参加作品

01:万年調査役はネコが好き

「なぁ、遠藤君。君は山登りが趣味だったね?」


 頭脳の質が心もとない上司が深刻な顔をして話しかけてくる。


 無能、給料泥棒、親戚が経営者だからギリギリ首にならないと悪い評判しか聞かない万年調査役だ。異動により直接関わる事になって評判を実感するのにさほど時間はかからなかった。

 40代後半。同期の一部が役員へと昇り詰めているのに、悔しそうなそぶりも見せず毎日暇そうに欠伸を噛み殺している。

 何の調査をしているのか分からない調査役。決裁権限もないので、PCに触るのも10分に1回くらいだ。時々珍しく熱心に画面を見ていると思ったら、ネコ動画だった。


 そんな上司に話しかけられるのは業務の邪魔でしかない。私は仕事が嫌いなので、定時で終わらせて早く自作小説の続きを書かなければならない。ただ、無視をするとそれはそれで面倒なので、PC画面から目を離さずに生返事をすることにした。


「ええ、まぁ」


 ちなみに山登り(ソロ)は、人付き合いを避けるためにテキトーについている嘘だから、その関連の話題を振られても困るのであしらわなければいけない。絶対に。


 こんな態度を他の上司、例えば鬼の木村に見せれば5分間は説教をくらうだろう。それでも先輩に言わせれば、時代の流れか鬼はツノも牙も取れかかっているという。

 昔は、バインダーが空を飛んだというから、鬼はサイコキネシスの使い手だったのだろう。


 それに比べてこの昼行燈な沢村さわむら何某なにがしは、何の特殊能力もないクリボーみたいな上司だから踏み台にするのが丁度いい感じなのだ。


「山は空気がおいしいっていうけど、本当?」

「ええ、まぁ」

「でも、空気って味しないじゃない?」

「ええ、まぁ」

「じゃあ、おいしいっていうのは嘘ということ?」

「ええ、まぁ」

「さっき本当って言ったじゃん」

「ええ、まぁ」


 案の定だった。この上司が話しかけてくる内容は、よく嫌いな同僚が口にしている「ほら、私ってサバサバしてるじゃない?」と同じくらいどうでもいいことなのだ。

「お前がサバサバしてるか、知らねーよ! どうでもいいよ!」とは社交辞令を弁えている私は流石に言えないので、平等に生返事をするのだ。


 取り合ってもらえない事に拗ねた上司は、ネコ動画に癒しを求めたようだ。

 やはり、生返事は「対どうでもいいこと汎用兵器」であることが証明された。

 今日も平和だ。



 ある日、面倒な担当先のこれまた面倒な担当者が会社に乗り込んできて、先日結んだ契約は無効だと騒ぎ立てた。面倒の面倒乗めんどうじょうくらいのめんどくささ。納豆が洋服にまとわりついているような不快感だ。


「ですから、それは先日説明致しました。そして了承していただき契約をいただいたわけですから、一方的に破棄する場合は違約金がかかります」


 ひとつも難しい単語を使っていないが、電波かあるいは性根が悪いのか、先方には全然伝わらない。若輩でしかも女性である私を、何の根拠もなく下に見ている白亜紀くらいの価値観をお持ちの限界中年男性なのでやむを得ない。

 はぁ。こんなのばっかりだ。少しはやむを得させてくれてもいいじゃないか。やむは減るもんじゃないし。


 あれれ、おかしいぞぉ? 白亜紀の怪獣と可憐なOLの間で言った言わない論争が繰り広げられているというのに、会社の男共は知らんぷりをする。君達は私にモテたくないのか? キュンとさせる気概はないのか? これだから少子化は止められないのだ。


 すると、沢村何某が徐に立ち上がり、こっちへ向かってくるのが見えた。確かに、契約時にはベテランを寄こせと注文されてアンタも同行したが、借りてきた猫だったろう。余計にややこしくなる未来しか見えないのだが!!


「先日はどうも~。あれですね、最近のスマホってやつは操作が難しくて、いかんですな」


 何の話だ!?

「何の話だね!?」


 沢村何某よ、納豆野郎とシンクロしてしまうくらい、それは今言う話ではない。


「いえね、先日そちらに伺う前に、野良猫をたまたま見かけて動画を撮っていたんですが」

「沢村さん、今、世間話をする場合では―」


 私は流石に耐えかねて耳打ちするが、それを阿保上司は掌で遮る。なんだぁ偉そうに!


「いやぁ、それが録画の停止をし忘れましてね。胸ポケットにそのまま入れていたもんですから、商談の様子も映っているんです~。しっかしまぁ、不幸中の幸いでしたね、これでお困りの内容を確認できます。ネコちゃん、様様さまさまです。」


「……あ、急用を思い出した!! すまんが、今の話は忘れてくれ」


 間違いが明らかになるのを安いプライドが許さないのか、納豆野郎はそう言ってそそくさと帰っていった。

 無能上司のうっかりもたまには役に立つと感心したのも束の間、私はあることに気づく。


「沢村さんってカメラ機能のない業務用携帯しか持ってないんじゃ?」

「そうだっけ? 自分が何を持っているか、僕おバカだから忘れちゃった」


 変なウィンクをする上司は確かにバカそのものだが、その瞳の奥は笑っていない気がした。

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