第16話 心臓と限界

◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇


 私は〈回復〉の魔法を〈夫〉に使ってあげた、体が光ったのはそれらしい感じだ。

 

 けれど、効果が良く分からないって言われてしまったよ。

 そこは社交辞令で、〈おっ、体が軽くなったよ〉くらい言うべきじゃないの、全く嫌になっちゃうわ。


 三階層で遭遇する〈化け猪〉と一度だけ当たることになった、私と〈ミトさん〉は壁のくぼみに身を隠すようにしている、こうするのは〈化け猪〉の特性を考えた作戦だ。

 猪の魔物だから、突進力がすごいと考えたんだ、どこからともなく現れた〈化け猪〉は想定した通り、ものすごい勢いで〈夫〉と〈ラトさん〉へ猛進してくる。


 〈夫〉は素早く、〈ラトさん〉も何とか、〈化け猪〉の突進を交わして、槍で突き刺そうとしたけど、〈化け猪〉のスピードが早過ぎてまともに刺さらない、ゴワゴワした硬い毛と分厚い皮膚にもはばまれているんだわ。


 新調しんちょうした〈ミトさん〉の防具の素材に、なっているだけのことはある。


 ちょっとこれは、想定外になったわね、私と〈ミトさん〉は全く戦力になりそうにない、とてもじゃないが、突進する〈化け猪〉へ槍を叩き込むことなんか出来っこないよ。

 〈化け猪〉を狩るには、人間離れした腕力か攻撃魔法が必要なんだわ、あの〈魔法玉〉が〈回復〉だったのが悔やまれる。


 「槍を貸せ」


 〈夫〉が焦った感じで命令をしてくる、乱暴な言い方にこんな状況でもイラッとしてしまう。


 「ぐわぁ」


 あっ、〈ラトさん〉が避け損さけそこねて〈化け猪〉に接触したんだ、私は急いで〈回復〉をかけてあげた。

 〈夫〉は私が貸した槍を迷宮の床に固定して、その前に立ち〈化け猪〉を誘っているようだ、〈そんなやり方は危険過ぎる〉〈かわせなかったら死んでしまうわ〉と〈夫〉を𠮟しかりつける前に、〈化け猪〉が〈夫〉目掛けてとんでもないスピードで向かってくる。


 「あっ、危ない。 あなた逃げて」


 えっ、間に合わなかったと心臓が跳ねた、でも〈化け猪〉の胸に折れた槍が深々と刺さっているのが見える。


 はぁー、〈夫〉はギリギリでかわせたようだ、寿命が数年縮んでしまったじゃない、ほんと止めてよね。


 瀕死ひんし状態の〈化け猪〉へ〈夫〉が止めを刺して、後一匹になった、でも私達にとっては、まだ一匹残っていると言うべきだろう。

 一匹目みたいなギャンブルは、〈夫〉も無茶だと悟ったのだろう、〈夫〉と〈ラトさん〉は〈化け猪〉の体力を削る持久作戦に出たらしい。


 「手で合図をしたら、〈回復〉をかけてほしい」


 「分かったわ。 任しておいてよ」


 私は努めて明るい感じで返事を返しておいた、ほとんど体力を使っていない私が暗くなってどうすんのよ。


 〈夫〉は危なげなく突進を回避している、敏捷性がすごいわ、〈等級〉を上げた効果なんでしょうね。

 〈ラトさん〉の方は、かなり危ない感じに見える、体力の消耗も激しいようで肩で息をし出したわ、私は合図を待たないで何回も〈回復〉をかけてあげた、合図をする暇もない感じだったからだ。


 〈ラトさん〉はこのままではやられると思ったんだろう、私達と同じように壁の窪みに身をひそめるとこにしたようだ、〈ミトさん〉が「ふぅー」と大きなため息を吐いている、ホッとしたんだろうな。


 だけど私の〈夫〉は、一人で〈化け猪〉の相手をすることになってしまっている。

 私は〈回復〉をかけてあげることしか出来ないけど、〈ラトさん〉に使い過ぎたようで、使える回数が後わずかだと朧気おぼろげながら分る。


 〈夫〉にこのことを伝えるかを迷ったが、正直に伝えることにした、私が〈回復〉をずっと使える前提で戦略を組んでいたら、私が伝えなかったせいで〈夫〉が殺されてしまう可能性に思い当たったからだ。


 「聞いて。 〈回復〉は後三回くらいしか使えないわ」


 〈夫〉は答える代わりに手を高く上げて、〈化け猪〉を挑発するために迷宮のど真ん中に立っている、〈夫〉が〈化け猪〉の注意を引きつけなければ、私や〈ミトさん〉に襲いかかってくるからだ。


 それからも、〈夫〉は〈化け猪〉の目の前に立った後、猛スピードで突進してくるのを横に避けて、いなす動きを延々とやり続けた。

 私の折れた槍を拾い投げつけて、わずかながら体に傷を負わせることも出来た、少しずつだけど血が流れているから、時間が経てば体力を奪えるはず。


 私は〈夫〉へ二回〈回復〉をかけた後には、もう祈ることしか出来なかった、〈神様、どうか〈夫〉をお守りください〉、これほど真剣に祈ったことは無い、焦燥感で胸が苦しい、もう一回の〈回復〉は保険の意味で温存しておく必要がる。


 実際は一時間も経っていないのだが、もう一日以上経ったと思うような息苦しい時間が過ぎた後、やっと〈化け猪〉のスピードが落ちてきた、はぁー、何とかなったよ。

 私が思った事と同じことを〈夫〉も思ったのだろう、少し身びいきだけど油断とは言われたくない、〈夫〉の集中力にわずかなほころびが生じて、床の段差に足をとられてしまったんだ。

 〈化け猪〉の体にかすった〈夫〉は壁に叩きつけられてしまっている。


 私は急いで回復をかけたが、一回では足らない、まだ〈夫〉の足はふらついているのに、〈化け猪〉が〈夫〉に憎々しげな眼を向けて、猛然と走って来ている。


 〈あぁ、どうしよう。〈回復〉はもう使えないよ〉、私は絶望の一歩手前になって目の前が黒く染まっていく。


 私の目の端で〈ラトさん〉が〈化け猪〉へ跳んでいくのがチラッと見えた、〈夫〉を助けるために勇敢に飛び出してくれたんだ。


 〈化け猪〉も〈夫〉をやれるチャンスだと考えるあまりに、警戒をおこたっていたのだろう、〈ラトさん〉の槍は比較的柔らかい腹へ見事に突き刺さった。

 〈ラトさん〉の捨て身の渾身こんしんの一撃が決まったんだ、いつも大人しい〈ミトさん〉が踊るように喜んでいるよ。


 私も負けていられない、限界を超えてやるわ。

 〈夫〉へもう出来るはずのない〈回復〉をかけた後、私は心臓が苦しくなり気絶してしまったようだ、苦しかった以外は自分では良く覚えていないのよ。

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