第5話

 セイラは休日に美容院の予約を入れた。


 何年も通ってる美容院はカフェのような造りで、綺麗に整えられた庭がある。客は季節ごとに変わる花や木の様子を眺めながら髪を整えてもらうのだ。


 この日、セイラはシャンプーを専門学生の男子にやってもらった。セイラの担当の女性に紹介された彼は、”よろしくお願いします……”とはにかんだ。


 シャンプーが終わった後、彼は肩をマッサージしてくれた。担当の女性に別の客が来たので気を利かせてくれたようだ。


「美容の専門学校って辞める率が高いんです。サロンでバイトしながら学校に通うのでとにかく時間がなくて……」


「それは本当に大変そうですね……」


「その中でアホな同級生がいたんです」


「へー?」


「ラッパーやホストに転身したんです」


「あらあら……」


 彼は綺麗に赤く染めた爪をきらめかせ、苦笑いをした。キャッツアイのようなネイルに目を引かれ、よく見せてもらった。


 ネイルはいいな、と思うがここまで本格的なのはやったことがない。


「彼女がやってくれたんです。ネイルサロンで働くのが夢なんですよ」


「さすが専門学生ですね。私は自分でちょっと塗るのが限界ですよ」


 セイラは自分の指を広げて見せたら、”冬の新色だ!”とうらやましがられた。

 










 セイラは以前、接客業だった。


 大手チェーンのファミレスのマネージャーとして働き、それなりに認められていた。


「ありがとうございました。またお越しくださいませ」


 セイラは客の背中に腰を折った。


(今の人、可愛いネイルだったな……)


 セイラは会計時、客の手元を見ることが多い。財布からお金を出したりスマホで決済の準備をしているところを。


 その時にネイルしている人を見つけると、爪に見入ってしまう。ぷっくりとしたジェルネイル、シンプルなマニキュア、長い付け爪で尖った爪。どれもうらやましくなる。


 セイラは眉を落として自分の手を見た。今の時間はホールを担当しているが、キッチンに入ることもあるのでアクセサリーを身に着けたりネイルを施すのは禁止だ。


 それにこんなに荒れた手にネイルなんてとても似合わない。セイラの手は繰り返し洗ったり、アルコール消毒をしてきたせいで年中あかぎれと引っかき傷まみれ。最近は手袋をするようになったがもう手遅れだった。


 皮膚科に行った方がいい、と店長に言われたが彼を差し置いて休むことはできない。


 人手不足で、空いたシフトは店長とセイラでなんとか埋めていた。本部に社員を寄越せと要求しているが、人件費がどうのこうのと渋られている。安い時給でバイトを雇ってまかなえ、ということだろう。


