日常倫理は放課後に検討中です
@zeppelin006
第1話 ゾンビ殺人事件
「ゾンビって殺すと何罪になるのかな」
いつもの帰り道、いつもの電信柱のあたりで、いつもの先輩の発作がはじまった。
「……また唐突に。何かあったんですか」
「いやね、昨日見た映画がさ。いわゆるゾンビものだったんだけど、主人公たちがショットガンでゾンビをばんばん撃ち抜いていくわけよ」
「定番ですね。撃たないと尺がもたないやつです」
「らしいね。でもゾンビって、もともと“人”じゃん? あんな躊躇なくドンパチやっていいのか、とふと気になって」
「うーん……僕も法律そこまで詳しくないですけど、正当防衛とか緊急避難とか、そのへんで無罪になるんじゃないですか」
「ふーん」
先輩は、まったく納得していない顔をした。
この「ふーん」はだいたい、“今の答えは不採用”の合図だ。
「でもそれだと、つまんないんだよね」
「いえ、つまるつまらないの話じゃないと思うんですけど。なんで僕が悪いこと言ったみたいな空気になってるんですか」
「そもそも、ゾンビってなんだろう」
先輩の目が、いつもの悪い方向にキラっと光る。
「生きてるのかな、死んでるのかな。もし死んでるなら、誰が“死亡”って認定するんだろうね。お医者さん? 役所? でもさ、死んでるのに歩くのおかしくない? 目で見て、音を聞いて、追いかけてきて、噛んで食べてくるわけでしょ。どう見ても“活動中”じゃん。あっ、生物の授業で習った『生命の定義』には当てはまらなさそうだけど。ゾンビって生殖活動するのかな。……いや、もともと人だから“生涯純潔の人”と同じ扱いって無理やり言えなくもないか。だとしたら、理性を失って、体がボロボロになった、生きた人間の一バージョンかもしれないよね、ゾンビって」
矢継ぎ早に概念を撃ち込まれても、こっちの処理が追いつかない。
「ええと……そもそも、ゾンビってフィクションですよね。作品ごとに設定違いますし」
「そう。だからこそ、ちゃんと考えないと面白くならないじゃん」
先輩はくるっとこちらに向き直る。
「私はあんまりゾンビに詳しくないからさ。まずは君の知ってる“ゾンビ像”を教えてよ。それをたたき台に、面白くしていこう」
「たたき台って、壊す前提ですよねそれ」
これは放っておくと、絶対めんどくさくなるパターンだ。
観念して、頭の中に浮かぶ“典型的ゾンビ”を並べてみる。
「じゃあ……一般的なやつでいくと──」
1. 死んでいるが、動き回ることができる
2. 腐敗した肉体で、不気味な見た目と悪臭を放つ
3. 意思や感情がなく、人間の言葉を話さない
4. 人間や動物の肉を食べることで“存在を維持”している
5. 頭部を破壊されると完全に停止する
6. 噛まれたり傷つけられたりした人間もゾンビになる
「こんな感じですかね」
「ふむふむ」
先輩は指で空中に“1〜6”を書きながらうなずく。
「これを見る限り、本当に“死んだ人間”って言えるのかな、ゾンビって」
「一番最初に『死んでいるが』って書いたところを、そんなにスルーしないでほしいんですけど」
「だってさ、人が“死亡しました”って正式に決めるの、お医者さんじゃない?」
「まあ、現実世界だとそうですね」
「ゾンビ映画だと? いちいちお医者さん呼んで、『はい、この方は本日○時○分、ゾンビになりました』って死亡診断書書いてもらう?」
「そんな丁寧なゾンビ映画、絶対流行らないです」
「でしょ。じゃあ、“血の気が引いて、よろめいて、噛んできたら死亡扱い”ってこと?」
「……言い方に悪意ありますけど、だいたいそんな感じですかね」
「身体的特徴だけで“死人認定”するの、ちょっと暴力的じゃない?」
「いや、ゾンビ映画そのもののほうが暴力的ですって」
先輩は、僕のメタツッコミを軽く受け流す。
「まあとりあえず、“公式な診断が出るまでは死んだと確定しない”とするなら──」
1. 死んでいるが、動き回ることができる
→ “死んでいる”かどうかは判断者次第なので、ゾンビ固有条件からは一旦外す
「……最初の一番重要そうなところから外しにかかります?」
「重要そうだからこそ、いじりがいがあるんだよ」
先輩はおもしろがっている。
「で、『腐敗した肉体』っていうのもさ」
「はい?」
「出来立てほやほやのゾンビが、いきなりドロドロに腐ってたら変じゃない?」
「ああ……たしかに。すぐそんな腐敗しないですね」
「つまりそれ、“ゾンビだから腐ってる”んじゃなくて、“時間が経った結果”なわけ」
2. 腐敗した肉体、不気味な外見と悪臭
→ 条件というより“結果”。ゾンビでなくても、時間が経てば起こりうる
「条件と結果をごっちゃにしてた、ってところですかね」
「そうそう。次、『意思や感情がなく』」
なんとなく、先輩の狙いが分かってきた。
「これ、先輩の好きなやつですよね」
「分かってきたじゃん、君も」
先輩は満足そうに笑う。
「“意思や感情がない”って、外側からどうやって確認するの?」
「……たしかに、無いことは証明できないですね」
「黙って突っ立ってる人を見て、“あの人、感情ゼロだな”って言い切れないでしょ」
「言い切ったらそれはそれで失礼です」
「言葉を話さないって条件もさ、現実に“話せないだけの人”は普通にいる」
3. 意思や感情がなく、人間の言葉を話さない
