第一章13 『無影城』
「君はもう少し、人と関わってもいいんじゃないかな」
いつの頃だったか、そんなことをアモルが言った。
「私が? 彼らからしてみれば、私は異物であり、遺物だよ」
自嘲混じりに、そう返答した。私が関わることで、彼らに影響を与えるようなことがあってはならない。それが良いことでも、悪いことでも。
何より今が自分の研究に最も浸れる期間であり、今の自分に残された数少ない活動時間なのだ。それ以外に
三年前、私は自由気ままに好き勝手に研究を進めていた。そう、三年前までは。
こちらの利己的行動を参考にしたのか、逆手に取ったのか、アモルは何も言わずに私をエンヴィディア魔法学校の生徒に仕立て上げた。本当は何十年も前からこの『人類最後の砦』にいた私を。
急遽そんなことが決まったものだから、私は色々な準備をしなければならなくなった。
私は生来、魔法を使うことができない体質だった。しかし、名門エンヴィディア魔法学校の生徒に選ばれた身でありながら、魔法が使えないなんてことがあってはならない。それが露見すれば、推薦人であるアモルが非難されるだろう。行く宛てのない私をそのままこの島に置いてくれたのは彼であり、いくら自分勝手に研究をしていたとはいえ、私は借りたものは必ず返す主義だからだ。
あたかも魔法を使っているように見える魔動具を大量に仕入れ、どうにか隠し通した。鋭い観察眼を持つアドルフ・ルクセンブルクにはすぐに看破されたが、長年集積した私の知識と引き換えに黙らせた。
「私を成仏させるつもりかい?」
「まさか。君は幽霊じゃないだろう?」
「どうだろうね。幽霊じゃなくとも、亡霊かもしれないよ」
自分のことは棚に上げて嫌味を言う私に、アモルは問題児にするような困った笑みを向けるだけだった。私ですら、子供扱いをするものだからこちらの方こそ困りものだ。
入学式が終わっても、一年が経っても、私の生活は何ひとつ変わりなかった。朝から晩まで研究一色の脳みそだった。
他人と何ら関りを持たなかったはずなのに、何故か私のもとへ寮長から次期寮長推薦の声がかかった。しかも、異例なことに二年次のリモが。
否、『何故か』とは言ったが、少しだけ心当たりがある。研究のためとはいえ、欠かさず植物園の手入れをし、時々やって来る来訪者へ魔術で使用する魔幻種の生えている場所を教えたり、課題に行き詰っている生徒へヒントを提示したこともあった。自分でもお人好しになったものだと驚いた。
そんな推薦も、研究の支障になるだろうから断るつもりだった。アモルがちゃっかり許可を出していたため、どうにできずに寮長になってしまったが。
くさくさしながらも、寮長として副寮長を推薦できる権利があると知らされた私は、責任感のありそうな人物を推薦してすべての職務を押しつけてしまおうと思った。けれども、適任の人物を探しているうちに、全く無関係な人物が私の目に留まった。
彼女は少々不登校気味な生徒で、部活動に所属してはいるものの、幽霊部員となっていた。授業を受けるためだけに登校し、それが終わり次第すぐさま自室に戻っている。そんな生徒だった。
謎めいた点があるとすれば、彼女が必ず登校しない曜日があり、その日に限って転移魔法を使ってどこかへ出かけていることだ。
「ちょっと、バティン」
「はいはーい? なんです、リモ嬢」
『嬢』が合わない私を頑なにそう呼ぶ彼は、自分でパーマを行って盛大に失敗したチリチリのダークブラウンの髪を開き直って伸ばし、目元が少ししか見えない状態でこちらを振り返る。
「この子、どこに転移させたか覚えてる? 何回もどこかしらに転移させてるようだけど」
校庭の隅に佇む東屋でぬくぬくと日向ぼっこをしている悪魔は、こう見えて初めて転移魔法を生み出したちょっとした有名人──もとい、有名悪魔──であり、生徒の依頼があれば世界中のどこへでも転移させてくれるのだ。リモと違ってきちんと校長からの許可をもらい、転移させた日時、そして相手を帳簿につけている。転移先はプライバシーの保護ということで、記録しないように配慮しているらしい。
