第150話 ヴェネストリア解放戦⑨

 荒れ狂いつつ押し寄せたその大水は、レーヴァテインの機体をもたやすく飲み込んだ。フレイは前後不覚になりながらも突如機体に衝撃を感じた。フォルネウスからの素早い打撃を受けたのだと悟る。


 初めは正面方向からの打撃だと感じたが、そう思う頃には背後から打撃を受け、それに気づく頃には今度は左側面からの衝撃によろけた。


「これは……!フォルネウスが水中を凄まじい速度で移動しているのか!?あの巨体でここまで機敏に動けるとは!」

「水を得た魚とはこのことでしょうか」


 やや狼狽のフレイに、フレイヤも苦笑で以て応える。このまま為す術も無くフォルネウスの猛攻に晒され続ければ、レーヴァテインの機体も無事では済むまい。


 しかしレーヴァテインは今回の作戦の要と言っても過言ではない。フォルネウスの打倒も実現しないままに、ここで破壊されるわけにはいかなかった。


「このままではまずいな……フレイヤ、頼めるか?」

「ええ、お兄様。私にお任せください」


 フレイヤは首元に提げたブリーシンガメンに手をかざす。赤、青、黄、緑の四色の宝石が嵌め込まれた神器だが、青と緑が光り輝いている。青は先ほどまで使用していた水のマナ、緑は風のマナが溜まっていることを示している。


 フレイヤが念を込めると彼女の姿は緑色の神聖なオーラに包まれた。青色の衣装がみるみるうちに緑色に染まっていく。


 フォルネウスは何事かと一瞬動きを停めた。その隙を見逃さず、フレイヤは水上に覗かせたレーヴァテインの頭部から勢いよく飛び出して宙に浮かんだ。


「ブリーシンガメン、モード:ヴィント!」


 水上ないし水中にて待機していたので水のマナに困ることはなかったが、その代わりに火と土のマナを溜める充分な機会には恵まれなかった。水だけでは対フォルネウスの備えとして不十分だと感じていたフレイヤは、進軍の道中でなんとか風のマナだけは溜めていたのだった。


 その慎重さがここで功を奏したのだ。フォルネウスの海の力は彼らの予想を上回っていたが、今度は彼らが敵にとって予想外の事態を起こす。


 フレイヤは宙に浮いた状態のまま両腕を下方向に伸ばした後、それを高く掲げるように動かしながら力強く叫んだ。


「風よ!高らかに吹き上げ、我が敵を大空たいくういざなえ!」


 フレイヤは溜めていた風のマナを全力で解放していた。途端に目を見張る事象が起きる。陸地を飲み込んでいた海水が一気に持ち上がったかと思えば、もろともにフォルネウスの巨体が宙に浮かび上がっていた。


(これは、凄まじい上昇気流を発生させているのか!?)

 さしものフォルネウスもこれには驚いていたようであった。


 フレイヤは最後の力を振り絞って、同じく宙に吹き上げられていたレーヴァテインの元へと戻る。その直後レーヴァテインが再び機動形態に戻ると、急速発進して空中のフォルネウスに激突する。突き動かすようにして、再び海から遠ざけるべく飛行を開始した。


「よし、仕切り直しに成功だ!大丈夫か、フレイヤ?」

「問題ありません、お兄様。風のマナは使い果たしましたが、まだまだ私には余力がございます」


 フレイヤは多少息を切らしながらも毅然として答える。風のマナが尽きたので彼女の姿は緑のドレスではなくなり、現在水のマナも発動させていないので元の鎧姿に戻っていた。


 フレイの心配は純粋に妹の身を案じていただけではなかった。レーヴァテインのみならず、ブリーシンガメンもまた今回の作戦では非常に重要な役割を担っているのだ。


 そして、それを果たすにはまずフォルネウスをどうにかしなければならない。想定よりも打倒に時間がかかっている。これ以上消耗するのは避けたかった。しかしフォルネウスはそんな想いを嘲笑うかの如くに、空中に突き上げられている状態のまま、再び腕を振り上げてレーヴァテインの機体を激しく叩き始める。


「調子に乗ってんじゃねえよぉ!雑魚がぁ!」


 その殴打はレーヴァテインを墜とさんとばかりに熾烈である。このままでは地面に激突してレーヴァテインが大破してしまう!


 その時、レーヴァテインではなく、フォルネウスの肉体が突如上空から謎の衝撃を受けて真っ逆さまに墜落した。兄妹揃って驚きで目を丸くする。頭上にはレーヴァテインがもう一機、空に浮かんでいた。


「これは、ウァラクか?」


 彼らが見紛うはずがなかった。作戦遂行の都合上、ウァラクがレーヴァテインに変身していたことは彼らも承知している。そのウァラクの化けたレーヴァテインから、フレイたちが搭乗している本物の方へと何者かが勢いよく飛び降りて、フォルネウスに打撃を喰らわせていたのだ。


 彼らの眼前には褐色の肌と美しい緑の髪を、武骨な鎧と兜で覆った女性騎士の姿がある。手には同じく武骨なハルバードが握られている。


「……エリゴス!」


 フレイは思わず彼女の名を呼んでいた。エリゴスは振り返ることも無く、背中越しに叫ぶ。


「行け!ここは私に任せろ!」

「し、しかし大丈夫なのか?」

「レーヴァテインもブリーシンガメンも今回の作戦の要となる神器だ。ここでいたずらに浪費するわけにはいかない。幸いフォルネウスはお前たちのおかげである程度消耗しているようだし、ここは海からは十数キロメートルは離れている。私でも充分真っ当にやり合うことができる状況のはずだ」


 フレイはしばし逡巡する。しかし結論はとうに出ていた。彼女の弁の通り、ここで神器を消耗させては作戦全部が瓦解しかねない。フォルネウスは最大の脅威でこそあるが、脅威は他にもいるのだ。


「……それもそうだな。ここは任せたぞ!エリゴス!」


 フレイは期待を込めた目でエリゴスを見つめる。ついこの前まで敵であった存在に後を頼むのは不思議な気分ではあった。しかし気後れや嫌悪感はどこにもない、正真正銘の同胞に向けられた想いであった。


 エリゴスも、言葉にしなくてもそれは伝わっていた。エリゴスは期待を一身に受けると、緊褌一番の思いでレーヴァテインから飛び降りた。すぐさま上空で変身していたウァラクが元の姿に戻ると、翼をはためかせて急速落下して、エリゴスの腰回りを掴んでパラシュート代わりとなった。


 エリゴスたちはフォルネウスが落下した地点に向かって、豆粒のように小さくなっていき、やがて見えなくなってしまった。それを見届けると、フレイは操縦桿を動かして方向を変じつつ、再びレーヴァテインを前進させた。

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