152:計画通り

「おい、まさかお前まで私らの敵になったんじゃないだろうな?」


 ナーディラが先を続けようとするのを止めると、彼女は俺を睨みつけた。たいていいつもどこかで彼女とは意見を違えてしまう。


 その度に見た表情だ。


 憤りを隠すこともなく、どこか悲しそうなその顔。


 イマンは俺をチラリと見て、ニコリと笑った。そして、ザドクに向かう。


「ザドク調査官、僕の記憶違いでなければ、執法判断では新しく確認が必要な事項が発生した場合、訴主バラーノ訴客ロバータは協力体制を敷いて調査を行わなければならない──ということだったかな」


 ザドクが満足げにうなずく。


「フン、パスティアに仇なすためにパスティア法でも学んできたのか?」


「おいお前、素直に『よく知ってるな』くらい言えねえのかよ?」


 今度はナーディラがザドクに噛みつく。相変わらず忙しない奴だ。


「つまり、僕たちにはこの時点でイスマル大公にこの管理帳簿の印の真偽を確かめる義務がるわけだ」


 ザドクの表情が強張る。


「……何が言いたい?」


「ここにいるレイス統括騎士側の人間にも公宮に立ち入る義務が発生している」


 ザドクの目が見開かれていく。


「まさか、貴様……!」


「そう、僕にも公宮に立ち入る権限があるということ」


 そうなのだ、イマンは執法判断の必要手続きを口実に公宮に立ち入る状況を作り上げたのだ。


 ジャザラを治療するために──。


「お前、気づいてたのか……?」


 ナーディラが俺に耳打ちしてくる。


「もちろん、それなのにお前が止めようとするから」


「だ、だって、イマンもライラみたいに……」


「イマンさんの中には、ジャザラさんを助けるって考えしかなかったと思うよ。だけど、公宮に立ち入れないから、その機会を虎視眈々と狙ってたんだ」


「気づいてたら言ってくれよ……」


「そんなことしたら、ザドクのあんな顔見れないだろ」


 ザドクはわなわなと口を震わせて、脂汗を額に浮かべていた。ナーディラが意地悪く笑いを噛み殺す。


「ありゃあ傑作だな」


「ふざけるな! 認めん! 執法判断の場を利用しやがって!」


「おや、それでは、この管理帳簿の件は飲み込むことになるのかな?」


 イマンが迫ると、ザドクは奥歯を噛み締めて食い下がる。


「な、なんだと!」


 レイスはイマンの意を汲み取ってか、攻勢に出る。


「この管理帳簿の真偽に疑義を発したのは、そちら側のはずだ。その確認手順を放棄するのであれば、そちらの発した疑義を自ら否定することになるな」


「こ、この……、いい気になりおって……!!」


 ザドクが地団太を踏む。


 ライラが険しい形相で歩み出る。


「貴殿の主張を固めるため、管理帳簿の確認調査は必須のはず。早々に認めよ」


「き、貴様は……フェガタト・ラナを犯人だと……!」


 ライラもイマンと同じようにジャザラを救い出すことを最優先に考えている。だから、ザドクの疑義に同調することは利害が一致しているのだ。


 俺たちの圧力から逃れようと、ザドクは公宮のある方角を指さした。


「ならば、イスマル大公に──」


「イスマル大公に公宮から外へご足労願うのか? 不敬な奴め」


 レイスに詰められて、ザドクは心底悔しそうに吐き捨てた。


「ええい、やかましい! 受けて立ってやろうじゃないか! 管理帳簿の調査をな!」


「お前が言い出したんだろうが」


 ナーディラがツッコミを入れると、どこからともなく笑いが起こって広がっていく。


 今や中庭に押し寄せた研究者全員がイマンの背中を支えていた。研究者たちもまた、ジャザラを救うための研究が実を結ぶ瞬間を夢見ているのだ。


「ふざけた連中だ! 行くぞ!」


 ザドクが執法院調査官たちを引き連れて中庭に停まっていたファマータの車に乗り込んでいく。レイスがその背中に投げかける。


「執法院へは私から報告しよう。改めて、公宮への立ち入り調査の予定が通達される。お忘れなきよう・・・・・・・


 車のドアが大きな音を立てて閉められ、すぐに走り出した。


 見送る中庭では、研究者たちが手を叩いて笑い合っていた。