「えー、どれどれー?」
首から下げた老眼鏡をかけ、帳簿を受け取ったバティンは「あぁ!」と思い当たった様子だ。
「覚えてる覚えてる。おんなじとこにしか行かないもんだから」
「……この帳簿に書かれているだけでも何十回だよ? 毎回同じ?」
「そうですよ、場所は────」
* * * * *
敵前逃亡。
リモが負傷し、フリージアができたことはそれだけだった。
「あ、あれ!? どっちから来たんだっけ!?」
同じような光景が続く地下で動揺しながら駆けずり回ったものだから、すっかり方向感覚を失ってしまった。
「リ、ス……」
立ち止まり、左右を首を振って確認しているフリージアの耳はか細い声を拾った。それは右隣、フリージアの首に手を回す形で担がれたリモの口から発せられていた。
「あっ、ごめん! すぐに地上に」
「ポケット……の中に……」
「え?」
痛みに脳を焼かれながらも、歯を食いしばってリモが示した彼女のポケットからは強く光る赤い、細い線のようなものがはみ出ていた。フリージアは手に取って、よく目を凝らして見る。
「……あ、『アリアドネの糸』!?」
それはアルドノリア皇国の王女の手によって精製された魔動具で、彼女にしか作ることのできない希少品。輸出はされておらず、国内でも手に入れることは不可能とされている代物だ。リモの出身がどこなのかは、彼女があまり自分のことを話さないからわからないが、これを所持しているということは少なくとも皇族に近づけるような身分なのだろう。
「リモ……あんた、何者……?」
その問いかけに、意識を手放したリモが答えることはなかった。
兎にも角にも、敵に追いつかれる前に逃げなければ。
アリアドネの糸を辿れば、すぐに一階へ上がる階段に着くはずだ。刃物でも魔法でも断ち切ることのできないこの糸は、どんな複雑な構造をした建物においても入口に糸を垂らしておけば迷うことなく戻って来られる。遺跡の調査で大いに役立てられている魔動具だ。
細いながらも確かな糸の光を追い、フリージアはようやく一階へ上るはしごまで辿り着いた。安堵の溜息を吐き、リモを浮遊魔法で浮かせて抱えるのを補助しながら、はしごを駆け上がる。
開け放しにしていた扉へリモをどうにか押し上げ、フリージアも地下から脱出した。
「リース? 地下室から戻ったのね」
「ジェーンさん! リモが……!」
ちょうど階段から下りてきたジェーンへ、地下室の扉を固く閉じたフリージアが叫んだ。横たえたリモを一瞥したジェーンは「ちょっと待ってて」と頷いた。
「リース、こんなものしかなかったけれど……。自己回復能力を向上させる薬よ。飲ませてあげて」
ジェーンが持参した小瓶を受け取ると、それが魔幻種のラヴァンドラードを煎じた回復薬だということがわかった。
数々の魔幻種が発見され、魔術の幅が広がってからというもの、医療の分野はさらなる進歩を遂げた。魔術の起源は魔法よりも少々浅いが、その魔術が医療の発展に大きく貢献したことには理由がある。
大きな要因としては、回復魔法や治癒魔法は魔法の発端である悪魔には必要がないため、人間が一から構築する必要があったからだ。しかも、『癒す』という魔法とは相容れない現象を起こせる者は限られている。だからこそ、一部の魔術は魔法よりも普及が早く、馴染み深いものとなったのだ。
しかし、救急セットを調達するために地下室に向かったはずが、怪我をして戻って来ることになってしまうとは、本末転倒の事態になってしまった。
「ありがとう……! あとは、包帯を巻いて……」
傷口を消毒し、回復薬をかけたあとに包帯で患所を覆う。これで応急手当は完了だ。あとは安静に寝かせておくくらいしか、今のフリージアにはできない。
「……ジェーンさん」
「何かしら?」
「あそこに……地下室にいたのは誰なの…………?」
フリージアは拳を強く握り、糾弾するような口調で訊ねる。この『
「……私からは、何も言えないわ。知らないのよ。行けないから」
