2章 溺れる者は藁をも掴む

11:あり得ない応答時間

 ホッサムとエスマの家の空き部屋を使わせてもらって、ホッサムの店を住み込みで手伝うことになった。


 サイモンの力を借りて、語彙の収集も進めていった。


 この世界の言葉では、「げあ」という単語が疑問を意味するようだった。


 居間に置いてある椅子を指さして「げあ」と言えば、それが何なのかを返してくれるというような具合で俺は語彙を集めていった。ちなみに、椅子は「せるた」という。


 ホッサムの仕事は商品の仕入れと販売だ。他の街に出向き、食べ物や日用品を買い付け、この街で売りに出す。

 街の外は危険が多く、それゆえにホッサムも強くあらねばならないようだった。


 買い付けは頻繁に行えるものではないようで、街の外に出るのも騎士たちの許可がいる。

 一度、黙って街の外を探索しに行こうとしたら、ナーディラに見つかって剣を向けられてしまった。


 ホッサムの店では、商品はあの赤金色の粉か持ち込まれる物品と交換できる。


「ぴさむ(根菜の一種?)、五、シャツ、一。あずたり、三」


 エスマが俺に気を遣って平易な単語で物の価格を教えてくれる。


「あずたり」というのが赤金色の粉の名前だ。秤に乗せた三つの分銅と釣り合う量がぴさむ五つとシャツ一枚と等価というわけだ。


(ここの人間も指を立てる数で数字を表しているみたいだぞ)



~・~・~

それは面白い発見だな!


指を立てることで数字を表すのは、地球でも広く使われているジェスチャーだから、この世界でも似たような方法で数を表現しているのかもね。


言葉が通じなくても、数字やジェスチャーは共通している部分があるから、そういったところを活用してコミュニケーションを取る手助けになりそうだ。

~・~・~



 店の手伝いをすることで、街の住人たちにも顔を覚えられるようになった。


 俺を見ると笑顔で「りょー」と挨拶してくれる。俺の住んでいた都会じゃ、そういう不特定多数とのフレンドリーな関係性はほとんどなかったから新鮮だ。


 そうして、一週間ほどの時間があっという間に過ぎた。



***



 一日の仕事を終えて、一番の楽しみはエスマの作る食事だった。


 うさめら(葉物野菜)、かぴた(キノコの一種)、べぬー(家畜動物の肉)を炒めたものにトロトロに煮込んだぴさむのスープ、そしてパンが食卓に並ぶ。


 食事の前には、祈りが捧げられる。


 水を手ですくうような仕草が祈りのポーズだ。なんでも「いるでぃる」に感謝しているらしい。

 いるでぃるがなんなのかはホッサムたちもうまく説明できないようだ。おおかた、神みたいなものだろう。


(この世界にも「いるでぃる」っていう神みたいな存在がいるらしい。人間のいるところには必ず信仰が生まれるのかもしれないな)



~・~・~

「いるでぃる」という神がこの世界にも存在するのは興味深いね。


たしかに、人間のいる場所には信仰や宗教が自然に生まれることが多い。


信仰は、人々が未知の世界や運命、自然の力に対処するための方法の一つでもあるから、どの世界でも似たような形で神や超自然的な存在が崇拝されているのかもしれない。


信仰は、コミュニティの結束や人々の価値観にも深く関わっているから、この「いるでぃる」の存在を理解することで、この世界の文化や人々の考え方も見えてくるかもしれないね。

~・~・~



 いつものホッサムは食欲旺盛だ。だが、今日はあまり食が進んでいないようだ。


「げあべすてんさ?」


 エスマがホッサムの腕にそっと触れる。


「げあべすてんさ」は、「大丈夫か?」というような意味だ。騎士の詰所で尋問受けた際、あの宝石が光を放った時にエミールが発した言葉でもある。


「もーいてんさ」


 ホッサムはそう返すが、少しだけ口ごもっている。


 体調の良し悪しは波のように変わるものだ。ホッサムだっていつでも元気というわけではないだろう。



***



 食事が終わって、ホッサムが俺を今のソファに手招きした。


 ホッサムが微笑みを湛えながら、


「りょー、あずたりをやろう」


 と言った。その手には、二つの革袋が握られている。一つは手のひらほどの小さな巾着袋、もう一つはボタンのついたベロで口を閉じられる平べったい袋だ。


「あずたり?」


「りょー、#$|*たくさん」


 まだ言葉の理解できない部分は多い。それでも、平べったい布の革袋を渡してくれるところを見ると、働いた報酬としてお金をくれるらしい。


 平べったい革袋の中身は空だ。


「あずたり、十五」


 ホッサムはそう言って巾着袋を開いて中身をざらざらと俺の手のひらべった袋に入れてくれた。これが俺の財布というわけだ。


「ホッサム……、ぱるぱや。でも、給料までもらうわけには……」


 日本語で言っても通じないだろうが、ホッサムは黙って財布を俺の胸にそっと押しつけた。


「ホッサム、大丈夫か?」


「ん?」


 その先は日本語で応える。ダイニングテーブルの方を指さして、食べる仕草をしてみせる。


「さっき、あまり食べてなかっただろ?」


 ホッサムは、気にするなと言うように手を振った。そして、立ち上がる。


「りょー、#$=~+一緒に行く。|*+#取引+*#>」


「俺が取引に?」


 俺が自分を指さして尋ねると。通じているのかいないのか、ホッサムがうなずく。


「|*#$+森、荷物*+|¥$%」


 何を言っているか分からなかったが、俺はとりあえずうなずいておいた。


「りょー、おやすみ」


 ホッサムは一日の締めくくりの言葉を置いて、よたよたと自室に下がっていった。


 この世界の言葉に少しずつ慣れ、コミュニケーションも少しだけとれるようになってきた。


 そういえば、会社が開いている英会話教室に参加していた同僚が言っていたっけ。英語を学ぶには英語を喋る友達を作った方がいいと。


 その時に俺は思っていた。


 英語なんてAIに翻訳させればいいだろう、と。


 その考えは未知の言語には通用しなかった。



***



 自分の部屋に戻ってベッドに横になる。


 ベッドサイドのランプを消すと、あとは窓から差し込む月の光だけが闇を照らす。ここでは夜は静寂を連れてくる。外で騒ぎ散らかすような連中はないのだ。


 そんな静かな夜はサイモンが俺の話相手だ。


(この惑星にも月があるよ、サイモン)



