第28話

 GEN建屋の最深部に続くハッチの前に立つヴァイ。


 コアエリアに入るための扉は、対テロ対策として幾重にも重ねられたセキュリティシステムが施されている。




 厳重な二人同時入室システムまであるこの難関を前にしても、ヴァイは焦ることなく冷静だった。




「……おい、これはなかなかやりがいがあるぜ」


 ヴァイはハッチを眺めた後、ポケットから変換プラグを取り出し、生体ポートのコネクタを接続する。そして、連絡を取るために携帯端末を開き、いつものように余裕たっぷりに話し始めた。




「あぁ、俺だ。いいニュースと悪いニュースがある」




 ヴァイは端末に指を滑らせながら続ける。




「まず、悪いニュースだが……おそらくやつはもうコアに辿り着いた。だがな、いいニュースの方だ……このヴァイが、なんとかしてやるって言ってんだよッ!」




 端末越しに聞こえる応答には耳を貸さず、ヴァイはハッチを開ける作業に集中する。




 「悪いが、生け捕りなんて贅沢言うんじゃねえぞ?このヴァイが殺してやるだけでも、ありがたく思え」




 ヴァイはプラグをドア横の端末に接続し、最上級のセキュリティクリアランスを持つ職員のデータを検索し始める。アクセスされた端末は、静かに動作音を立て、ヴァイの指示に従って画面に次々と情報を表示していく。




