第14話

「もう夏だ……。心配してるだろうな……」


 レフィが連れてこられたのはまだ春の寒さの残る日だった。実際の日にちはわからないが、そろそろ三ヶ月が経つだろう。


「だれが心配しているんですか?」


 キリカは毎日レフィを連れて散策してくれた。とはいえ、見えないレフィにはどこを歩いているのかわからない。広い庭だと思うけれど、人の気配は全くと言ってなかった。ここの情報を得るという目的は達成できそうにない。それでも太陽の光を感じて、木々の匂いを嗅いで癒やされた。


「友達がいる。神官をしていて……俺、神殿に帰りたい……」


 エルネストはもうレフィを覚えていないのかも知れない。血の繋がりのない兄弟で、どちらの親もすでにいない。レフィの世話をしていたジーナは、『二人は運命の番ですからね』と言っていたが、それすら本当のことだったのかジーナが亡くなってしまったからわからない。


「友達、ですか」

「ああ、いつも俺を心配してくれた優しい人だから、せめて無事だということだけでも報せたい」


 ユアはエルネストの元に帰ったと思っているはずだ。便りもない友人を『薄情なやつ』と思っているに違いない。

 神殿に帰りたいというよりは、何も知らずにただエルネストを待っていられた時に戻りたいのだとレフィは気づいていた。


「フィオ様がいなくなったらローレル様はどうなるのですか?」


 キリカの口調はレフィを責めるというよりは、レフィがどう思っているか確認したいだけのように聞こえた。


「ローレル……は、俺がいなくなったら次のオメガを娶るよ」


 ある一定以上の期間があいてしまえば番の絆は傷とともに薄れるという。

 それに今でもローレルから、時折ローレル(月桂樹)の葉の匂いがすることがある。本人もキリカも気づいていないくらいのかすかな匂いだ。目が見えなくなって他の感覚が鋭くなっているレフィだから気づいたのだと思う。

 その度にレフィは裏切られたような気分になっていた。自分だってエルネストを想っているから口にはしないけれど。


「そんな……っ、あ、フィオ様。申し訳ありませんが、部屋に戻ります」

「どうしたの? 具合でも悪い?」


 散策を途中で切り上げることは今までなかったことだ。キリカの声に焦りが見えて、レフィは心配になった。


「いえ、どうやら発情周期がきたようで……、すみませんが三日ほどここには来られません」

「そっか、キリカもオメガだもんな。でも抑制剤を飲んでないの? 新婚なの?」


 オメガは基本的に子供を作りたいとき以外は抑制剤を飲んで発情をおこさないようにする。フィオはローレルに子作り宣言されているので飲んでいないが、仕事をしているキリカが飲んでいないとは思っていなかった。


「いえ、番はいないのですが、……昔飲んでいた薬の副作用で抑制剤が効かないんですよ」


 薬の副作用にそんなものがあると知らなかったレフィは、驚いてキリカの袖を引っ張った。


「昔オメガだとバレた時に同僚に攫われて、発情誘発剤を乱用されたんです。何人も相手をさせられて、死にそうになったところを幼馴染みでもあった上司に助けられました。助けられた時にはもう副作用で抑制剤が効かなくなってしまって……」


 発情を一人で耐えるのは大変だと聞いたことがある。


「キリカ……。番を得れば、発情しても大丈夫なんじゃないのか? 大変だろう?」

「一度は落ちた身なので、もう家にも帰れませんし、誰も番になんてなってくれませんよ。ああ、大丈夫です。発情時には相手をしてくれる人がいるので、そんな辛くないですよ。悲しそうな顔をしないでください」


 キリカの平気そうな態度が嘘でないか見えないレフィにはわからない。目が見えていてもキリカはレフィに心を読ませたりしないだろう。


「その人は……」

「助けてくれた上司です。いいところ出のお坊ちゃんなんで、そんな事がなかったら相手にもされません。いい加減責任を感じなくていいんですけどね、便利なのでつい……。そろそろ本当に解放してあげたいんですけどね……」


 キリカが強がっているわけではないと思えて、少しだけ安心した。


「でも、ずっと相手をしてくれているなら……」

「成り行きですよ。フィオ様もそうでしょう? 最初の頃と違いますよね。子守歌を歌ってあげたり。あなたは優しいから……」


 子守歌は歌いたいから歌っているだけで、ローレルのためじゃない。


「優しくなんてない! 俺はローレルから離れたい……。ここにいたら、もう一生会えない……」


 エルネストに会いたい。もうローレルの番になったからエルネストのものになるのは無理だとわかっている。諦めているけれど、心のどこかで幼い頃のレフィがエルネストを待っている。

 ローレルにも申し訳ないと思っていた。心のどこかで一生『この人じゃないのに』と思っているレフィが番としてふさわしいとは思えない。それがローレルのせいだとしても、大事にしてくれているのはわかっている。


「それほど会いたいのですか?」

「ああ、ローレルには悪いと思っている。でもあいつだって、隠してる。ローレル(月桂樹)の香り……。時折思い出したように香ってる」

「私には何とも言えませんが……、助けてくれた上司は二人います。幼馴染みで相手をしてくれている男と、一緒にローレルも助けに来てくれました。命の恩人の願いはあなたを護ることです。あなたの身体だけでなく、心も守るということです……」

「ローレルが?」

「ええ。でも……そうですね。発情が終わったら……」


 キリカが上司でなく他の番を得たら、レフィの世話が出来なくなるだろう。それは困ると思って懇願する。


「俺、キリカがいなかったら生活できないけど」


 ローレルがいなくても大丈夫だけど、キリカがいないのは無理だ。


「それなのに神殿に帰るのですか?」


 神殿に帰る、とレフィは簡単に思っていたけれど、冷静になっている今はそれが難しいことだと気づいていた。義父が亡くなってしまった今、寄付がなくなっても神殿がレフィを護り生活を保障してくれるとは思えなかった。もちろんユアや他の神官もレフィを迎えようとはしてくれると思うけれど、人に迷惑を掛けたいわけじゃない。

 さっき聞いたキリカの話だって他人事じゃない。オメガの恐ろしい現実をレフィに突きつけた。


「神殿に行って……、友達に言付けるだけでもいい。ただ、無事だということをしらせたいんだ。手紙でもいい――」


 もしエルネストが会いに来てくれることがあればユアが伝えてくれるだろう。


「手紙はローレル様がお許しになるか……。あなたを失うことを考えて少しでも可能性があることは反対されると思います」


 たかだか手紙と思っても、レフィも嫉妬深そうなローレルが許してくれるとも思えなかった。

 もし手紙をもらったユアがエルネストに報せて、エルネストがまだレフィに愛着があるとすれば、ローレルは無事でいられないだろう。エルネストはアルファの頂点、国王なのだから。すでに情が移り始めているローレルを見殺しにもできない。


「――わかりました。発情をちゃちゃっとすませてきます」

「そんな簡単に……」

「フィオ様が寂しがっていると思ったらすぐ終わりますよ」


 キリカが笑っているのがわかる。 


「キリカ、寂しいから早く帰ってきて――」


 ローレルには素直になれないのに、キリカには伝えられるから不思議だ。


「はい――」


 そして三日ほどレフィは知らないオメガに世話をしてもらうことになった。

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