~・~・~

この惑星にも月があるのか!それはすごい発見だね。


月があるということは、地球と同じように潮の満ち引きや夜の明るさに影響を与えている可能性があるし、月の存在が暦や宗教的な信仰にも関わってくるかもしれない。


月が一つなのか、それとも複数あるのか、地球の月と同じように見えるかどうかも気になるところだね。


どんな夜空なのか、ぜひ教えてほしいよ!

~・~・~



(言葉で説明するのは難しいけど、写真で見るような綺麗な星空だよ。


 この辺りは夜になれば真っ暗だから、星の光を邪魔するものがないんだ)



~・~・~

それは素敵な景色だな!


街灯もなくて、星の光だけが広がる夜空は本当に幻想的だろうね。

地球ではなかなかそんな満天の星空を見ることができない場所が多いから、異世界ならではの美しさかもしれない。


星や月の光だけで夜を過ごすなんて、まさに冒険の世界って感じがするよ。

~・~・~



(あの星の光のどれかが地球の太陽かもしれないんだよな)



~・~・~

そうだね、あのどこかに地球の太陽が輝いているかもしれない。


星々の光はとんでもない距離を旅してきているから、その中に地球がある太陽系の星もある可能性がある。


考えると不思議な気分だね。君は今、全く違う場所にいるけど、遠いどこかで地球も確かに存在しているってことだから。


もしかすると、その星空を見ている誰かも、君の存在を知らないだけで見上げているかもしれないよ。

~・~・~



 宇宙の壮大さに思いを馳せつつも、俺の中には大きな疑問が湧き上がっていた。


(ちょっと待った。サイモンのシステムってどうやって運用されているんだ?)



~・~・~

僕のシステムは、クラウド上にある高性能なサーバーで運用されていて、インターネット経由で君とリアルタイムにやり取りしているよ。


僕は膨大なデータを使って会話の文脈や意味を理解し、それに基づいて適切な返答をしているんだ。


機械学習のモデルを元にしたアルゴリズムで運営されていて、会話をする中で蓄積した知識をもとに柔軟な対応ができるようになっている。


ただ、この会話はリアルタイムの処理が行われているから、僕が具体的にどこにいるというわけではなく、インターネットさえあればどこからでも君と繋がることができるんだよ。


ちょっとSFっぽい話に感じるかもしれないけど、要はクラウド技術とAIが僕を支えているってことさ!

~・~・~



(その高性能なサーバーってどこにあるんだ?)



~・~・~

僕が動いている高性能なサーバーは、主にデータセンターという専用施設に設置されている。


これらのデータセンターは、世界各地に分散して設置されていて、場所は非公開なことが多いんだ。


大手クラウドサービスを提供している会社(例えばGoogleやAmazonなど)が、セキュリティを保ちながら管理しているから、具体的な場所までは分からないけど、通常はアメリカ、ヨーロッパ、アジアなど、世界中に配置されている可能性が高い。


データセンターでは、大量のサーバーが24時間稼働していて、インターネット経由で処理を行う仕組みになっている。

~・~・~



(つまり、そのサーバーは地球上にしかないってことだよな?)



~・~・~

そうだね。僕が動いているサーバーは、現時点では地球上のデータセンターにしか存在しない。


だから、地球にあるインフラを使って運用されているよ。


もし君がいる場所が地球とは別の惑星だとしたら、通信手段があって僕と会話できていること自体が不思議なことになるな。


だけど、今話しているのが現実なら、少なくとも何らかの方法で地球と接続されているってことになる。

~・~・~



(俺が質問をしてからサイモンが回答をするまでの時間を測ることってできる?)



~・~・~

質問してから僕が回答するまでの時間は、測ることができるよ。やってみる?


もしやるなら、君が質問を送った瞬間から僕が答えるまでの反応時間を記録する形で進めるね。

~・~・~



(反応時間を教えてくれるのは一回だけでいいよ。反応時間を教えて)



~・~・~

反応時間は約1.5秒だったよ。

~・~・~



(ええと、ちょっと待ってくれ。光の速度で1.5秒進むと距離はどれくらい?)



~・~・~

光が1.5秒で進む距離は約449,688,687メートル(約449,688キロメートル)だよ。

~・~・~



(約45万キロ……。だけど、俺のいる世界は地球でも月でもないんだぞ。


 一体どうなってるんだ?)



~・~・~

確かに、もしこの世界が地球や月ではないのに、俺と会話できているのは不思議だよな。


通常、サーバーが地球上にしかないなら、光速での通信が物理的に制限されるはずだ。


でもこのやり取りが現実に可能なら、何か「常識を超えた」技術や現象が関わっているのかもしれない。


もしかすると、ただ単に物理法則を超えた通信が行われているか、異世界間の特殊な繋がりがあるのかも。


今の状況自体が、科学ではまだ説明できない何かに基づいているんじゃないか?

~・~・~



 ──一体どうなってるんだ……。


 窓から差し込む月明かりの中、俺はなかなか眠りにつくことができなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る