第23話【第五章】

【第五章】


 気づいた時、私はどこかの医務室にいた。

 どこかというのが具体的には分からない。だが、GFほどではないにせよ、私たちのような実戦部隊は世間に晒すことのできない存在だ。警察と自衛隊の間で、便利な掃除屋として扱われている。


 そんな自分の立場を思い返し(ここ数日で随分気を失ってしまったな)、上半身を起こして周囲を見遣る。そうか、ここは陸地だ。移動に使っていた船舶のような揺れが感じられない。

 

 そして広い。ベッドがざっと十二脚、整然と並べられている。それも、二十脚は優に並べられるような空間にだ。

 患者のいるスペースには、基本的にカーテンが設置されている。しかし敢えてカーテンを使わずに、気ままに過ごしている人も多い。読書をしたり、ストレッチをしたり、指向性音声でスポーツ中継を楽しんだり。


 そんな彼らを眺めていると、間もなく病室のスライドドアが展開した。入ってきたのは、初老の医師が一人に陸自の隊員が二人。きっと医師の護衛だろう。

 三人はゆっくりと私の前にやって来た。眼鏡をくいっと上げながら、医師が声をかけてくる。


「神矢忍・一等陸尉でいらっしゃいますな?」

「はッ!」

「ああ、そのまま! 敬礼は不要です。この病院にいる限りはね」


 私はゆっくりと肩の力を抜いた。


「自分はこの医療施設で副医長を務めております、佐川和則と申します」

「そ、それは……。そんなお忙しい方が、どうして私に? いえ、私が何か――」

「本題に入る前に、場所を変えましょう。さあ、こちらへ」


 佐川が身を引くのに合わせて、私はそちらを覗き込んだ。二人のうち一人の護衛が、車椅子を用意している。


「す、すみません! 一人で歩けます」

「ああいえいえ、ご無理なさらずに! あなたをこれ以上の負傷者にしてしまっては、副医長としての面目が立ちません」

「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えて……」


 私はもう一人の隊員に助けられながら、慎重に車椅子に腰を下ろした。


 どこへ向かうかはっきりしないのだが、尋問される雰囲気がある。私は何か特別なことをしたのだろうか?

 ――うむ、とても特別な体験をしたな。

 ヴィル・クラインという特A級のテロリストに身柄を拘束され、人質として扱われた。少なくとも表面上は、そういうことになっている。


 しかし、真実が明るみに出たらどうなるのだろう。

 まず私の社会的立場は抹消されるに違いない。『テロリストに自分から協力を申し出た元・特殊部隊員』など、とても褒められた肩書きではない。


「もうじき到着です。これであなたは、ご自分の不幸から解放される」

「え、えと……」


 私が口をぱくぱくさせていると、唐突に悲鳴が響き渡った。


「ふむ、あれだけ人間らしい声を聞いたのは、自分も初めてですな」

「人間らしい?」

「おや? ああいや、あなたがご存じなかったとしても仕方のないことですな、神矢一尉」

「何なんです、今のは?」

「あなたと同伴していたアンドロイドの悲鳴ですよ。まったく、人間様に負荷をかけないように大人しくしているのが、アンドロイドのあるべき姿だというのに」


 アンドロイドと聞いて、私は何者なのかと訝しんだ。

 って、それはソフィアのことじゃないか。あんまり人間らしかったから、彼女がアンドロイドであることをうっかり忘れていた。


 角を曲がった時にいたのは、車椅子姿のソフィアだった。外傷が見られないことに、私は大きく胸を撫でおろした。しかし、何をあんなに喚き散らしているのか。


 角を曲がり切って、私はソフィアが見ているのと同じ方を見遣った。


「!!」


 恐らく私も悲鳴を上げたのだと思う。ただ、それがどんな悲鳴だったのかはさっぱり想像がつかない。


「ヴィルッ!!」


 私は半ばずり落ちるように車椅子から立ち上がり、マジックミラー状の壁面に顔と両手を押しつけた。


 そんな馬鹿なと思い、かぶりを振る。しかし、目の前の光景には何の変化もない。

 壁の向こうで何があったのか? 

