0‐5意識

 三年生になるとクラス替えがあって、私は幼馴染みの男の子と別のクラスになった。ゆあちゃん、ちなちゃん、ともこちゃんとも。

 同じ園の男の子とは一緒のままなのに。


 それから、なんと私に友達が出来た。女の子の!

 ついに女の子の友達が出来たのだ!


 名前はめぐちゃんといって、出席番号が1つ前の……つまり私の前の席の子で、暗くて笑わない私を気持ち悪がることもなく話し掛けてくれた、女神さまなのである。


 ちなみにめぐちゃんは絵がとても上手で、将来は少女漫画家になるという夢をこの歳にして持っていた。

 私なんて明日はどう時間を潰そうとか、そんな目の前のことばかりを考えてしまうから、未来を想い描いているめぐちゃんは尊敬でしかない。


 私はめぐちゃんが自由帳に描く、恋愛漫画を読むのが日課になっていた。

 これまで恋なんてしたことがないし、食わず嫌いのような感覚で読もうとも思わなかったのだけれど、きっとめぐちゃんが描いたものというだけで、私にとって特別に感じたからだろう。お気に入りの漫画と同じくらい好きになった。


 刀を振り回したり、手やおでこに目玉が現れて強くなったりはしないけれど、主人公の女の子がにこにこ幸せそうに笑っていて、見ていてとても安心したし可愛かった。

 なんとなく、めぐちゃんみたいだなと思いながら読んでいた。


 めぐちゃんがいてくれるお陰で、少し肩の力を抜いて過ごせるようになった私は自然と笑うことも増えて、同じクラスの子たちにも話し掛けられるようになった。

 性別に垣根かきねなくとまではいかないし、まだまだ互いに遠巻きではあるけれど、私には程よい距離感で色んな子との関係が繋がっていった。

 私はやっと一年生になれた気がした。


 放課後。通学路が違うめぐちゃんとは、校門で別れる。

 たまに同じクラスの子が話し掛けてくれるし、どこまでも続く空の下で明日に思いを馳せて帰るのも好きだから、今までのように一人が恥ずかしいなんて妄想はしない。

 けれど、そんな安堵感に満ちたりた気持ちが乱れてしまう時がある。

 それはこの日のように、幼馴染みの男の子を見かけた時だ。


 私のクラスの先生はのんびり屋さんなのか、他のクラスよりも下校時間が遅くて、幼馴染みの男の子を見付けてもいつも後ろ姿だった。


 今日はどうしていただろうか。

 この間のテストはやっぱり満点だったのかな。

 怖がっていた跳び箱の五段は、もう出来るようになったのかな。

 私は――……


 話がしたい。顔が見たい。

 締め付けられる小さな胸を押さえ、幼馴染みの男の子の背中を眺めながら私は心の中でそう訴えた。


 他にも訊きたいことはあるし、報告することだって山ほどあるというのに、近所でおはようと言ってもそっけなくて、どうしてだかお家に帰った後でさえも会えなくなっていた。

 私が異星人でもカメレオンでも、信彦くんが男の子でも、一度ランドセルを置けば変わらない関係でいられたから寂しさだって埋めることが出来たのに。

 クラスが違うだけで私たちは、こんなにも他人同士になってしまったんだ。


「琴美ちゃん!」


 呼び止める声に反応して、私は我に返る。

 振り向くとそこには、バスケットボールを片手に眉を下げて笑う、同じ園の男の子が立っていた。

 既にお家に帰った後のようで、ランドセルは背負っていなかった。


「流星くん? どうし――」


 そこまで言って、私ははっと口を押える。

 こんなところを見られもしたらと、たくさんの歪んだ顔を脳裏に甦らせながら、私は身体が震えていくのを自覚した。

 けれど同じ園の男の子が私の頬を包んで目尻に指を滑らせると、頭の中に現れた怖い人影がふっと消える。

 どうやら自分でも知らぬ間に涙を零して泣いていたようで、私の意識はそこに向いた。


「大丈夫。誰もいないよ。それよりもほら、行こ?」

「行くってどこに? それに私まだ、お家に帰ってないよ?」

「うん。だから一緒に帰ろ? で、遊ぼっか。二人で」


 そう言って同じ園の男の子は私の手を取る。

 なんだか私は、雲梯の時に結べなかった指切りげんまんが、今ようやく出来たように思えた。


「り、流星くん」

「ん?」

「前に……二年生の時に、博物館に行こうって、約束してくれたのに、ずっと、謝れなくて」


 声が震えた。せっかくの親切を無下にし続けていたという自覚があるからだ。

 こうやってまた遊ぼうって言ってくれる同じ園の男の子に対して震えるとか、本当に失礼なのは理解しているつもりだけれど、やっぱり今更過ぎて怖く感じてしまう。

 同じ園の男の子は、流星くんは、とても優しい人なのに。


「いいって」


 流星くんは柔らかく微笑んだ。

 その変わらない佇まいに、私は喉の奥に塊みたいなものが上ってくるのを感じて、苦しくて痛くて泣きそうになった。


「ありがとう」


 私は頭を下げながら震えた声で謝った。


「だからいいって。ね?」

「うん、あり、がと……」


 そういえばと、私は流星くんに手を引かれる後ろで鼻をすすりながら気付く。

 こんな風に流星くんの顔を見たのは久しぶりだ。それこそ初めて声を掛けてくれた、雲梯の時以来になるだろう。

 なのになぜだか身近に感じて、変だなと思った。


「あ……信彦くん」


 幼馴染みの男の子がいた。もうとっくに角を曲がっていたと思っていたけれど、私の思い違いだったようだ。

 流星くんは少し急いでいるのか、足速になって幼馴染みの男の子の脇を通り過ぎようとした。

 だから私は、流星くんの手から勇気をもらった私は、思い切って口を開いた。


「のぶ、信彦くんも一緒に遊——」

「あ! 隣のクラスの子だ!」

「え……」


 流星くんの言い方に、私は言葉を失ってしまった。

 だって、それは確かにそうなのだけれど、二年生まで同じクラスだったのに……なんでそんな言い方をしたのだろうと思ったんだ。

 流星くんも私と同じように、他のクラスに対しては壁を感じているのだろうか。


 そんなことを考えていると、流星くんは早く二人で遊びたいから行こうと言って駆け出した。

 笑っているけれど、どことなく余裕がないような流星くんの横顔を見て、男の子の間にも色々あるのかもしれないと感じた。


 ああそっか。私は自分の席に座って、ただ床ばかりを眺めていたからわからないんだ。

 それがもどかしかったし、とても申し訳なかった。

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