 イマンもレイスもライラも、一様に笑顔を浮かべていた。


 俺の隣で中庭をゆっくりと見回すナーディラが満足そうにうなずいている。


「なんだよ、やればできるんじゃねえか」



***



「それで、ジャザラさんの治療法の確立に進展はあったんですか?」


 俺たちは研究室に場を移していた。


 俺に訊かれて、イマンは他の研究者と顔を見合わせた。その表情は明るくない。


「精霊駆動治療法の方向性は大筋で意見が一致している。デイナトス狂病と死鉄鉱毒に冒されたシュミケル体の変化は同じ様相を呈している。つまり、デイナトス狂病も死鉄鉱毒と同じように毒素を体内に発生させている可能性が高い」


「デイナトス狂病が毒素を、だと?」


 レイスには耳を疑う仮説だろう。


 だが、デイナトス狂病は破傷風菌による毒素で身体を侵す。毒素の違いはあれど、死鉄鉱の毒と同じように毒で身体を害するのは共通している。


 この世界の人々はわずかな手がかりから、精霊的なプロセスを否定する結論に至ったのだ。これが科学の進歩ってやつなのかもしれない。


「問題は、体内のイルディル整理のための理論を構築するための時間がないということだ。どのようにイルディルを整理すれば毒素が無効化されるのか、その方法も仕組みも分からないままなんだ」


「今までのデイナトス狂病の治療で得られた知識は役に立たないんですか?」


「いや、むしろそれだけが頼りと言っていい。だが、それを行ってきたのは僕だけだ。あまりにも事例が少ない。僕の肌感覚で精霊駆動を行わなければならない」


「私たちがイマンさんの研究を無視し続けてきたせいです」


 そばにいたアイナが肩を落としている。


 ライラが机を叩いた。


「ジャザラ様を死なせてはならない! その方法を確かなものとするため、実験を!」


貴族街アグネジェが封鎖されているせいで被験体の確保ができない。実験のための死鉄鉱も手に入れられない状況だ」


「そ、それでは、出たとこ勝負しかないと言うのか?」


 イマンがため息をつく。


「そうなるね」


「どうにかならないのか」


 ライラがすがりつくような目でイマンを見つめる。


 だが、希望ある答えは得られなかった。


 ライラの肩に手を置く。彼女は震えていた。


「イマンさんはデイナトス狂病を治療した過去があります。きっと大丈夫」


「きっとでは困る」



***



 公宮への立ち入り調査が認められるまでの間、レイスに話を聞くことにした。


 死鉄鉱盗難事件についてだ。


 俺たちは研究の邪魔にならないよう、イマンにあてがわれていた古びた建物に場所を移していた。


 初めて来た時には憎悪に満ちた薄暗いジメジメいたところだったが、今では綺麗に片付けられたままだ。


 火の刻三の鐘が鳴る。


 ジャザラの事件が発生して一日半ほどが過ぎてしまった。サイモンの推測が正しければ、残された時間はほとんどないはずだ。


「現場は凄惨だった」


 レイスが話し始めたので、俺の意識もそちらにフォーカスされた。


「なんだ、死人でも出たのか?」


 ナーディラの言葉にレイスが首肯する。冗談のつもりだったのか、ナーディラが驚いてオウム返しする。


「死人が出てたのか?!」


 レイスが難しい表情を浮かべている。


「死鉄鉱の倉庫は、十六月十四日の土の刻四頃に襲われた。倉庫には警備の人間が複数配置されている。それも、魔法、精霊術、あらゆる武術に通じた特務騎士と呼ばれる連中だ」


 ライラが表情を凍りつかせている。


「我も耳にしたことがある。パスティアの誉れある特務騎士──パスティアに忠誠を尽くし、比類ない力で敵を滅するという。侍従ノワージャは主人のためにどのような任務もこなすが、特務騎士だけは敵に回すなと固く言われている」


「ライラさんがそこまで言うほどの手練れが……やられたんですか?」


 レイスが重々しくうなずいた。


「不可解なことに、抗戦の跡すら残さず」


「え?」


「死鉄鉱の倉庫を守る特務騎士たちは何の抵抗もせずに殺されたのだ」

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