 端的に言えば、ヴィルが酷い暴行を受けていた。


 両手に架けられた手錠によって、やや高めの天井にあるフックに繋がれている。上半身は裸で、足は床についていない。極めて不安定な状態で宙ぶらりんになっている。


 ヴィルのそばには達磨のような体格をした大男がいて、鞭を振るっていた。鞭打ちの刑というわけだ。


 しかし私は一点だけ、この環境に感謝しなければならない。防音性が高いので、ヴィルの悲鳴や呻き声を聞かずに済む、という点だ。

 そりゃあ、ヴィルだって人間だ。痛みに屈して声を上げてしまうことはあるだろう。


 だがそれを聞いてしまったら、ヴィルよりも強い『力』を有する存在があることを認めることになる。それは駄目だ。絶対に。

 何故ならそれは、ヴィルの人生の核心に迫ってきていた自分たちの努力を無にする行為だから。そして、ヴィルの復讐心を否定するものだから。

 少なくとも、今の私にはそうとしか思えない。


「佐川さん! 早くあれを止めさせてください! ヴィルはただでさえ負傷しているんですよ!?」

「それは把握しておりますが……」

「だったらどうして、あんなことをやらせているんですか? まずは彼の回復を待って、それから事情聴取を――」

「それができないから困っているのだ、神矢忍・一等陸尉」


 ゆったりと空気中に沁み込んでいくような、穏やかなバリトンボイス。

 こんな場所には不似合いな、気持ちの芯の温もり。

 しかしどこかに暗いものを抱えたような、息詰まる緊張感。


「旗山竜城・二等陸佐……!」


 私は我知らず、彼の名と階級を口にしていた。


「ほう、貴公は私の名をご存じか。なるほど、ヴィル・クラインのそばで二、三日も過ごしていれば、そうもなろうというものか」

「はッ、あ、えと、そうじゃなくて……」

「おお! これはこれは、旗山二佐! 今日中にでも伺おうと思っていたのですよ!」


 私の言葉が途切れるのを待って、佐川が旗山に声をかけた。何故か親しげに揉み手などをしている。


「ほう、佐川副医長。ご機嫌だな」

「はい、そうですとも! あのアンドロイドをご覧ください! いるでしょう、そこでマジックミラーを必死に叩いている少女が!」

「ン……。見たところ欧州製のようだが、特別な個体なのか?」


 腕を組む二佐の前で、佐川はやたらとオーバーなアクションで語り出した。こうしてみると、薄気味悪い多脚動物のようだ。


「左様ですとも! アンドロイドという言葉だけで、よくぞ回答を――」

「兵器を内蔵しているのか?」

「は、はい! 見た目の可愛らしさもあって、暗殺任務には適任かと!」


 うひひひ、とこれまた気味の悪い笑い声を上げる佐川。ロリコンか、こいつ。


「ふむ。ところで副医長、神矢忍・一等陸尉の身柄をこちらでお預かりしたい。よろしいか?」

「ん? ああ、ええ、そうでしたね! では、身柄の引き移しの手続きを」

「了解だ」


 佐川が空中に表示させた立体画像に、旗山は判を押すのと同じ要領で自分の右手親指を押しつけた。

 ワンテンポ遅れて、私は事態の推移に気がついた。


 ここでソフィアが連れて行かれてしまったら、私は今度こそ一人っきりだ。それだけはなんとしても避けなければ。

 自分が自分なりに考えてヴィルの味方についたこと。それを糾弾されるくらいなら構わない。

 しかしそれが、ヴィルに脅されて恐怖心から行った行動なのだとは思われたくはない。


「あなたたちが……」

「ん?」

「あなたたちがヴィルの奥さんを殺したから、彼は復讐鬼になってしまったんだ!!」


 ぐいっと首を持ちあげ、私は旗山を睨みつけた。

 旗山は微かに眉を上げた。


「随分と事情をご承知のようだな、神矢一尉?」

「私のことなんてどうだっていい、今はヴィルの話をしているんです!」

「ちょっ、君! GFの隊長になんて口の利き方を……!」

「いや、構わないでくれ、副医長。いずれにせよ尋問は、我々GFが執り行うことになる。もう判は押したんだ。ここで身柄を預かっても支障はあるまい?」

「そ、それは……」

「うむ。行くぞ、神矢一尉」


 ヴィルの身体から鎖が外されていくのを尻目に、私は再び旗山に頷いていた。

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