あの頃とは違う
7
一緒に住んで数年経つから二人っきりは慣れていたはずなのに、場所が変わるとどうにも落ち着かないという事が分かった。
あたしの実家へと来たこの日、良くある事なのだが誘っておいて不在な両親に唖然としながらもポストから鍵を取り出して中へと入った。
とりあえずスリッパを二人分取り出して履き、久しぶりの我が家を見渡す。久しく帰っていなかったけれど、何ら変わりなくて安心した。
玄関で待っているのもあれなので、コップと烏龍茶が入ったペットボトルを抱えて自室へと向かう。もう片付けてしまっても良いのに、部屋はそのままの状態を綺麗に保たれていて。
「いやあー、懐かしいものいっぱいあるなあ。」
窓を開けて外気を取り込む。生ぬるい風が室内に送り込まれ、あたしと翼の髪が揺れた。
翼がベッドに腰を下ろすとスプリングが軋んで、ギシっと一度揺れる。別に大した事じゃないはずなのにこの妙な緊張感は何なんだ。
「まじでそのまんまだな。でもその気持ち分かる気がするわ」
「分かるかい?」
「いつでも帰って来いって事だろうが。」
「それは…」
――――それは嬉しいな。
両親からいっぱいの愛情を受けて育ててもらったにも関わらず、まだ精神的に子供だったあたしは反発して、挙句の果てに家出をした。今じゃありえない事だけど、―――でもそれがきっかけでこうして翼や優さんに空や隼人くん、そして慎くんと多くの大切な人達に出会えたわけだ。
だけどハッキリ言ったら親不孝者だとは思うんだ。きっと沢山の心配をかけたし、沢山の迷惑をかけたと思う。それでもこうしてあたしの帰る場所を残しておいてくれているのは、とても嬉しいし、ちょっとだけ泣きそうだ。歳を取ると涙腺が緩んで困りますな。
「そそそ、それにしてもお母さん達どこ行っちゃったんだろうね。自由人なんだから」
「見てねえから泣いてもいいぞ」
「めっちゃ見てるやないですか。泣きませんし」
何が見てないだ。両目隠すどころかバッチリしっかりがん見してるじゃないか。せめて逸らすくらいしろよ。
翼は楽しげに笑うと「たまには素直に泣いた方が可愛げあるんじゃねえ?」なんて言う。悪かったな可愛げなくて。
ベッドに腰掛けながら両足を投げ出してる。ダークブラウンに染まった髪を邪魔そうにかきあげながらも、翼は一度部屋全体を見渡した。
「つうかそれこそ俺来ない方が良かったんじゃねえか?久しぶりに家族お茶いらず」
「水入らずって言いたいのか。」
「……いや知ってたけどな」
「絶対知らなかっただろ。」
ただの冗談だし、みたいな顔しても駄目だからな。バレてんだからな。
「そんなに気を使わなくて良いよ。言っておくけどうちの両親、つーくんの事大好きだからな。お父さんが翼くんは来ないのかってしつこく聞いてきたんだよ。今日は一緒にホットプレートで焼肉しようって」
あ、照れた。可愛い奴め。
それを隠すように片手を口許に持っていってる。平静を装いながらも嬉しさが隠しきれてなくて、あたしもそれを見ていて幸せだった。
それにしても遅いなあーと思っていた時だった。
「あら、ごめんねえーもう来てたの?遅くなっちゃったー」
階段の下からお母さんの声が聞こえてきた。おお、やっと帰って来た。ていうかこちらは時間通り来たんですが、まあ良いんだけれど。
翼と一緒に階段下へと顔を出す。お父さんも休みだったらしく、二人は揃って玄関に立っていた。その両手には大荷物。膨らんだビニール袋がそれぞれの手にぶら下がっていた。
「お邪魔してます。」
「翼くんいらっしゃーい。」
「そ、その大荷物どうしたの。」
「だって今日焼肉だから色々買ってきちゃった。愛ちゃんいっぱい食べるでしょ」
「食べるけど、さすがにそれは多すぎるんじゃ」