→ 外部から“無い”と断定できないし、現実にも発話できない人はいる
「つまり、“中身が空っぽだからゾンビです”って決めるのは無理筋ってこと」
「そういう言い方すると、急に差別っぽく聞こえますね」
「ほら、だんだんゾンビ側の人権が気になってきたでしょ」
「……そんな方向に配慮したくなかったです」
◇ ◇ ◇
「で、“肉を食べる”と“頭を撃たれると死ぬ”は?」
先輩が指で4と5をつついてくる。
「これは、普通の人間にもけっこう当てはまる気がしますけど」
「でしょ」
先輩は即答した。
「人間だって、何かしら食べないと活動続かないし、頭を破壊されたら終わり。ゾンビだけの特徴って言うには弱いよね」
4. 肉を食べることで生き続ける
→ ゾンビでなくても、摂取しないと活動は続かない
5. 頭部を破壊されると死ぬ
→ ゾンビに限らず、大抵の生物に当てはまる
「そもそも、“死んでるゾンビが、生き続けるために食べる”って言い回し、けっこう矛盾してて面白い」
「揚げ足取らないでください」
「言葉の揚げ足取り、大好きだからね、私」
ニコニコしながら言うあたり、本当にたちが悪い。
「最後、『噛まれたらゾンビになる』」
「ああ、これは……」
「体液感染とか、伝染病っぽいよね」
6. 噛まれたり傷つけられたりした人間もゾンビになる
→ ゾンビ関係なく、感染症の一般的なメカニズムに近い
「……つまり先輩、僕のたたき台、きれいに全部バラしたってことですか」
「きれいにバラせるたたき台を作ってくれた君に感謝だね」
先輩は悪びれもせずに言う。
「でも、ちゃんと前に進んでるよ」
「どのへんがですか」
「これで分かったじゃん。“ゾンビっぽい特徴”って、よく見るとどれも“人間のバリエーション”なんだって」
「……ゾンビは“別の生き物”じゃなくて、“人間の一状態”だ、と」
「そうそう」
先輩は、人差し指で空中に“ゾンビ”と書く。
「生きてる/死んでるの二択じゃなくて、“ゾンビ状態”ってフラグが立ってる人間。暴力性が極端に上がってて、感染もしやすい、ちょっとやっかいな状態」
「風邪とかインフルとかと同じように、“ゾンビ”も一つの病名みたいな」
「うん。医者のカルテに“ゾンビ(重症)”とか書かれてるイメージ」
「そのカルテ見たくないです」
◇ ◇ ◇
「で、本題に戻ろうか」
先輩は、さらっと原点に帰ってくる。
「そんな“ゾンビ状態の人間”を撃ち殺したら、何罪になるのか」
「……さっきより、だいぶ罪悪感が重くなった気がするんですけど」
「最初、“モンスター退治”だったのが、“やばい持病持ちの人を射殺”くらいのニュアンスになったからね」
「言い方を選んでください」
僕は少し息を吸って、さっきの話を整理する。
「ええと。ゾンビが『人間の一状態』だとしたら……その人は“死んでいる”とは言い切れないですよね。勝手に死亡認定してるだけで」
「うん」
「となると、ゾンビを“撃って動かなくさせる”のは、結局“人間を殺している”にかなり近い」
「そう、“状態の悪い人間を撃った”に過ぎない」
「ただし、ゾンビ状態の人に襲われて、命の危険があったなら──現実の法だと、やっぱり正当防衛とか緊急避難の話になりそうですけど」
「つまり、“理屈としては殺人寄りだけど、状況次第で無罪にもなりうる”ってライン?」
「ざっくり言うと、そんなところかと」
「じゃあ、法的に“ゾンビ状態は死亡とみなします”って決めた世界なら?」
先輩はすかさず追撃してくる。
「その場合、ゾンビを撃つのは?」
「……死体損壊」
自分で言っておいて、けっこうひどい単語だと思った。
「生きてる扱いなら殺人。死んでる扱いなら死体損壊。どっちにしても、わりとアウト寄りですね」
「ゾンビ映画の主人公たち、思ってた以上に前科重めですね」
「倫理的には、だいたい刑務所行きか精神鑑定コースだと思う」
「夢がないなあ」
先輩は、そう言いつつちょっと楽しそうだ。
「でもまあ、今の法律って“ゾンビ”なんて想定してないし、本当に発生したら、弁護士と学者とお役所が総出で“ゾンビ条文”作るんだろうね」
「“ゾンビ対策特別措置法”とかできそうですね」
「条文の一行目、『ゾンビとは何か』で国会が紛糾しそうだけど」
「話が終わらなくなりますよ」
「終わらなくていいんじゃない?」
先輩は肩をすくめる。
「だってさ」
彼女は、さっきまで話していた“ゾンビ”の文字を空中で握りつぶすみたいな仕草をした。
「こうやって、“どうでもいい空想の話”を真面目にこね回してる間だけはさ。少なくとも、現実の誰も撃たなくて済んでるわけだし」
「……それ、ちょっとだけ優しいこと言ってる自覚あります?」
「ないけど?」
先輩は、いつものとぼけた顔で笑う。
「結論:ゾンビを撃ちまくる映画の主人公たちは、法律的にはだいたい真っ黒。でも、“空想の前科”だけで済んでるなら、わりと平和な世界なんじゃない?」
「そう考えると、フィクションって怖いような、ありがたいような……微妙な立ち位置ですね」
「そういうグレーゾーン、嫌いじゃないよ」
そんな取りとめのない会話をしながら、
僕たちは、今日もいつもの帰り道を歩き続けた。
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