第45話 リーナの過去③


薄暗い中、二人はベンチに座り込んだ。冷たい空気が漂い、リーナはうつむいたまま微動だにしない。陽も彼女を見守りながら沈黙を保っていた。

どれだけの時間が経ったのか、静寂を破ったのはリーナだった。


「こんな過去…見たくもなかったですよね。」リーナの声はかすれ、まるで今にも消え入りそうだった。


「巻き込んでごめんなさい。私はもう大丈夫だから、ここを出る策を考えましょう。」


その言葉を聞いた陽は反射的に頭を下げた。そして深く息を吸い込み、全てを吐き出すように言葉を続けた。


「リーナさんは悪くない!俺が悪かったんだ!」陽の声には後悔が滲んでいた。


「俺が…、自分の力を過信して、リーナさんの気持ちを無視してしまった…。無理やりあの家に行こうなんて言って、本当に申し訳ない…」


陽は地面に頭をつけ、膝をついて土下座をした。その姿は、普段明るい陽からは想像もできないものだった。


「力になるって言ったのに、実際あの光景を見て、俺は何もできなかった…。ただ口先だけの男だ。本当にすまない…。」

陽の声が震え、拳を握り締めた。



リーナはその姿に目を見開き、少しして言葉をかける。

「…。頭を上げて…お願い…」

リーナの手がそっと陽の肩に触れた。


そして、静かに語り始めた。


「あの事件から半年後、結局、犯人は私たちが捕まえた。髪の毛とかも検査して、ラケルの近くに落ちていた白髪と一致したの。本人は無実をかなり主張してたけど、証拠が揃った以上、判決が下り死刑になったわ。」


陽はじっとリーナの話を聞きながら、重い表情を浮かべた。


「それから2年が経って、私はこの世界に召喚されたから、その男の命がどうなっているかわからないけれど…事は終わったのよ。」


陽はその言葉に頷きかけたが、ふとある違和感が脳裏に蘇った。


「…ごめん…リーナさん、今…何色の髪の毛って…」


「白髪って言ったけど…」


陽の顔色が変わった。

「リーナさん、今から話す事を落ち着いて聞いてください。」

陽は一瞬言葉を飲み込んだが、意を決して続けた。


「俺が獣人化して、リーナさんの家に向かう途中…血のにおいを纏った男とすれ違ったんだ。リーナさんの家に入り、その血の臭いはラケル君のものだと確信した。ヘリオスの鼻で嗅いだから間違いない。だから、俺はそいつが犯人だと思っていたんだ…そいつの顔の特徴もしっかり覚えてる…。」


リーナの表情が凍りつく。

「犯人とすれ違ったの…?」



陽は真剣な眼差しでリーナを見つめた。

「そう…だと思ったんだが…そいつの髪の色…赤髪だったんだ。」


その瞬間、リーナは目を見開き、手を口元に当てた。小さな震えが彼女の体を走り、彼女は言葉を失った。



「それじゃあ…私たちが捕まえたのは、本当に無実の人……」

リーナは低く呟いた。声は震え、体から力が抜けていくようだった。


彼女の瞳からは輝きが失われ、ただ深い絶望だけが映し出されていた。



「決めつけるのはまだ早い。リーナさん…元の世界ではDNAも一致していたんですよね。白髪の男は誰かにハメられた可能性だってあるんです。あの赤髪の男、不気味な笑みを浮かべていた。何か裏があるはずなんだ。」


彼の必死な訴えにもかかわらず、リーナの瞳は曇ったままだった。陽が彼女のそばに駆け寄り、目線を合わせようとしたが、彼女の耳にはその言葉が届いていないようだった。


リーナはかすれた声で呟いた。

「私は…人を殺してしまった…」


「ラケルを奪った犯人だと思って捕まえて、法によって裁いた。それで、あの子も少しは報われると思っていた。でも…もし本当の犯人が別にいるなら…私は無実の人の命を奪ってしまった…。それを正義だと思い込んで…私は…」


陽が「リーナさん、違う…」と声を掛けようとした瞬間、リーナの声が張り上がった。


「違うだなんて嘘よ!!私は…私は家族や大事な人を守るために正義を信じて生きてきた!!!!でも、最愛の弟…ラケルを守れなかった!自分がどれだけ無力だったか…それなのに、挙げ句の果てに無実かもしれない人を、髪の毛だけを証拠に死に追いやって…!」


