第157話 ヴェネストリア解放戦⑯

 アレクサンドロス大帝国ザイーブ州、カウバル城の玉座で皇帝は戦の様子を見物している。状況については現地の偵察部隊から共有されたものをストラスが映し出している。明かりを消して薄暗くした玉座の間で鑑賞会と洒落込んでいた。


 フギンに乗りグングニールを構えたフリーレと、三つ首の龍を蠢かし翼をはためかせたブネが、猛スピードで空を駆け巡っている。互いに近づいては刃と牙を交え、また離れるといった動きを繰り返している。


【リドルディフィード様、ブネガ敵将ト空中戦ニ突入シタヨウデス】

 傍らのバエルが、厳かに響く思念で語り掛ける。


「フハハハハ!ブネが敵単騎を相手に空中戦とはな!素晴らしい!素晴らしいぞ!」

 対して皇帝は実に愉快そうに声を上げていた。


「これで敵将が乗っているのが鳥ではなく、黒い飛竜とかであればもう完璧だったのだがな!フハハハハ!壮大かつ流麗なバック・グラウンド・ミュージックが聞こえてくるかのようだぞっ!」


【……】


 皇帝が心の底から楽しそうにしているのを、バエルは理解できずにいた。


 今のところ、まだ深淵部隊の将軍級コマンダーに犠牲者は出ていない。しかし情勢は確実にラグナレーク側に傾きつつあった。エリゴスやウァラクの勝手を許していることといい、バエルには我が主ながら本気でこのいくさに勝つつもりがあるのかが疑問であった。


 本当に戦の勝利を願っているのなら、近衛部隊の誰か一人でも動かせばよいのに何故だか城に控えさせておくことにこだわっている。ブネが空中戦を繰り広げているこの状況に狂喜していることもバエルには意味が分からず、彼にはただ純粋に同胞が追い詰められている状況にしか見えない。


「むう~、こんな展開が待っているならブネの龍は負傷の度に形態が変わる仕様にでもしておくのだった。だがそこまで細かく眷属の設定を作り込むのも大変なんだがな」

【リドルディフィード様、一ツヨロシイデショウカ?】

「どうした?バエルよ」

【情勢ハ敵側ニ傾キツツアリマス。今カラデモ精鋭部隊ヲ動カスベキデハ?】


 皇帝はあまり悩む素振りも無く答える。


「精鋭部隊か、奴らは現在ツァルトゥール州で反乱軍の鎮圧中だからな。ヴェネストリア州とは距離が大分離れているし、今からでは間に合わないだろう」

【デハ、リドルディフィード様、私ニゴ命ジクダサイ!私ナラバスグニデモ現地ニ駆ケ付ケラレマショウ。ブネヲ助ケ、此度ノ戦ノ勝利ヲ確タルモノニスルノデス!】


「駄目だっ!!」


 皇帝はぴしゃりと言い放った。


「この空中戦はとても神聖なものだ!横槍を入れて邪魔をすることは絶対に認めん!」


【……】


 何故頑なに勝利とは無縁なものにこだわろうとする?

 バエルにはいよいよワケが分からなかった。


 ◇


 ストラータ王国の上空では、烈しいせめぎ合いが猶も続く。


 ブネは信じられない思いだった。空中という不安定な場でこれほど戦える人間がいるとは思ってもみなかった。高速で飛行する鳥の上に立ちながら、的確にこちらの攻撃を防ぎ、そして隙を見つけては斬り付けてくる。おまけに白い鳥と黒い鳥の二羽が付かず離れず飛び回っているので、フリーレはその二羽の間を目まぐるしく移動しながら戦っていた。


(なんて奴だ、まさか空中戦でここまで私と渡り合うとはな……!)


 しかしブネは敗色が濃厚だとも思っていなかった。


 フリーレは予想以上の動きを見せていたが、元来空中は自力の飛行手段を持つブネに圧倒的有利な環境であった。ブネは目まぐるしく速度や飛ぶ方向を変えたり、三つ首の龍を様々な方向から襲わせてフリーレを追い詰める。


 一度距離が離れたところを見計らって、龍の口から燃え盛る火炎のブレスを吐き出した。フリーレはフギンからムニンへと飛び移りつつこれを躱す。その隙に付け込むようにして、ブネは猛然とフリーレに襲い掛かる。それをグングニールで反射的に防ぎつつ、弾かれた勢いを利用して今度はフギンに戻る。



 烈しい攻防だったが、どこか膠着している感があった。であれば情勢はじきに、本来有利なフィールドで戦っているはずのブネに傾いていくだろう。


 フリーレにもそれは分かっていた。元より彼女に、これ以上ちまちまとした攻防を続けるつもりはなかった。


 再び距離が離れたタイミングで、フリーレはグングニールを高く掲げるとそれをブネに向かって投擲した。神器グングニールは投擲時に稲妻のような速度で飛んでいく。投擲されたそれは空を突き抜け、文字通りに青天の霹靂としてブネに迫った。


(っ!!)


