第10話 *

いきなり目の前に現れた見知らぬ男の言うことを信じるほど、太陽もバカではない。


けれども、太陽はその男を無視することができなかった。

今日、この時間、この場所で待ち合わせをしたことを知っているのは瑠奈しかいない。

しかも相手は太陽のフルネームを正確に知っていた。



太陽の名前は、母親がフアンだった芸能人の名前からつけられた。

「太陽」と書いて「たかやす」と読む。

でも、「たかやす」と読める人間はまずいない。

太陽も、いちいち説明するのがめんどうで「たいよう」と呼ばれるままにしていた。

だから、「太陽」を「たかやす」と知っている人間は限られている。



男はなおも話し続ける。


「瑠奈から、ここで君が自分を待ち続けていると聞いて、来てみれば、本当にいたから驚いたよ。約束の時間はとっくに過ぎてるだろ?」

「何なんですか?」

「さっきも言ったけど、瑠奈の恋人だから」

「ふざけたことを……」

「信じない?」

「口では何とでも言える」

「瑠奈が見たがっていた映画、君とは行かなかったんじゃない? 僕と行ったから。瑠奈はスマホの電源を切っていることが多いだろ? それは僕と一緒にいる時に君から電話がかかってきたら邪魔だからだよ」

「嘘だ」

「いい加減、わからない? 君、しつこいよ。今でも瑠奈が君を好きだと思う?」

「当たり前だろ」

「瑠奈は君との約束を守る? 急に帰ったりしない?」

「それは……」

「瑠奈はいつも約束した時間の随分前から僕を待っている。僕が現れると嬉しそうな顔を見せる。君の時もそう?」


太陽の胸にじんわりと、考えたくもないことが形になろうとしている。


「彼女のここ」


男が自分の左胸を指さした。


「ほくろがあるのを知ってる? 普段は見えない場所」

「お前、まさか……無理やり……」

「そうじゃないことくらいわかるだろ? 君には見せてない? 彼女、怖いくらい肌が白――」


太陽の拳が男の頬を掠めた。


「危ないなぁ。僕が避けなかったら警察沙汰だ」

「お前の言うことは全部嘘だ。作り話だ」

「諦めなさい。瑠奈の気持ちはもう君にはない」

「なんだよ……」

「言いたいことはそれだけだから」


男は話が済んだとばかり、向きを変えるとその場を去ろうとした。


「名前、何? 瑠奈に確かめる」


太陽の問いかけに、男が振り向いた。


「僕は……基町」

「仕事って証券会社?」

「まぁ」


今度こそ、男は人混みの中に消えていった。

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