 そのバイトがまともに集まらないから助けを求めているというのに。


「休憩いただきまーす」


 セイラが黒いエプロンを外すと、キッチンにいた店長がスマホに目を落としていた。セイラに気がつくと、キッチン用の帽子を脱いでうなだれた。


「店長? まさか……」


 何年か前に店の固定電話がなくなり、スマホに代わった。持ち歩けるので便利だし、学生のバイトに”固定電話の使い方が分からない”と言われることもない。


「ダメだ……。新しく入った子、バックれた」


「えぇ? あんなにいい子だったのに?」


「始業一分前だよ、連絡もつながらないし……。終わったー」


「あ、本当だ……」


 セイラもタイムレコーダーの時間を見て、店長と同じような姿勢になった。時刻は17時59分。更衣室からバイトの女子高生と男子学生が出てきた。


「おはようございまーす」


「おはよう……」


「どうしたんですか?」


 女子はフロントの、男子はキッチンの制服。二人共ここでのバイト歴が一年以上の貴重な戦力だ。


 二人は手洗い場に置いてある粘着クリーナーを制服にころころさせている。


「……この前入った子、無断欠席と思われる」


「またですかぁ?」


 二人も呆れている。特に男子の方は前回、付きっ切りで仕事を教えていたので”俺の苦労が……”と舌打ちした。


「ごめんね、あんなに丁寧に教えてくれたのに」


「大丈夫っスよ、どっかで会ったらシメるんで」


「それはぜひ頼むよ」


 男子が目の下に影を落とすと、途端に店長が生き生きし始めた。先程まで背中を丸めていたのに、客席に出る時のように背筋を伸ばしている。


 この店長、朗らかで人当たりのいい見た目とは裏腹に腹黒で執念深い。気に障った本人にそれを出すことはしないが、こうしてセイラたちの前で出すことで発散させている。


 にこにこしながら毒をまき散らすギャップがおもしろいので、よく笑わせてもらっている。バイトたちからもいい意味で変な店長だと人気がある。あだ名は”腹黒社畜店長”だ。


 セイラたち三人が”あはははは~”と軽く笑っていると、手洗いを終えた女子がおずおずと手を挙げた。


「あのー、シフト表だと18時から私と大学生さんだけなんですけど……?」


 不安そうな彼女の表情にセイラと店長は顔を見合わせると、笑顔で自分たちを親指で差した。


「「(俺)私たちがいるよ!」」


「えー!? お二人は朝一からいますよね!? ダメです、帰ってください!」


 女子は飛び上がり、店長とセイラの背中を更衣室に向かって押した。男子はため息まじりに”すみません……”と会釈をする。


「大学生さんも手伝ってくださいよ!」


「無理だよ、二人は絶対帰らないって」


 男子は諦めた表情で首を振り、綿手袋の上からゴム手袋を身に着けた。


「でもいい加減死んじゃいますよ!」


「たぶんだけど働いてないと逆に死んじゃう」


「えぇ!?」


「二人は回遊魚だから」


 女子は不服そうだったが、店長とセイラはくるりと回って彼女の手から逃れた。


 彼女の優しさを知れただけで十分だ。閉店時間まで働く気力が湧き、二人は涙目でうなずき合った。


「さー天木さん。とりあえず休憩に行ってくるんだ」


「はーい」


 セイラは休憩室に入ると、壁に貼ったシフト表を眺めてため息をついた。重く長いそれは、この職場で何度吐いてきたことか。


 シフト表の名前の欄は空欄が多い。そしてシフトのほとんどを占めているのが店長とセイラの名前。


 高校生や大学生が入ってくれるのは嬉しいが、いかんせん時間に限界がある。土日も積極的に出てくれるメンバーは少ない。


(土日は遊びたいよね……)


 ここで働いている高校生、大学生は基本的に平日のみのシフトを希望している。


 遊ぶお金はほしくないのかと聞いたら、お小遣いをたんまりもらっているようだった。彼らと同じ歳だった時のセイラが聞いたら失神してしまう額を。


 しかも、中には遊びに行く度にお小遣いを渡す親もいるらしい。


 ここに出入りしているドリンクバーの機械の業者から聞いたことがある。彼は中学生の娘がいて、友だちと映画を観に行って買い物をするからと一万円を所望されたらしい。


『一万!?』


『そうだよ……。だからこっちは昼飯抜きで働いてんだよ』


 月のお小遣いが一万円、と同級生から聞いた時は皆で驚いたものだが、それ以上のぜいたくをしている者がいるとは。セイラだったら母にそんなことは絶対頼めない。


(昼飯抜きは冗談だと思いたいけどね……)






 セイラが高校生の時は平日は学校、土日はバイトに勤しんだ。バイトの休憩中に宿題をこなし、本来は禁じられているテスト週間もシフトを埋めた。同級生たちもバイトで稼ぐことを第一にしている者が多かった。


 その当時は、今のファミレスの別店舗でバイトとして働いていた。その縁があって正社員として入社することができた。


 就活が始まる頃に誘われたものだから、ホイホイと乗っかってしまった。慣れた環境に身を置き続けられるのは嬉しかったが、正社員の仕事は想像してたよりもやることが多かったし責任重大だった。