 しかし空中という有利な場でこれを躱すことは、彼女にはそう難しいことではなかった。免れたブネは驚きの表情を浮かべている。突然稲妻のような速度と威力を誇る攻撃が来たことに驚いたというのもあるが、それ以上にこの状況下で武器を捨て去るに等しい行為をしたことが信じられなかった。


 フリーレは手持無沙汰のまま、空を駆ける鳥の上に屹立している。武器と共に勝負も捨てたかに思われたが、フリーレの瞳は揺るぎない。


「……貴様、何のつもりだ?」


 最早彼女にはこちらの攻撃を防ぐ手段がない。今に猛スピードで接近して、この龍の牙であの憎らしい胴体を刺し貫いてくれよう、そう思った時だった。


 フリーレが右腕を高く掲げる。

 ブネは我が目を疑った。


 空の彼方に消えたはずのグングニールが、確かにフリーレの右手に収まるように出現していた。


「なんだとっ!?そんな馬鹿な……」


「ふふふ、やはりか。私の勘は正しかったようだ」


 フリーレは笑みと共に、戻ったグングニールをじっと握り締める。


「神器というのにはもしかしたら意思があるのかもしれないな。コイツを手に入れたばかりの頃は、ロクに力を使いこなすことができなかった。無駄に重くて、力を吸われる奇怪な槍でしかなかった。ところがどうだ、最近では随分と力を発揮できるようになってきた。まるでいつの間にか私に心を開いてくれたかのようにな」


 語りながら再度グングニールを高く掲げる。

 ブネは戦々恐々としている。これからどのような攻撃が始まるのか分かっているのだ。


「思ったのだ、今のコイツなら例え手放したところで、自ら私の元まで戻って来るのではないかと。誰にも懐かなかったコイツがひとたび懐いたとあれば、今度は今まで以上に尽くすのではないかと……だから私はこの期に及んで投擲してみせたのだ!そして、コイツは、戻って来た……!」


 再びグングニールをブネに向けて投擲する。ブネは稲妻の如くに飛んで来たそれを慌てて躱す。フリーレは高く手を掲げる。彼女の手に再びグングニールが戻る。


 投擲する。躱す。

 掲げる。戻る。


 投擲する。躱す。

 掲げる。戻る。


 投擲する。躱す。

 掲げる。戻る。


 投擲する。躱す。

 掲げる。戻る。


 投擲する。躱す。

 掲げる。戻る。


 投擲する。躱す。

 掲げる。戻る。


 投擲する。躱す。

 掲げる。戻る。


 投擲する。躱す。

 掲げる。戻る。


 投擲する。躱す。

 掲げる。戻る。


 投擲する。躱す。

 掲げる。戻る。


 投擲する。躱す。

 掲げる。戻る。


 投擲する。躱す。

 掲げる。戻る。


 ・・・・・・

 ・・・・・・



(ハァッ…!ハァッ…!)


 ブネはもはや疲労困憊であった。何度あの稲妻を躱したか分からなくなっていた。神器をこれだけ使用しているのだからフリーレも相当に消耗しているはずだった。しかし追い詰められているという状況が、殊更にブネを憔悴へといざなうのだ。


 それにグングニールは工夫も無く単純に投擲されているわけではなかった。高速で飛び回るフギンとムニンを駆使し空中を縦横無尽に移動しながら、様々な角度からブネを狙っていた。


 或る時、ブネはついに稲妻を躱しきれず、右半身を翼ごと貫かれた。長い髪と龍の首を揺らしながら、真っ逆さまに墜落してゆく。


(クソっ……!おのれ、フリーレ……!)


 落ちながら周囲を伺う。黒い鳥は見えるが、白い方とフリーレはどこにも見えない。


(いない……?奴はどこだ……!)


 そう思った時、気配を感じて視線を上に向けた。


 フリーレがグングニールを両手で掲げ持ち、稲妻を迸らせた状態で、墜落するブネ目掛けてフギンから飛び降りていた。


 そして槍は力強くブネの胸元に突き刺さり、大穴を空けるに至った。


「おのれぇぇっ!人間などムシけらのような存在だというのに……私はムシけらに倒される定めなのか……」


 最期の言葉と共に、ブネの肉体は力無く地上へと堕ちていった。

 墜落するフリーレはムニンに受け止められると、そのまま上昇して遥かな紺碧に溶けて消えた。

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