第6話 小さな元同僚、土屋渚

『よぉ、昌義。ちょっと頼まれてくれないか?』


 ツツジ・システムのオフィス。クビになったはずのオフィスに昌義はいた。

 そしてマイペースな調子で昌義に声をかけたのは創業者の武田晴信だった。


『晴信さん、お疲れ様です! もちろん、何でも言ってください!』


 昌義はニコニコ引き受けた。晴信が経営者だからおべっかを使うのではない。尊敬する晴信にに頼られるのが嬉しいのだ。


『おう、ありがとな。実はちょっとトラブってる奴がいるんだ』


『トラブル……。お客さんと揉めちゃったとか?』


『いや、客は関係ない。でも人生の危機なんだ』


『じ、人生の危機、ですか……?』


『あぁ。今からそっちに行く。だから一つよろしくな』


 晴信は弱った笑顔をしながら昌義の肩を叩いた。いつも温かいはずの彼の手は氷のように冷たく、その理由を考えていると煙のようにいなくなってしまった。


 *


「高坂さん、ご馳走になっちゃってごめん。俺が出すつもりだったのに。しかも居眠りまでして……」


 店を出ると昌義はぺこぺこと美景に詫びを入れた。


 昌義は随分寝込んでしまい、気が付くと客足はまばらになっていた。しかも眠っている間に美景が代金を払ってくれていた。

 転寝したことに加え、美景に支払わせてしまった二重の罪悪感で羞恥の極みである。


「気にしないでください。お疲れなんですから。お酒に付き合ってもらえて嬉しかったので、これはそのお礼です」


 美景は気を悪くした様子を露ほども見せず、むしろニコニコ笑って許してくれた。

 その優しさに救われたがこのままでは世話になりっぱなしだ。


「それじゃあまた飲みに行こうよ」


「次も誘ってくださるんですか!?」


「うん。その時こそ俺にご馳走させてね」


「本当に気にしなくていいのに……。でも、誘ってくださるのは本当に嬉しいです」


 美景は少し恐縮したが顔には期待の色が浮かんでいる。嬉しいというのは社交辞令ではなさそうだ。


「今日は急だったから居酒屋にしたけど、次はもっと良いお店に行こうね。レストランか寿司屋か……どこがいいかな……」


「そんなに形式ばらなくていいですよ? むしろ、ラフな居酒屋の方がありがたいかも……」


「そうですか? それじゃあ今日は肉だったから次は魚にしましょう。美味しい店知ってるので」


「楽しみにしてます!」


 相好を崩す美景を見て頬が綻ぶ。

 彼女のことは真面目な事務員と思い込んでいたが、意外と話しやすく庶民的な嗜好に親近感を覚えた。


 そうしてプチ飲み会はお開きとなった。華の金曜日で終電まで時間はあるが、昌義は疲れているし、女性を遅くまで連れ回すのは失礼なので帰路に就く。


 湿気を含んだ夏の夜の空気はまとわりつくようだったが、夜の八王子の賑わいはそんな不快感を吹き飛ばしてくれた。


 そんな街の往来で、ふとあるものが目についた。


 警察官が女の子に話しかけていた。

 少女が出あるくには遅い時間帯。警察官が不審がるのは当然であった。


「迷子でしょうか?」


「いや、違うな」


 昌義が否定する根拠は女の子が携えているスーツケース。ちょっと表を出歩くには大きすぎる鞄には、数日間は外泊できるだけの衣服を詰め込めるだろう。服は野暮ったいジャージで着の身着のままの危なっかしい空気を醸していた。


(家出少女かな)


 親元にいたくない理由があるのだろう。しかし夜の街を少女が一人で放浪するのは危険だ。警察官が声をかけてくれたのは彼女には幸運なはず。


「君、歳は? 中学生? 小学生?」


「あ……いや……わたし……」


「この辺の子? 親御さんは一緒じゃないの?」


「わたし……こども……じゃない……です」


 男性警官から質問され、女の子はすくみ上ってしまった。

 水を掻くように振る手、しどろもどろな口調、定まらない視線。しまいには俯いて黙り込んでしまい、警察官の方が困り果てていた。


 そんな少女の様子にいたく既視感を覚えた。


「もしかして、土屋さん?」


 美景も同じことを感じていたらしい。昌義もピンと来て彼女らのもとへ駆け付けた。


「お取込み中すみません。もしかして土屋さん?」


「ふへっ? さ、真田さん? 高坂さんも?」


 土屋と呼ばれた少女はまん丸にした目で二人の顔を見つめた。その瞳は憔悴しきって今にも泣きだしそうである。

 二人の予想は当たった。今まさに警察官に補導されそうになっているのは昌義達が知る人物であった。


「あなた達は? この子の知り合いですか?」


 当然、警察官が訝って尋ねてくる。


「俺達はこの人の元同僚です」


「ど、同僚? なんのお仕事ですか?」


「IT企業でシステム開発を」


「はぁ?」


 警察官はあんぐり口を開けて首を傾げた。

 無理もない。こんな少女がIT企業でエンジニアをしているなど到底信じられないだろう。


「土屋さん、身分証とか無いんですか?」


「え、あ、はい! ま、マイナンバーカードなら……」


 渚は慌ててマイナンバーカードを取り出すと警察官に差し出した。

 受け取った警察官は券面を見てぎょっと目を見開く。


「へ、平成X年生まれ!? ということは二十四歳!? えっ!?」


「す、すみません、こんな見た目で……。でも手持ちがないので罰金は勘弁してください……!」


「い、いえ、こちらこそご協力ありがとうございました」


 警察官はぎこちない会釈をするとすごすご去っていった。その間際の狐に摘まれたような顔は滑稽だが昌義は同情した。


「改めてお久しぶり、土屋さん」


 危機が去ってようやく再会の挨拶を口にできた。


 彼女の名前は土屋渚。

 伸び放題な亜麻色の癖っ毛、幼い顔立ち、百五十センチに満たない小柄さで、せいぜい中学生にしか見えないが立派な社会人である。


「おおおお久しぶりです、真田さん、高坂さん。お二人のおかげで助かりました。私、危うく逮捕されるところでした」


「逮捕なんて大袈裟な。まぁ、あのまま補導はありえそうだけど」


 冗談のようだが渚に関してはありえる話だ。

 

「ところで土屋さん、こんな時間にこんな場所でどうされたんですか? おうち、この辺りじゃありませんよね? それにその格好……」


 美景が穏やかな声で心配を口にする。

 心配なのは昌義も同じだった。渚が退職したのは半年ほど前。その時に比べて髪は伸び放題で顔もやつれている。着ているピンクのジャージも袖や裾が擦り切れてみすぼらしい。彼女の困窮ぶりは明らかだ。


 何か、嫌な予感がする。


 渚は答えなかった。

 いや、答えられなかった。

 くしゃくしゃになった顔で唇を力一杯噛み締めていた。


 だが我慢の限界はすぐに来た。耐えきれなくなった渚はピーっと泣き出した。


「じ、実は私……アパート追い出されちゃったんですー!」


 嫌な予感ほどよく当たるものだ。

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