「本当に? 本当に地下室には行けないの?」
「あなたが…………リースと『あの子』が許可するのなら、行けるわ」
ジェーンの言う『あの子』とは、地下室にてフリージアたちを襲った彼女のことだろう。
「……あの子の許可まで必要なの?」
「…………」
突如としてフリージアたちに襲いかかった彼女は恐怖の対象だ。できることなら二度と会いたくはない。
「リース、子供の頃のことは覚えてる?」
「……はっきりとは。でも、子供の頃ってそういうものでしょ?」
「いつも一緒に遊んでた子は? 名前は?」
「ちょ、ちょっと待って! どうして急にそんなこと……」
そう矢継ぎ早に、責め立てるように問うジェーンを制し、フリージアは当惑をぶつける。
「一階と二階を見ればわかるわ。あの子の怒りも、悲しみも……」
そんな気迫に背を押され、フリージアは階段を下りていくしかなかった。地下室に行かなれば救急セットが手に入らない。もしかしたら、ルシルたちが襲撃者たちに敗北し、大怪我をしてしまうかもしれない。そんなとき、この『無影城』に退避させ、治療するのがフリージアの役目だ。副寮長たるもの、役目を果たさなければならない。
玄関に置かれた写真立てに一瞬だけ目を遣り、フリージアは大きく息を吸って歩き出す。
直感的に察していた──一階の光景は、完全に自分の記憶の中の家と同じだったこと──これから、いまひとつ記憶から薄れている己の過去と対峙しなければならないことを。
* * * * *
「……どうして寝たふりなんてしているの?」
字面のような鋭さは一切なく、ただ不思議そうにジェーンは瞼を閉じていたリモへ尋ねた。
「ありゃ、バレてたか」
けろっと笑いながらリモが上体を起こす。
「まだ傷が……」
「癒えてないだろうね。まあ、このくらいならどうってことないさ」
傷口が閉じてもいないにもかかわらず、リモは容赦なく右腕をぐるぐると回す。それは、どこか自罰的であった。
「痛覚が麻痺してるようでね、痛むフリはしておいたが」
「リースが心配してたわよ」
「らしいね。……彼女は一階から見て回るんだっけ?」
む、と口をへの字に曲げて、今度はフリージアの憂慮を無下にしたリモを咎めるように見ていたジェーンを気にも留めず、リモは膝に手を置いて立ち上がる。
「ええ。……まさかとは思うけど……」
リモの興味、及び視線は階下へ向けられていた。
「勝手に見たら、リースが怒るわよ」
「とは言ってもねぇ……寮生たちのためにも必要なことだし────何より、私は知りたがりなんだ」
空色の瞳が
「それに、できることなら彼女とリースは接触しない方がいい。出会い頭に刺されでもしたら、この特異魔法が崩壊しかねない」
術者の魔力によって形作られる亜空間生成魔法は外からの影響を受けない分、内側からの攻撃にはとても脆い。構想の維持ができなくなり、内部崩壊を起こして元の場所へ戻されるのだ。
外界の状況がわからない以上、ここから放り出されることは避けたい。戦闘の真っ只中に投げ出されでもしたら、目も当てられないことになる。
「せめて出くわさないように二階から回って、入れ違いになるようにするさ」
後ろ手にひらひらと手を振り、リモは二階へと下っていく。
「…………あの子に似てるわね。素直じゃないところが……」
そんなジェーンの言葉は、年不相応の好奇心を携えたリモに届くことはなく。
三階へ上がる最中にも見たが、二階に立ち入るためには扉を潜らなければならない。なぜこんなところに扉があるのかはわからない。しかし、『ある』ということには何かしらの意味があるのだろう。こと特異魔法においては。
試しに鍵がかかっていないか、真鍮のドアハンドルを握って力を込めてみる。予想に反して、扉は何の障害もなしに開くようだ。この先にあるものを隠すために扉で
扉の先にあったのは、アヴェリード寮だった。
正確には、アヴェリード寮の一階がそっくりそのまま移植されている。普段では考えられない静けさを漂わせて。
