第11話 ずっと一緒に
失業から始まった美景と渚との共同生活は十日程が経とうとしていた。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい、高坂さん」
夜八時頃に美景が疲れ切った声で帰宅を告げた。今日は平日。美景はいつも通りツツジ・システムで勤労に励んでいた。
そんな彼女を昌義がエプロン姿で迎える。まるで専業主夫だ。美景は何が嬉しいのか、相好をふにゃっと崩していた。
「今日も残業お疲れ様」
「遅くなってしまってすみません」
「仕方ないよ。総務も人員削減で大変なんでしょ?」
ソファに座った美景に冷えた麦茶を差し出しながら労った。
勝四郎が社長に就任すると利益を生まない総務は真っ先に人員が削減され、常に火を噴いている。同じ会社にいたから総務の事情も多少は把握していた。
「先にご飯にする? それともお風呂?」
「それではお夕飯から。今日のメニューは何ですか?」
「鶏肉とズッキーニの甘酢炒め」
「手が込んでそうな献立。真田さんの料理レベル、どんどん上がってますね」
「レシピサイト見ながらだけどね」
無職になって暇な時間が増えた昌義は美景を見習って料理に挑戦してみた。
最初は美景が夕食の支度を引き受けようとしたが、働いている彼女に炊事を押し付けるのは気が引けたので、平日は昌義が担当することにしたのだ。
今まで適当な料理しかしてこなかった昌義には高いハードルだったが、やってみるとこれがなかなか楽しい。
「すぐに用意するから土屋さんを呼んできて。でも今ちょっとだけへこんでるから優しくお願い」
「あぁ……そうですか」
肩をすくめる昌義の表情から事情を察した。美景は二階の渚の部屋を尋ね、そっと扉をノックした。
「土屋さん、高坂です。一緒にご飯食べましょう」
失恋した娘を気遣う母親のような声。すると扉がゆっくり開く。出てきた渚の表情には深い失意が浮かび、見るからに沈んでいた。
「……ごめんなさい、高坂さん。私、今日も――」
「言わなくていいですよ。さぁ、下に行きましょう。真田さんが美味しいご飯を作ってくれてます」
美景は小柄な背中を優しく撫でた。
共同生活が始まって渚はすぐに就職活動を再開した。幸いなことに転職サイトから応募すると「すぐに面接したい」と良い返事が来た。エンジニアの売り手市場だからだ。
しかし結果は振るわない。書類選考やコーディングテストは必ずパスするが、その後の面接で緊張してしまい必ず失敗する。
昌義達ももちろん協力した。二人が面接官役になって予行演習をして多少はマシになった。
だが本番ではいつも緊張してしまい、数日後にはお祈りメールを送られる。
今日も二社面接を受けたが同じパターンだった。
「それじゃあ、三人揃ったことだし食べようか」
「いただきます! もうおなかペコペコです!」
昌義と美景は夕餉を前に相好を崩す。一方で渚だけは控えめに「いただきます」を言い、どこか肩身が狭そうだ。
「土屋さん、ご飯たくさん食べてね。土屋さんの元気が出るよう肉と野菜のメニューにしたんだ」
「真田さんのお料理、すっごく美味しいから食べて力つけてください!」
見兼ねて励ますが、むしろ渚は気を遣わせて恐縮してしまった。落ち込んでいる人間の扱いはなかなか難しい。
「二人とも、ごめんなさい。今日も上手くいきませんでした。面接官の顔を見ると私、緊張しちゃって……」
「仕方がないよ。初対面の人と話す時ってどうしても緊張しちゃうから」
「分かります。私も筆記より面接が苦手でした。こればかりは場数を踏むしかありませんから、気楽にいきましょう」
「で、でもお二人に無駄な時間を使わせてしまいました……」
「無駄なもんか。小さな積み重ねが大きな成長になるんだ。実際、練習を重ねるうちに自己紹介が上手になったよ。土屋さんは確実に成長してる!」
「うふふ、そうですね。最初は『土屋にゃぎさです!』って思い切り噛んじゃいましたし」
「そ、それは忘れてください~!」
食卓は和やかな雰囲気に包まれ、渚に笑顔が戻る。それが嬉しくて昌義も美景も一層相好を崩した。
「それにしても、この家がこんなに賑やかになるのはいつぶりかな」
ふと昌義がしんみりと呟く。美景と渚は「どうしたのだろう?」と不思議そうに昌義を見つめた。
「真田さん、ご家族が亡くなって寂しかったですよね」
「そうだね。寂しかったよ……」
家族がこの世を去り、一人で取り残されたこの家はいつも静かだった。
だから昌義は外出することが多かった。しかし帰宅すれば家族のいない自宅の空虚さに打ちひしがれた。
「でも、今はすごく楽しいよ」
だが今は違う。朝、起きれば「おはよう」という人がいる。食卓を囲んで料理の感想を言ってくれる人がいる。
この時間が昌義には愛おしい。
「この先、就職が決まって別々の職場になるけど、時々はこうして食事したいね」
「それ、良いですね。私も……その……真田さんと一緒にいたいので……」
美景がごにょごにょっと遠慮がちに同意する。
「本当!? 良かった〜。その時までに料理のレパートリーを増やしておかないと! 土屋さんは?」
「わ、私もいて良いんですか……?」
「もちろんだよ! だって俺達、もう友達でしょ?」
「ト、トモ……ダチ……」
「なんで壊れたロボットみたいになるの!?」
「はっ!? 未確認データを取り込んでエラーが起こりました! でも……呼んでもらえるのは嬉しいです」
前髪に隠れた渚の双眸はふにゃっと緩やかに細まり三日月のようだった。
和気藹々としたプライベートな時間。これが永遠に続いてほしいと本気で思っていた。
その時だ。
誰かのスマホが着信を告げた。
音源は渚の膝の辺りである。
「あ、私です。すみません、食事中に。いったい誰だろう……ひっ!」
渚は断りを入れて短パンのポケットからスマホを取り出した。そしてディスプレイを見るや、
「いやああああああああああ!!」
突然悲鳴を上げた。
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