女子高生の姿が見える。
街灯が少ない道はやけに暗くて、見たところ人気も無さそうだった。
手が伸びて、女の子の口元に絡みついた。
悲鳴が覆った手の平の中でくぐもった声に変わる鮮明な映像までもが流れ込んでくる。
「……っ!」
ぐっと引き寄せられた瞬間、咄嗟に腕に絡みついていた手を取った。捻り上げて男の身体を地面に引き倒してから飛び退いた。
頭の中に流れて来た映像がその瞬間に途絶えて、自分の呼吸がやけに乱れている事に気が付いた。
最後に見えたのは、女の子の恐怖する姿だった。
男に覆いかぶさられて無理矢理引き倒されていた。
どっどっど、と鼓膜の奥で早鐘のように打つ鼓動が聞こえてくる。
「……いてえ……」
地面に転がったままの男は見るからに、普通のサラリーマンにしか見えなかった。きっちりとしたスーツ姿で、高級そうなバックを持ってる。こんな事をするような男にはまるで見えない。
なのに、転がったまま俺を見上げる視線は全身を嘗め回すような不気味さがあった。獲物を狙う爬虫類のような。
男がゆっくりと自らの顔に手をかけた。顔を隠す仮面のように。今更顔を晒した事を悟ったように。
互いに時が止まったように動けなかった。
先に動いたのは男の方で、ゆっくりとバックの中からバタフライナイフを取り出した。抵抗された女の子達を刃物で脅すために、そうやっていつもバックの中に忍ばせていたんだろう。
鋭利な切っ先が向けられて、固唾を飲んだ。
脅すために取り出したんじゃない事は、男の表情を見ていればすぐに分かった。焦りと困惑の色が滲んでる。今までずっと上手くやれていたのにという動揺が見える。
顔を見られたから消さなければいけないと。
知られてしまったから殺さないとと、その矛先は真っ直ぐ俺へと向けられてる。
ジットリと背中を伝う冷や汗が気持ち悪かった。動かなければと思うのに、身体が思うように動かない。男が行動を起こしてからじゃ遅い。今すぐそのナイフを奪わなければいけない事は分かってるのに。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
ナイフを持った相手にはどうすれば良いんだっけ。誰かが教えてくれなかったか。そうだ、確かつーちゃんが。
『良いか!もしもナイフ持った奴が襲い掛かってきたとする。そしたらこうでこうでこうだ!分かるか?しゅば!しゅば!最後にミラクルスーパースペシャルアタックを食らわせてやんだよ』
――――駄目だ、良く分からない。
記憶を呼び起こせたは良いが、何一つ伝わらなかった事も同時に思い出せてさらに絶体絶命のピンチに追いやられた気がしてならない。
そうこうしているうちに、男がナイフ片手にゆらりと立ち上がったのが見えた。
未だに表情には動揺が滲んでいて、形振り構ってはいられないと高級そうなバックを地面に投げた。ナイフの柄に両手を強く押し付けるのが見える。
その尖った切っ先が肉を突き破り血が噴き出すところまで想像してしまい、足元がフラつきそうになった。
でも、逃げたってきっと後ろから刺される。この男の目的は、今この瞬間確実に俺を殺す事。それは男を捕まえるチャンスにも繋がる……んじゃないだろうか。
落ち着け、大丈夫。落ち着いて対処しろ。焦ったら駄目だ。
―――――ジャリ、と足元の砂と石を踏みつける音がした。ナイフを真っ直ぐ構えたまま、男が何の言葉も無く突っ込んできた。
振り回す気配が無い。真っ直ぐ突き出してくる。
後ろに一歩強く引いた。ナイフが空気を切り裂く音をたてた。
突き出された瞬間を狙って身体を横に逸らす。脇腹を掠めるようにして伸びたその手首を強く掴んだ。脳裏でつーちゃんが『そう!それ!しゅば!しゅばってそういう事だよ!』と声援を送ってくる。煩い、ちょっと黙って。
肌と肌が触れ合うと、痛ましい光景がいくつも頭の中に壊れたビデオテープのように流れこんでくる。断片的だったり、映像のようだったり。耳を、目を、塞ぎたくなるその光景に奥歯を強く食いしばった。
「うあ……!」
掴んだ男の手を捩じり上げると、悲鳴を上げて手の平の中から地面にナイフが落ちた。カンと甲高い音をたてたそれを足先で思いっきり遠くへと蹴り飛ばす。
コンクリートの壁に激突すると、また高い音が閑散とした路地に悲鳴のように鳴り響いた。
「お前……お前っ……抵抗してんじゃねえ!」
「……っ!」
強くひねり上げていた片手はそのままに、男が自由な片手を俺の顔へと押し付けてきた。