特異魔法には、当人の思想に強く影響される。思想とはこれまでの経験や体験────すなわち、記憶によって形作られる。
もし、フリージアにとってアヴェリード寮が大きな意味を持っているとすれば、特異魔法内にその空間が
「これは……確かに私でも隠したくなるな……」
再現するくらい寮を大事に思っているなんて気恥ずかしいから、寮生たちに見られないように、しかし誰かを拒む意図はないため扉だけ作られたのだろう。
現実の寮と特異魔法の寮で異なる点があったのは娯楽室・談話室・キッチンの三ヶ所だ。
その三ヶ所には投写魔法で出力された写真が大量に、至るところに貼りつけられ、その裏には当時の思い出が書き綴られていた。
『レアが実家からどっさり漫画持ってきてくれた! 娯楽室の棚が充実してきた』
『歓迎パーティーでスカーレットが三人前くらい食べてた。見かけによらず大食いだったのね……っていうかどこに入ってるの?』
『リモが「料理は魔法だからできる」とか言って鍋を爆発させた。どうしよう、あの子卒業したら私生活が崩壊するんじゃないかしら……』
────どうせ卒業まで持たないから、その心配は無用だよ、まったく。
『みんなで夜通しゲーム大会! 結果、リモが最弱王になった。案外魔法以外じゃ下手なことの方が多いかも?』
────やったことないんだから、下手で当然なんだって。
『ラストプリンを賭けてババ抜きが始まった。リモが負けてたけど、大笑いしてた。あの子のツボどうなってるのかしら』
────ツボは普通のはずだよ……たぶん。
『あれ? 誰かドーナツ好きな子いなかったっけ。先輩だったかな……?』
写真を片手にリモは過去を想起し、自然と口元が
やはりそうだ。この特異魔法空間はフリージアの過去を映している。三階を現在だとするなら、下へ行くごとに時間は
「さて、そろそろ来るかな。トイレにでも隠れてやり過ごすか」
階段の近くにあるトイレに入り、リモは息を潜めてフリージアの到着を待った。
間もなくしてとん、とん、と足音と扉を開く音がした。頃合いか、とリモは足音が過ぎたところで素早くトイレを出、忍び足でさらに階段を下りていく。
見たところ、一軒家のような内装の一階。リモの予測では、ここにはきっと幼少期の思い出が眠っているはずだ。
地下室の彼女に関するものがないか、リモは手当たり次第に扉を開き、目星をつけていた部屋がないか探した。
ここがフリージアの実家を模しているのなら彼女の自室か、『あの子』とやらの自室があって当然だ。勝手に入るのは気が引けるが、フリージアを地下室に向かわせないためにはリモが手を下すしかない。
廊下の先、奥まったところにそれはあった。ドアプレートのない無表情な部屋の机にぽつんと置かれた、可愛らしいウサギのシールがでかでかと貼られた女の子らしい手帳を拾う。
ぺらぺらと読み流していくと、それが十年近く前のフリージア自身の日記であることがわかった。
────そして。
「……ハイド?」
それが出てこない日はないほど、日記にはハイドとかくれんぼをして遊んだだとか、おままごとをしただとか、子供らしいありふれた日常が書かれていた。
その少女らしからぬ名前。それが『あの子』のことなのだろう。
「そうか……そういうことだったのか」
リモはすべてを解した。彼女が地下室から出てこられない理由も、彼女のフリージアに対する並々ならぬ憎悪も。
* * * * *
「なんだ、アンタか。よくまたここに来ようなんて思ったわね」
ランタンを片手に地下室に舞い戻ったリモを見、待ち構えていたハイドはそう吐き捨てた。
「私は寮生たちのためにここに来た。寮長としてね」
誰かのために、なんてことを言う日が来るとは、昔の自分なら想像だにしなかっただろう。
「ふぅん。それを妨害すれば、今度はリースがここに来るんでしょう」
「なに、逃げ切ってみせるさ」
「そう。なら────『鬼ごっこ』ね!」
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