10
昇に彼女ができたらしい。
直接は言って来なかったけれど、野球部員と話しているのが漏れ聞こえてそれを知った。正直水くさいと思った。真っ先に教えてくれても良いのに。それくらいの関係になれたと思っていた。そういう風に考えて勝手に距離を感じるのが自分の悪い癖だと分かっていたけれど、やっぱり部活の友人の方が優先順位が上なんだろうかと思ってしまう。
「箭内、知ってた?」
これで箭内が知ってたらダメージがでかすぎると分かっていたけれど、聞かずにいられない。
「いや、知らん」
箭内は振り返らずに答えた。野球部員の声がでかく、どうやら前の合コンのときに知り合った女の子だということが分かる。もうやったのか、とか訊いている声が聞こえてきて僕はうんざりした。
「そういえばさ、箭内はいるの? 彼氏」
流れで思わず訊いてしまった。彼氏という表現が正しいのか分からなかったが。
「いるよ」
「えっ!」
「念のため言っとくけど男な」
「お、おう」
そこを念を押されても。
「でもどうやって知り合ったの? なんていうか、正直未知の世界なんだけど」
箭内は、壁を背に座り直した。箭内は横顔が一番格好良く見えるのを知っているんだろうか。
「中学の時の家庭教師。今は大学で医学部行ってる。ちょっと暗い話になるよ」
僕は頷くしかなかった。
「まあさ、わざわざ埼玉まで来てるってので気づいてるだろうけど、俺中学の時結構病んでて、色々自暴自棄になってたんだよな。そんなとき面倒見てくれた先生で、相談乗ってくれたから流れでカミングアウトしたんだよ。親にも言ってなかったし、まあ一部にはバレてたんだけど、それでも結構勇気振り絞ってさ。そしたらびっくり、先生もそうだった。んで別に先生のことが好きだった訳じゃないんだけど、初めて打ち明けた相手で、相手は色々そういう世界のこと知ってて、話してるうちに先生のこと好きになってた。んで告白したら、高校生になるまで、志望校受かるまでダメだって言われた」
「志望校って」
「ここ。んで見事合格して、晴れて恋人になったって訳。正直中学だろうが高校だろうが条約違反なんだから一緒だろと思ったけどさ」
箭内は笑った。
やはり中学で色々あったのだという話がさらりとされてしまって、正直どうリアクションすれば良いのかわからなかった。
「でもすごい偶然だね、先生もそうだったって」
「まあな、でも言ってないだけで結構いるから、こっちの人。多分お前が思ってるより多いよ? このクラスにも俺以外に一人は確実にいるね」
箭内はクラスメイトたちを見ている。
「これにはちゃんと根拠があって、まあよく言われる調査で全人口の五%は同性愛者だって言われてる。でもこういう調査で全員がバカ正直に答えるとは俺には思えないから、実数はもっと多いと思う。まあ仮に五%だとしても二十人に一人。このクラスの人数を考えると俺ともう一人いておかしくない数字だ。これは本当なのか分からないけれど八割は潜在的にバイセクシャルの傾向を持ってるなんていう説もある。男子校とか女子校でやたらカップルができるのもそれを踏まえると納得できる」
箭内は机の上に置いてあった本——カバーがかかっているけれど、確か『一九八四年』を今読んでいると言っていた——を手に取ってぱらぱらとめくった。
「箭内はいつ自分が『そう』だって気づいたの?」
「俺は子供の頃からずっとそうだったよ。初恋も小学校一年生のときで、相手は男子だった。すぐにそれがおかしいことなんだって分かって隠してたけどな」
僕の頭の中に、雪穂の言った言葉が思い出された。『ゲイだから味わってきた苦悩の表情』。多分今目の前の箭内は、そんな顔をしている。初恋の話を、こんな苦しそうにする人を見たのは初めてだった。
「逆に先生は気づくの遅かったらしいけどな。高校で彼女ができて、セックスできなくて初めておかしいなって思ったらしい。あの人頭良いけどその分硬いんだよな」
そう話す箭内は幸せそうで、『先生』のことが本当に好きなのが伝わってきた。
「俺ばっか話してる。朗はどうなんだよ」
箭内がこちらを向いた。
僕は動揺した。何と言えば良いのか分からなかった。今までそうしてきたように、適当な嘘をでっち上げるのは簡単だった。だけれど箭内の話を聞いた後にそれができるほど僕は心の死んだ人間では無かった。だから僕は正直に言うことにした。
「僕は、人を好きになるってことが分からない」
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