(2)

「あらぬ嫌疑をおかけし、大変申し訳ございませんでした。イズー様には正式に謝罪いたします」


 アラスターに伴われて再度顔を合わせることになったモードは、開口一番謝罪し、イズーに向かって頭を下げた。その動きが妙に洗練されているというか――なにやら、モードにとっては手慣れた動作であるようにイズーには思え、不思議に感じた。


 場所は学園内に設けられた小さなサンルームのひとつ。一面がガラス張りの一角からは植物園が臨め、日当たりがとてもよく、寒冷なこの国においては寒さに震えることなく和やかに過ごせる重要な部屋であった。


 イズーとモードの家格は同国人同士ではないために単純には比較しづらい。それでもモードは第四王子ヘンリーの妃に内定しており、イズーはそのヘンリーに仕える乳兄弟アラスターの婚約者という立場であったから、モードが入室してからイスから立ち上がって、そのままだった。


 一方のモードも入室するや頭を下げたままで、着席する様子はない。イズーへ謝罪しに来たのだから当然と言えば当然であった。


「顔をお上げください、モード様。謝罪してくださったのですから、もうわたしたちに遺恨はありませんわ」

「え……でも――」

「謝罪してくださったので、わたしはもう気にしません。この『体質』に困らされたことは幾度もありますから……」

「その……本当にごめんなさい。私、本当にどうかしていて……いえ、これは言い訳ではないのですけれど――」


 イズーとモードが立ちっぱなしのままやり取りしている状況に、それまで口を出さずに見守っていたアラスターが待ったをかける。


「ふたりとも、長い話をするのならひとまず席についてはどうだろうか」


 モードは寄る辺ない子供のような横顔でアラスターを見て、「でも」と口にする。


 モードは、美しい令嬢だ。かつての王妹であり、公爵家に臣籍降下した祖母君に似た、波打つブルネットが美しい凛とした令嬢であるとの巷説は、イズーも耳にしたことがある。


 けれども今のモードはどうだ。作り物めいた静謐な美しさをたたえながらも、しかしどこか迷子にでもなった幼子おさなごのようである。


 イズーが学園内で遠目に見たモードや、イズーを糾弾してきたときのモードとは、あまりにも印象が違う。


「モード様、どうぞそちらにおかけになってください」

「え、ええ……イズー様がそうおっしゃるのでしたら……」


 アラスターが引いたイスに、モードはおずおずと腰を下ろす。


「……モード様、改めて言うことではないかもしれませんが、いずれわたしはそちらのアラスターに嫁ぐ身です。ヘンリー殿下の妃になられるモード様とは禍根を残したくはない……というのがわたしの本心です」

「それでも……立腹なされたでしょう」

「いえ、呆気に取られはしましたが……。先に言った通り、この生まれつきの『体質』に困らされたことは幾度となくありますから。正直に言うと、モード様のようにきちんと謝罪してくださるだけまだマシと言いますか」

「本当に……申し訳ございません」


 モードは元より白い顔をさらに白くしてうつむきがちになっている。イズーはそれを見て、モードに腹を立てるよりも、なんだか彼女がものすごく哀れに思えてきた。


 イズーの言ったことはほとんど本心そのままだ。この「体質」にまつわる「トラブル」は山と経験してきた中で、イズーに瑕疵のない「トラブル」は多い。


 だがモードのように面と向かって謝罪してくれる者はほとんどいない。みな自分こそが真の被害者であり、正真正銘の悪はイズーであるとばかりの態度を取ってきた。


 たしかにモードの行いは、軽はずみだったとのひとことで片づけていいものではないだろう。モードは権威ある公爵家の令嬢であり、第四王子ヘンリーの妃に内定している。その振る舞いは常に思慮深いものでなければならないだろう。


 けれど――。


「モード様、これは『神々のいたずら』ということにしませんか?」

「え?」

「わたしの故国では『意に沿わない事態』が起きたときにそう言うのです。まあ……単なる責任転嫁ですけれど。いつまでもモード様がそのようなお顔をされていては、わたし、なんだか自分が悪いことをしているような気になってしまいます」

「それは……」

「それに、いつまでもそのようなお顔をされていたのでは、ヘンリー殿下もご心配なさるのでは?」


 イズーは、間違いなくモードを元気づけるつもりで言った。


 しかしそれはモードがイズーに対してかけた嫌疑と同じくらい、的外れなものだったらしい。


 イズーの言葉を受けて、モードの顔が明らかに曇る。うつむきがちだったのが、今では完全にうつむいてしまっている。


 明らかに言葉に詰まった様子のモードを見て、イズーは思わずサンルームの出入り扉の横に静かに立つアラスターに視線を送る。


 だが見かねたアラスターがなにごとかを口にする前に、モードがその薔薇色の美しい唇を開いた。


「ヘンリーは……もうわたしのことなんでどうでもいいの」

「――え」

「もう口を利く気もないみたい。きっとわたし――もうすぐにでも王子妃の内定が取り消されるに違いないわ。だ、だって当たり前よね? 貴女にとんでもない嫌疑をかけて、ヘンリーのき、妃になる予定の女が……ヘンリーの顔に泥を塗ったわ。き、きっと、それでわたしに愛想をつかしちゃったんだわ」


 モードはぶるぶると震えて、青白い顔でそう言う。


 そこにはイズーを糾弾したときの自信に満ち溢れた顔は、影も形もなかった。あのときと同じなのは、必死さだけだ。


 イズーはモードの様子を目の当たりにして、密かに動揺する。


 ――やっぱり、わたしのせい?


 イズーの生来からの「体質」は、イズー本人にはどうすることもできないものだ。けれどもイズーがいなければ、モードとヘンリーはこのような「トラブル」とは無縁でいられたかもしれない。


 イズーは胸中に生じた動揺に、己の心臓があからさまな拍動を打つ音で急き立てられるようにして、モードに問う。


「ヘンリー殿下には謝罪なさったの?」

「いいえ……『距離を置きたい』の一辺倒で……」


「――殿下はヘソを曲げているんだ」


 イズーが思わずアラスターを見れば、彼は困ったような微笑を浮かべていた。


「モード嬢、貴女の内定が取り消されることはない」

「そ、そんなはずないわ……!」

「……貴女を突き放すような態度を取ってしまって、殿下も合わせる顔がないと思っているんだろう」

「そんなことないわ!」


 モードはすっかり己の悪い予想に取りつかれている様子だった。


 アラスターはそれでも根気よくモードを説得する。


「殿下とお会いする場は私が作りますから。イズーも同席すれば殿下も貴女への態度を改められるでしょう」


 アラスターがそう言い、イズーも同席することを了承したこともあってか、モードはようやくうなずいた。モードの目の白い部分は、ほのかに赤く充血していた。

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