乱暴に掴まれて怯みそうになる。でも、この手を離したら暴れて逃げるかもしれない。もしそうなったら、あの子達の不安は一生拭い去る事が出来ない。
最悪の事態を考えたら、絶対にこの手は離したら駄目だ。
ぐるぐると頭の中を駆け巡る映像に吐き気がした。女の子達の泣き声が鼓膜の奥で反響する。顔を覆う男の手が、爪が、皮膚に食い込む。
その時、襟首を真後ろから強く掴まれて着ていた制服で首が絞まった。
「うえっ……」
苦しかったのは一瞬で、体勢が崩れたまま地面へと背中から盛大に転がった。
何だ、何で俺倒れてるんだ。急に後ろから引っ張られて……。
目を白黒させているのは俺だけでは無くて、目の前の男も同様だった。
何かを見つけ、慄いてる姿が瞳に映った。何が起きてるんだと思う間も無く、視界の隅を誰かが勢いよく横切った。それが光輝さんだと気が付いた時には、男の脇腹に鈍い音をたてた蹴りが命中した後だった。
ガツっと痛そうな音が響いて思わず目を瞑ってしまう。恐る恐る開けた時には、蹴られた反動でコンクリートの壁に側頭部を派手にぶつけた男が額から血を流して倒れ込んでいた。
「光輝さん……」
じゃあ、さっき襟首を引っ張ったのは光輝さんだったのか。俺と入れ替わりで前に出てくれた。
男の前に立っている光輝さんの背中から、未だに抑えきれない怒りの感情が伝わってくる。肩で大きく息をする姿に、その整わない呼吸に、探してくれていたのかな、見つけて走って来てくれたのかな……なんてふと思った。
近づくのも勇気がいるような光輝さんの元に、ゆっくりと歩み寄っていく。
その視線は未だ、気を失っているらしい男に注がれたまま。
「……助けてくれたんですか」
「てめえがまごまごしてるからだろ」
「すみません」
「何が大丈夫だ、この………」
ついっと向けられた顔と視線。何か罵倒を吐きだそうとして止まった口からは、忌々しそうな舌打ちだけが吐き出された。
目の前でゆっくりとしゃがみ込んだ背中が大きく上下する。疲れたような長い吐息の後、「さっさと警察呼べ」という小さな言葉が続いた。
ヌっと音も無く現れたシロが、足元にすり寄ってきた。ふわふわとした毛を押し付けながらも、暗闇の中光る目玉を俺に向けて来る。
≪お前の事必死で探してたぞ≫
――――うん、分かってる。
≪警察に捕まった時はこの間抜けって罵倒しまくってたけどな≫
――――そうだよな、それも分かってる。
≪でも、ちょっと目を離した隙にお前が居なくなったから、慌てて探してた≫
うん、と相槌を打つようにシロに向かって頷くと今更指先が震えてくる。たった3つの数字すらまともに打てなくて、手の平をぎゅっと握りしめた。
≪ちゃんと礼言った方が良いぞ≫
「光輝さん……ありがとう、ございました」
未だしゃがみ込んでいる背中に小さく呟くと、荒い呼吸だけが返ってきた。
それは閑散とした道で、俺にだけはしっかりと届いて、不甲斐無さや申し訳なさでそれ以上言葉にはならなかった。
それから駆けつけた輝くんと、沢渡さんにはお手柄だったなと最初こそ褒められたが、後々酷くまた叱られたのだった。
男は今まで起こした事について洗いざらい吐いたらしい。ここ数日起きていた暴行事件の犯人は、ようやく捕まった。
「犯人、捕まったらしいな」
「え?」
「ほら、この近辺で噂になってた」
「ああ……うん」
伊織はスマートフォンの画面を俺へと向けて、ネットニュースになっていた記事を見せてきた。まさか女子高生のふりをして囮捜査をした後に、たまたま襲われかけて犯人を逮捕出来た……なんて口が裂けても言えない。
「良かったな」
俺に向けていたスマートフォンを再び引き寄せると、また別のニュース記事に目を通し始めて小さく呟く。そうだね、とはどうしても言えなかった。
トラウマや恐怖は、そんなに簡単にはきっと拭い去れない。そういうものほど濃く鮮明に記憶の中に残ってしまう。それは、一生消える事は無いかもしれない。
大学終わり、光輝さんの居る何でも屋へと足が向いた。扉を開くと光輝さんが相変わらずの仏頂面を向けてくる。それこそ、何しに来たと言わんばかりな。
ふっと視線を向けると、客用のソファーには見知った三人組の姿があった。
「あ、ほら来た来た」
「こんばんはー」