半透明の袋からは野菜類やら肉類やらとにかく焼肉に使うんであろう食材が沢山見えた。4人でそれは、たぶん食べきれないと思うぞ。
「俺、切るの手伝います」
唖然としているあたしの隣を通り過ぎて翼は階段を下りると、お父さんとお母さんが抱えている袋に手を伸ばし「持ちますよ。力仕事慣れてるんで任せてください」と笑顔で言う。
いつも思っているけども、改めて翼って良い男だよなあーとか思ってしまった。
「愛ちゃん風邪ひいてるんじゃないの?」
「へ?」
台所に翼と肩を並べて立っていたあたしはテーブルにホットプレートや食器を用意しているお母さんへと振り返った。
野菜切り担当はあたしと翼、他の用意は場所を把握している両親に任せていたわけで、たった今蒸したジャガイモを取り出そうとしていたあたしは間抜けな声を上げた。
あーこの蒸したじゃがいもにバターとお塩を少々かけたらとんでも無く美味しいんだろうなあー、だけどホットプレートで両面カリカリに焼いたのも堪らないんだよなあー、なんて考えながらも今言われた言葉を頭の片隅で考えた。大半はじゃがいもが占めている。
「あたし元気だよ?今、このじゃがいもさんに夢中すぎてヨダレがでそうなところだった」
「でも鼻声じゃない?」
「そう言われてみればそうだな」
お父さんも確かにと納得しながらコンセントを入れてスイッチをつけた。ええ、そうかなあ、全然元気なんだけど。ここ最近特に変わった事はーーーーそう言えば少し前、土砂降りに降られた事はあったけど、あれから時間経ってるしなあ。
「泣いたからじゃね」
翼がたまねぎを切りながらもボソリと小さい声で呟いた。ハっとして隣を見やると悪―い表情をしていらっしゃる。それは言わない約束だぞ。泣いてないし。
だけどきっと、そのせいだ。これはバレたら恥ずかしい。
「ぜぜぜぜ全然鼻声じゃないっ。とっても元気!ああ、じゃがいもさん美味しそう!一口味見しよーっと」
ほくほくのじゃがいもを口に押し込んで会話を逸らす。少しばかり頬張りすぎて口の中を火傷したのは言うまでもない。
「そう言えば、モデルでも写真撮られる事あるのね」
ホットプレートで野菜とお肉を焼いているとお母さんがふいに思い出したようにそう言った。あたしは隣の翼と顔を見合わせる。
「写真ってなに?」
「ほら、芸能人なんかが不倫とかそういうの撮られるやつ」
「お母さんそれ見てるのか」
「たまにねー。愛ちゃん優くんと撮られてたでしょ。」
「あれは違うからね。つーくん達も一緒に居たのに何故か二人っきりだって勘違いされただけなんだ。ねえつーくん」
「仕事終わり一緒だった二人がたまたま優のマンションに先に向かっただけで、その後俺らも行ったからな」
「気をつけないと優くん人気だから女性ファンに怒られちゃうよ」
「それが一番不安だよ…」
「そうだぞ、良い人ばかりじゃなくて危ない人間だって居るんだからな。そういうのには気をつけるんだぞ」
両面がカリカリに焼けたジャガイモを口へと運ぶ。ふわーっと口の中で中身が溶けたジャガイモの味を堪能していると、お父さんが心配気にそう言った。
一瞬この間の事が頭に過ぎったけど、ここで両親に言ったら心配させるだろうし、下手をしたら「何かあってからじゃ遅いんだ、出来る限り翼くんに迎えに来てもらえ」なんて話になりそうなのでやめておいた。
翼だって仕事があって大変なのだ。毎度毎度迎えに来てもらう事になったら申し訳なさ過ぎる。本人、嫌がらないだろうから尚更に。
「そんなのないよー。芸能人じゃないんだし」
「その油断が危ないんだぞ。」
「ほらお父さん、早く食べないと焦げちゃうよ!沢山買ってきたんだからどんどん食べないと」
矛先がそろそろ翼に向いてしまいそうだったので慌てて焼けていた野菜をお父さんの皿に移動させた。
ーーーー。
「翼くんは料理も上手だし、気も利くし、良い旦那さんになるぞ」