 食材や消耗品の発注、シフト作成、機械のメンテナンスの依頼、高価な落し物を警察に届けたり。休憩中にぼうっとする時間はない。


 しかし、この日は客数が少なく落ち着いていたので業務を早く終わらせることができた。事務所から休憩室に入ると、男子高校生が休憩を取っていた。


「天木さ〜ん、聞いてくださいよ〜」


「おー、どしたの?」


 セイラは十歳離れた高校生のバイトたちにも気軽に話しかけられがちだ。そう考えると自分が後輩時代の先輩よりいい先輩かな、と嬉しくなる。


 後輩は無条件で可愛い、と思うタイプなので彼らに話しかけられると自然に笑顔になる。新しい仕事を教えてほしい、と言われた時には休憩中だろうがシフト作成が控えていようがほっぽり出す。


「本当にどうしよ……」


「なになに、オムライス食べすぎて眠たくなってきた?」


 セイラに泣きついた彼は机の上で伸びた。横には食べたばかりのオムライスの皿。食べ盛りなので、通常のオムライスの二倍の量で作ってやった。彼は喜び、ものの数分で平らげてしまったようだ。


 彼は"そんなんじゃないです"と顔を上げた。


「先生にこれ以上成績下がったらバイト禁止にする、って言われたんです! どうしよ!」


「そんなに悪いの?」


「はっきり言わないでください……」


 彼はスマホの後ろに挟んだ、テストの順位表をセイラに渡した。


(あちゃ〜……)


 そこに記されているのは各教科の点数と平均点、順位。セイラはそれぞれを見比べると頭を抱えそうになり、慌てて首をかいてごまかした。


 どの教科も平均点を越えられてない。あと少し、というのもあるが一桁台の点数もある。正直"あちゃ〜……"どころではない。


「ね? ヤバいでしょ? でもバイトが楽しいから辞めたくないんです! 人数もギリギリだし……」


「私も辞めてほしくないよ……。シフトのあれもあるけど、君すごく接客業向いてるもん」


 セイラは順位表を返しながら、彼の前の椅子を引いた。


「じゃあさ、休憩中に少し勉強しようか」


「そうしようとは思うんですけど、ついついスマホが気になって……」


「……だよね。そしたら、表に出てる時に一緒に勉強しようよ。常にお客さんが入ってくるわけじゃないしさ」


 そこからセイラの勉強講座が始まった。


 テスト週間は彼らのシフトは無しにし、勉強に集中する期間を設けた。


 それが功を奏したのか、男子高校生がバイトを辞めるのは免れた。


 しかし、その直後にセイラが過労で倒れた。


 一生懸命な高校生や大学生が多いが、社会をナメている者もいる。体調が悪いから休みたい、と始業ギリギリに連絡してきたり、休みが続いたり。


 その穴を埋めるためにセイラや店長でシフトを入れまくったが、セイラの身体が悲鳴を上げた。


「すみません、店長……。もうすぐ繁忙期なのに……」


 大事を取って入院することになった。季節は夏。夏休みで普段の客数が多い上にもうすぐお盆。書き入れ時だ。


 セイラは布団の上で体を起こし、力なく頭を下げた。コンビニの袋を持った店長はベッドサイドの椅子に腰かけ、首を振った。


「謝るのはこっちの方だよ……。天木さんにまで無理させてすまなかった。天木さんの言葉に甘えすぎてしまった……」


 店長の目の下はクマが濃くなっていた。まともに寝ていないのだろう。お互い、家は帰るだけの生活だった。


 人が集まらない、シフトを埋めるのが難しいなら営業時間を短縮させたいと本部に申し出たが却下された。


 セイラたちの店舗は繁華街にあり、どこよりも高い売り上げを見込める。それが理由だろう。











 セイラは入院中に会社のやり方に疑問を感じ、不信感が徐々に湧いた。今思えば遅い判断だが、激務のせいで判断が鈍っていたのだろう。


 一週間程度で退院すると、涙ながらに解放してくれと会社に頼み込んだ。心が壊れかけた彼女を無理に引き留める者はいなかった。


 バイトたちには惜しまれ、店長には最後の最後まで謝罪された。そんな彼も、セイラが退職した直後に関西に異動したと聞いた。


 今、セイラはあの頃のように体に負担をかける働き方はしていない。残されたバイトたちや店長が心穏やかな環境に身を置いていたらいいな、と願うばかりだ。

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