リーナの瞳は涙で潤み、声は絶望に満ちていた。


「なにがエリュシアを救うよ…!何が民を守るよ…!何が信仰を集めるよ!!」


その言葉を最後に、彼女はゆっくりと腰に掛けた剣に手を伸ばした。その動きは、まるで最後の意志を表すかのように重々しかった。


「こんなことなら…」リーナは剣をゆっくりと鞘から抜き、自分の首に当てた。


陽の瞳が大きく見開かれる。

「リーナさん!!何やってるんだ!!」


陽は瞬時に動き、リーナの手首を掴んだ。その力強い握りが、彼女の動きを止めた。


「離して!!!!」

リーナは陽を振り払おうとしたが、陽はその手を離さなかった。

「私は人を殺したのよ!無実の人を…!こんな私に、生きている価値なんてない!!」


リーナの瞳からは涙が溢れ、その涙は止めどなく彼女の頬を伝って落ちていった。


「いっそのこと、私もラケルの元へ…家族の元へ帰りたい…」


陽の心が締め付けられる。それでも、彼は必死に声を張り上げた。

「リーナさんが死んで、家族が本当に喜ぶと思うのか!?」


「私が生きる価値なんて…!」リーナが叫びかけた瞬間。


パシン―――


乾いた音が響き、陽の右手がリーナの頬を打った。リーナは驚きに目を見開き、その場で言葉を失った。


「生きる価値がないなんて、そんなこと言うなよ!」陽の声は震えながらも、彼女の心に届くように力強く叫んだ。


「リーナさんがいなかったら、俺はここまで来られなかった!とっくにアレイオスの森で死んでましたよ!俺より歳下の女性だけど、正義を信じる、あなたの背中が凄くかっこよくて!!!あなたと肩を並べたくて!ここまで強くなったんだ。俺だけじゃない!あの森で助けたゴブリンの子どもも!ベオリアの国民も!ライサさんやラドウィンさんたちも!!あなたの正義が命を救った!!どうしても生きる価値がないって言うなら、もういいってくらい、俺がその生きる価値を…リーナさん、あなたに証明してやる!」


リーナは頬を押さえたまま、陽を見上げた。その瞳には、彼の言葉を受け止めきれない混乱と、自分を責め続ける苦しみが入り混じっていた。


「それでも…私は…」


陽はリーナの肩を掴み、さらに言葉を重ねた。「リーナさん…俺にはあなたの痛みを完全に理解することはできない。でも…」


陽は一度深く息を吸い込む。


「生きることから逃げちゃいけない。リーナさんがここで死んだら、彼の想いはどうなる…リーナさんを笑顔にするために、ラケル君はあのネックレスを選んだはずでしょ。」


その言葉に、リーナの瞳がわずかに揺れた。陽の真剣な表情が、リーナの心に僅かながらも響いたようだった。


陽はそのままリーナの手から剣を取り上げ、そっと地面に突き刺し、優しい声で言った。


「死刑もまだ執行されたわけじゃない。ここは神様が近くにいる世界だ。きっと方法はある。」


リーナの瞳から再び涙が溢れた。しかし、今度の涙には、先ほどまでの絶望だけではなく、どこか救いを求める気持ちが混じっているように見えた。


「陽…」


リーナの声は震えていたが、先ほどよりも少しだけ力が戻っていた。


リーナは静かに息をつき、ゆっくりと陽の胸に頭を寄せた。


「リーナさん…!?!?」


陽は驚いたが、それ以上何も言わず、そっとその場に立ち尽くした。


「…もう少しだけ…こうしていさせて…。」


陽は彼女に胸を貸した。


しばらくして、リーナは涙を拭い、ゆっくりと顔を上げる。その瞳にはかすかに光が戻り始めていた。


「ありがとう…。」


そのまま、リーナは言葉を続ける。


「過去は変えられない。だから、今は私の使命を全うするわ。真実が明らかになり、もし私の過去の行いが過ちだったなら、その罪は償いきれないかもしれない。それでも、私はその十字架をら背負っていく。覚悟は決めたわ。」


陽はリーナの決意を受け止めるように頷いた。「あぁ。」


「ここを出ましょう。」


リーナの言葉が響いた直後、二人の足元から柔らかな白い光が立ち上がり、全身を包み込んでいった。


目を閉じていた陽がそっと瞼を開けると、そこには見覚えのある迷宮の景色が広がる。


冷たい空気と薄暗い空間が、二人を再び現実へと引き戻す。


「戻ってきたのか…」陽が呟き、隣を見るとリーナも同じように迷宮を見渡していた。先ほどまでの悲しみに満ちた表情はどこか落ち着きを取り戻しているようだった。


その時、目の前にゆっくりと姿を現すように、一人のローブを纏った女性が現れた。

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