「えっ、」
焼肉を終えて食器洗いを申し出たあいつの親父さんに続き、俺もそれを手伝う事にして流し台へと立った。
あいつはと言えば、おふくろさんとソファーに腰掛け懐かしいアルバムを捲りながらもぎゃはぎゃはと楽しそうに騒いでる。
泡立てたスポンジで皿を洗い終えた親父さんに唐突にそんな事を言われて、危うく皿を滑り落とすところだった。それって…認めてくれてるっつう事なのか。いやありがてえ話だけど。
「愛理とは今でも仲良くしてくれてるかい?いや、仲が良いだろうな、見ていて分かる。」
「あ、はあ。たまに喧嘩もしますけど」
「翼くんは本当にいつも正直だな」
親父さんが豪快に笑う。そういうところそっくりだな。
「愛理は誰に似たんだか頑固な所があるからな。変な所譲らないっていうか。」
「あー…。」
「あと、あんまり頼らないところもあるだろう。」
親父さんはふいに食器を洗っていた手を止めると肩越しに振り返った。あいつが俺達の会話に気づいた様子は無く、何がおかしかったのかアルバムを捲りながらも笑ってる。
「親として、娘が一番辛かった時期に支えてやれなかった。そういう所から頼れない部分が出てきちゃったんだと思うと切ないよ。」
「……でもそれは…たぶんあいつも思ってますよ」
「え?」
「何でちゃんと話し合えなかったんだろうって、親父さん達に心配かけたのも分かってるだろうから、そういう後悔はたぶん一緒っすよ。たぶん誰が悪かったとかじゃねえと思います」
「翼くんは本当に良い子だな」
「………」
それはさすがに「ですよね知ってます」とは言えねえわ。つうか言葉に困る。
気恥ずかしくなりながらもせっせと洗い終わった食器を拭く事だけに専念する。親父さんは未だに洗う手を止めたままで。
「本当は俺達が支えなきゃいけなかったところ見放す形になって、その時翼くん達に出会えてなかったら今の愛理は無かったと思うんだ。本当に手がかかる娘だけど、見放さないでやってくれ」
「…離れられないっすよ。離れる気も無いですし。」
「女の子らしい部分は全く無いが、俺達親から見るとあれでも可愛い娘なんだ。翼くんも何と言うか…重たく捉えて欲しくはないが、娘には勿体無いくらい出来た子だよ。喧嘩もするだろうが、二人仲良くやってくれると嬉しいな」
俺は静かに頷いて、親父さんへと顔を上げた。微笑んだ表情はどことなくあいつと被る。親父さんは俺達と出会えてなかったらと言ったけど、あいつの強さとか他人を思いやれる部分だとか、そういうのは絶対親父さん、おふくろさん譲りだろう。
「危なっかしい所があるから、今の仕事は色々不安なんだが、自分からやりたいと言った事だから応援してやらないとな」
「そうですね」
「翼くんは反対…では無いんだろう?」
「モデルの仕事ですか?反対じゃないですよ。あいつが楽しそうにしてるの知ってるし、やり甲斐感じてる事なら頑張って欲しいなって、俺も親父さんと同じ意見です。」
「そっか。…お互い大変だな」
親父さんは俺の心の中を見透かした様子でそう言った。俺は曖昧に笑って肩をすくめる。
あいつが笑ってられるなら、俺はそれが嬉しいし、頑張ろうと思ってる事ならば、全力で応援しようと思ってる。
だけど同時に、言い様の無い不安を感じる時もある。例えばもしも、会えない時間、この間のようにあぶねえ事が起きてたらとかそんな事を考えるようになった。
でもそれを口にしたらあいつが困る事は分かってる。なので言わない。つうか言えねえ。
数年前みてえに、大体は一緒に居れて、何かあったら駆けつけられるーーーーそんな事はもう無理で、それが分かっているからもどかしいし歯がゆかった。
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