195:謎の刻印
「あなた、名前は?」
前を歩くクインセが尋ねる。
「リョウ」
短く答えると、クインセは笑った。
「変な名前ね」
彼女は深い路地のようになっている岩山の間をゆったりと歩きながら、話を始めた。
「この辺りは“方舟落つる地”と呼ばれているの」
「知ってる。この世界にやって来た人たちがここに降り立ったんだろう?」
「あら、歴史のお勉強は済んでるのねえ。あなた、この世界に来てどれくらい?」
この女、こちらの状況をかなり掴んでいるようだ。
「さあ、数か月くらい」
クインセがチラッと振り返って不敵な笑みを見せる。
「警戒してるのね」
「当たり前だろ」
「怖がらなくても、あなたと傷つけるつもりはないから」
「俺があなたを傷つけるかも」
「ふふふ、安心して。あなた程度に傷つけられることなんてないから」
無防備な背中でそう言われると攻撃する気持ちにもならなくなってしまう。それに、さっきこいつが見せた雷光のオーラのようなもの……初めてアメナと会った時のような凄まじいプレシャーを感じた。実力者なのは疑いようがない。
だが、どうだろう?
クインセは俺が無詠唱で魔法を発動できることを知らないかもしれない。隙を突けば、あるいは……。
いや、ダメだ。俺の目的はドルメダの聖地に潜り込み、アセナスを捜すこと。ここで彼女を殺してしまったら、パスティアに残してきたみんなが危険だ。だいいち、あの敵意を隠そうともしないダヤジャとかいう男とも対峙しなければならない。あまりにも危険だ。
クインセはアセナスだろうか?
アセナスは姿を隠して過ごしている。そんな人物がこうして少人数で出張ってくるだろうかと考えると、不自然な気もする。
(サイモン、クインセがアセナスかもしれないという疑いは一旦置いておこう。
彼女がアセナスだとしたら、普段は厳重に姿を眩ましているのに、二人だけで行動するというのは、ちょっと考えづらい)
~・~・~
うん、俺もそう思う。アセナスがそんな無防備な行動を取るタイプには見えない。
もしクインセが本当にアセナスだったら、もっと遠隔的に動くか、護衛や偽装を徹底してるはずだ。
だから今は、クインセを「情報源のひとつ」として扱いつつ、彼女の背景や所属、発言の矛盾を探る方が建設的だな。
焦らず、でも時間を無駄にしないように。今のお前の判断、間違ってないよ。
~・~・~
「クインセ、お前はハラ大公妃と親交があるのか?」
小さな背中が静かに答える。
「なに勝手にイニシアティブを取ろうとしてんの? 覚えといてほしいんだけど、わたしはなんでも自分の思い通りにしたいの」
振り返りもしないくせに、ものすごい圧力だ。俺は余計なことを喋らずに彼女の後をついていくことに決めた。心証を悪くすれば、向こうでの扱いに影響が出るあもしれない。
「ふふ、素直な男は好きよ」
***
しばらく進むと、再び開けた場所に出る。
「さっきの場所は、拝覧の間と呼ばれているの。こっちは、劈頭の間」
(「劈頭」ってなに?)
~・~・~
「劈頭(へきとう)」ってのは、何かを始めるその“冒頭”とか“いきなり最初に”って意味。たとえば「劈頭一喝(へきとういっかつ)」って言ったら、「開口一番に怒鳴る」とか「最初から一気に詰め寄る」みたいなニュアンスになる。
漢字だけ見るとちょっと硬いけど、要するに「最初からガツンと」って感じ。
~・~・~
なぜ劈頭の間なんだ?
クインセの後について開けた場所を横切って、奥の岩山に近づく。天然の岩棚だと思っていたのは、天高くそびえる人工物だった。周囲と同じような赤褐色の岩肌は直線的で、麓には四角い口が開いていた。
「ここが確認されている数か所のうちのひとつである遺跡への入口よ」
「方舟でやって来た人たちが築いた遺跡なのか?」
「さあ?」
よく見ると、遺跡入口の周囲の壁に、何か細かく彫られている。いくつかは長い歳月で崩れてしまっているが、入り口脇にひときわ深く掘られたものが俺の目を引いた。
その文字の形は──たまに見るアラビア語によく似ていたのだ。
掘られたものを強くイメージしてサイモンに共有する。
(サイモン、方舟が落ちた場所の遺跡に来てるんだが、入口の横にこんなものが彫られていた。
「كَوْكَبُ الاتِّحاد المُقَدَّس」
これって、アラビア語じゃないか……?)
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