以前、依頼に来てくれた女子高生三人組が俺を見つけると、手を振ったりペコリと頭を下げてきたりする。三人の前には飲みかけのオレンジジュースが入ったグラスが置いてあった。またきっと、文句を言いながらも光輝さんが用意してあげたんだろう。
デスクの前で「ここは待ち合わせ場所じゃねえ」と小さく毒づく声が聞こえてくる。
「犯人、捕まえてくださったんですよね」
あの電車の中に居た女の子が、もじもじと気恥ずかしそうに問うてくる。
「いや、俺じゃなくて光輝さんが」
「でも……助手が頑張って捕まえたって」
「うんうん。お前らがくだらねえ事しないようにって」
「だから友達の傍にちゃんと居てやれって言ってくれたよね」
ねえ?と同意し合う三人越しに、光輝さんが余計な事言ってんじゃねえぶっ飛ばすぞと怒りの形相を向けている。
へえー、そうなんだあー、へえー。
「助手ねえ」
「………」
「じゃあこれからは堂々とここに来ても良いって事ですよね。何たって、俺は光輝さんの“助手”なので。せっかく許可貰ったんで、この際俺も親睦を深めるためにコウちゃん呼びにしようかな」
そう言えばこの間、またここに集まってお茶しようってお婆さん達にも誘われていたんだった。どうしようと思ってたけど、俺は光輝さんの助手だから堂々とそのお茶会にも参加できそうだ。良かった良かった。
「あれですよね。コウちゃんって意外とツンデ………」
最後の言葉を言い終わる前に、光輝さんが般若のような形相で椅子から立ち上がったので慌てて言葉を飲んだ。
けれどもう既に、地雷を踏みぬいた後らしい。こちらに向かって真っすぐ突き進んでくる。これはやばい。さすがに調子にのりすぎた。
身の危険を感じて「じゃあ、気を付けて帰ってね」と女子高生たちに言い置いて、急いで事務所の外へと飛び出した。
電車のあの子が「あ……」と何か言いかけた声が聞こえたような気がするけれど、止まって聞き返す時間も無さそうだ。
真後ろから「調子のってんじゃねえ。ぶっ飛ばす」と聞こえたのは絶対に気のせいでは無いだろうから。
階段を数段飛ばして駆け下りると、道路と面した最後の一段の先に見知らぬ男が立っていた。外から頭上を見上げているところを見ると、何でも屋と書かれた四階の窓ガラスを見上げているようだった。
足音に気が付いて、ふっとこちらに向いた視線と重なり合う。
暗い茶色の前髪の隙間からこちらを射貫く視線が一瞬だけ鋭くなり、やんわりと解かれるようにして柔和な笑顔を向けられた。
男はそのまま踵を返すように歩き出してしまう。
「あの……何でも屋に用事ですか?」
その背中に声をかけたけれど、軽く手を上げられただけで返事は何も返ってこなかった。大丈夫なんだろうか、もしかして俺邪魔しちゃったのかな。
去り行くその背中が誰かに似ているような気がした。誰だろうと考えても思い出せない。そうしている間に真後ろへと迫っていたらしい光輝さんから「おい、てめえ」と声をかけられて飛び上がる程驚いた。
「ひ……っ、コウちゃ……じゃなくて光輝さん」
「わざとやってんだろそれ」
拳を握りしめた姿に身構えると、目の前に差し出されたのは一万円札が1枚。何だこれ、とまじまじ凝視してしまう。
「今すぐそれで適当に菓子買ってこい」
「……へ?」
それだけを言うと、再び階段を上がっていく光輝さんの後ろ姿を見て「あれ?」と思った。その後ろ姿がどうしてか、さっきの男の人と重なってしまったからだ。
「お菓子って……もしかして女子高生の子達にですか?」
「さっさとしろ」
居座るなというくせに、そういう所結局優しいんだよな。
助手としての最初の仕事なので気合いを入れて選ばせてもらいますよ。
「あの光輝さん」
「ああ?」
相変わらず凄むような返答が数段上から降って来る。肩越しに振り返ると後ろに撫でつけたような髪型も相まって、百獣の王ライオンを思い浮かべてしまった。
「光輝さんってもしかして、兄弟居ます?」
「居るわけねえだろ」
「居るわけないんですか」
そっか、じゃあ気のせいか。
何となくさっきの人が光輝さんに似ているような気がしたんだけど。
「じゃあ行ってきます!」
受け取った一万円札を握りしめながらもそう言えば女子高生が好きなお菓子って何だろうと考えた。
甘い物が良いんだろうか。そういうものには疎いから、スマートフォンで検索をかけると一番上にタピオカミルクティーが出てきた。女子の好きな物って良く分からない。
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