「……あ゛ぁん?ああ、そうだな。確かに俺のミスだ。すまんな」




 端末越しに返ってきた言葉に一瞬眉を動かすが、ヴァイは狂気じみた笑みを浮かべ、操作に集中する。彼の指が高速でスクリーンを滑る。




「じゃあこうしようか?」




 ヴァイは生体認証システムにアクセスし、入室可能な職員のあらゆる画像データを瞬時に取得した。その眼光は、冷徹かつ容赦ない。




「報酬なんていらねえよ。お前らが俺に追っ手を差し向けても構わねえ。だが、俺も怖えから、さっさとここから逃げちまおうかな?」




 彼は挑発的に笑いながらも、すでに入室プロセスを突破しつつあった。


 ヴァイの端末から相手の叫び声が外にも漏れてきた。




「……のむ!頼む!そいつをどうにかしろ!ヴァイ!わかってるな!?」




 相手の焦りを無視するかのように、ヴァイは冷静に作業を進める。




 生体認証のシステムに深く潜り込み、1uと2u、二つの網膜情報を誤認させる操作を始めた。端末の画面には複雑なコードとデータが流れ、瞬時に職員データを偽装する。




「よし……これで通るだろうよ」


 ヴァイは狂気を滲ませながら、薄く笑う。




 「筋を通した」いや、違う。




 ヴァイにしかできない「交渉術」だ。交渉術と呼ぶにはあまりに暴力的で、不穏なもの。平和なもんじゃねえ……。




 ——脅迫だ。




 端末のアクセスが完了し、厳重なロックがかけられていたはずのドアがゆっくりと開く。その冷たい金属音が、無人の空間に響き渡る。


 ヴァイは不敵な笑みを浮かべながら、ぬるりとその向こう、「コアエリア」へ足を踏み入れた。




 完全なる未知の領域。




 ここ、「コアエリア」に関しては、ヴァイですら詳細な情報を手に入れられなかった。これまで侵入したあらゆる施設とは違い、セキュリティの層が異常なほどに厚い。


 ヴァイが耳にした話では、このエリアに関する設計図や図面は完成後、すぐに破棄されたという。




 メンテナンスに携わるごく少数の人間に至っては、最高幹部の手書きのメモを暗記させられたらしい。その噂は真実味を帯びていた。


「……まるで墓場だな」


 不気味な静寂の中、ヴァイは慎重にコアエリアへと足を踏み入れた。




 「なんだこりゃ……」




 流石のヴァイも一瞬立ち止まった。目の前に広がる光景は、通常のプラントでは考えられない異様なものだった。




 配管を通る流体は、不気味に脈動し、そこかしこに並ぶタンクからは温かな光が漏れ出ている。その光は、機械的な無機質さとは程遠く、まるで生き物のように蠢いている。




 ——有機的な何かが扱われている。




「ふん……考えたくもねえ」


 ヴァイは眉を顰めながら呟いたが、すぐに気を取り直し、慎重に奥へ進んでいく。


 おそらく、ここでのメンテナンスは地獄そのものだろう。


 目の前に広がる設備は、通常のエンジニアリングでは到底理解できない「違う次元」のものだった。


 配管の構造、流体の脈動、タンクから放たれる有機的な光……それらはどれも、機械工学や電子工学の常識を超越している。


 ——機械工学?電子工学?違うね。


 ヴァイは周囲を見渡しながら不機嫌そうに吐き捨てた。


「何かって?知らねえよ……」


 それでも、彼は目的に向かって奥へ進む。




 どこか遠いところから、爆音のようなものが微かに響いてきた。




 ヴァイは耳をすませる。


「……地上階か?」


 彼の脳裏に、あの女——エリシアの姿が浮かぶ。


「追いつきやがったか?」


 だが、ヴァイは肩をすくめるように笑みを浮かべた。エリシアが何をしようと、ここまで来た彼にはどうにでもなるはずがない。


「どうにでもなるまい……」


 ヴァイはさらにコアへと近づいていった。




 ヴァイは複雑に入り組んだコアエリアを進みながら、バイトの姿を探していた。




 目にするもの全てが不気味で異質だったが、ヴァイが気にしているのはただ一つ——バイトとアノマリー。


 だが、進むにつれて次第に感じる妙な違和感。かつてどこかで感じたことがあるような、不思議な感覚が彼を包み込む。




「……アノマリーか?」




 それは単なる直感か、それともアノマリーによる何かか。だが、ヴァイはその感覚に逆らわず、導かれるままにゆっくりと歩き始めた。




 夥しい数の配管、導管、計装、ケーブルが入り組むコアエリアは、まるで人体の血管や神経シナプスを模したかのようだった。




 光や脈動がそれらを通じて脈々と流れている。まるでこの施設自体が生きているかのような異様な雰囲気が漂っていた。




 そしてその中心に光り輝く培養槽が存在していた。




「……バイト」


 ヴァイは静かにその名前を呟き、冷徹な目で周囲を見回した。銃のスライドを引く音が、異様な静寂の中に響く。




 バイトは培養槽の中で静かに眠っていた。




 その体は青白い光を帯び、周囲の脈動に同調しているようだった。培養槽に取り付けられたゲージには複数の数値が表示されているが、その意味はわからない。だが針の動きは微小で、何かが安定していることを示しているのだろう。


 ヴァイはゆっくりと培養槽に近づき、無機質な視線をバイトに向けた。




 目の前には操作コンピューター。




 ヴァイは躊躇せず、コンピューターの前に立つと、指を動かし始めた。




 「な、なんだ……これ……」




 流石のヴァイも取り乱した。彼の脳内で瞬時に走る疑問。操作コンピューターに触れた瞬間、その異常さが直感的に理解できた。




「一体何で動いてんだ、これ!?」




 目の前のシステムは、ヴァイが知るどのアーキテクチャとも全く異なっていた。


 電脳に接続しても解析できるはずのデータは一切表示されない。


 容量は「0kb」。


 データ上では、この装置に「何も存在しない」。

 だが、明らかに何かが動いている。


「……人智を超えた何かだと?」




 「まあいい!」




 ヴァイは短気な性格を隠す気もなく、凶悪な笑みを浮かべたままジャケットの内側に手を伸ばす。どんなプログラムであれ、理解不能であれ、関係ない。これまでも、そしてこれからも力で突破してきたのだ。


 彼は無造作にグレネードを取り出し、培養槽を冷たく見据えた。


「ぶっ壊してやれば、全部終わるだろうがよ……」



 安全ピンを抜き、グレネードを構えるヴァイ。だがその瞬間、異変が起こった。




「——ッ!」




 培養槽の中、青白い光の中に沈んでいたはずのバイトの瞳が、突然ヴァイを見据えた。


 目が合った瞬間、まるで何かに反応するかのように、周囲の計器類の針が一斉に激しく揺れ始めた。針は限界まで振り切れ、警告音が鳴り響く。




 ——ガシャン!!




 培養槽のガラスが割れ、何かが外に放たれるかのような音がした。


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