④
柏女には一応は兎月殺しの動機があり、状況的にも犯行が可能だったように思う。同じ女子で、顔見知りというのも兎月の警戒心を解くのに都合が良さそうだ。
そんなことを思っているのを感じ取ったのか、歩を見ると柏女は、一瞬だけだけれど、わずかに顔をしかめた──初対面なのに失礼なやつだ。
「あんたらどうせ、映研のデブ女からわたしの悪口でも聞いたんでしょ?」
兎月の自殺について調べている。その件で柏女に話を聞きたい──そんなふうに言って時間を割いてもらったのだけれど、人けのない廊下に移動するなり開口一番、柏女は断定的にそう言った。あきれているふうでもあった。
柏女は勝ち気な猫目が特徴的な特級美少女だ。三年生の先輩で、程よく出る所の出た上品なそのプロポーションは、男子からも女子からも好印象を持たれそうだ。
「いや、そんなことはないっすよ」武蔵がそれっぽい言い訳を口にする。「最近、旧校舎に行った人たちに話を聞いて回ってるわけっす」
「ふうん」しかし柏女はまるで信じていない様子。「てっきり、わたしに嫉妬したデブスがお馬鹿な後輩にあることないこと吹き込んだのかと思ったけど、違ったのかな?『あの尻軽が殺したんだー』とか言ってなかった?」
「いえ、そんなことは」武蔵はたじたじだ。
歩も口を開く。「えと、事件の話、していいですか?」
ぱっちり猫目に歩が映る。その裏にある真情は歩には読めない。
「わたしじゃないわよ」柏女の明け透けな口調は変わらない。「てゆーかさぁ、警察が、争った形跡はなかったって言ってるんなら自殺なんじゃないの、普通に考えて」
「でも、兎月には動機が──」武蔵の抗弁の声は、
「じゃあ誰かが殺したってことでもいいけど」柏女の流暢かつ明瞭な言葉に押し潰された。「わたしにはそういう形跡を残さずに首吊り自殺に偽装することなんてできないわ──あんたらにはできるの?」
二人揃ってかぶりを振ると、「そうよね、それが普通よ」と柏女は言う。「誰にもそんなことはできないわ。だからこそ警察も自殺と認定した──違う?」
教え諭すように正論を言われると、自分がひどく幼稚な人間に思えてくる。「違わないです」と答える声が重なった。
「好奇心旺盛なのもいいけどね、猫をも殺すって言うでしょ? あんまり無鉄砲にしゃしゃり出ないほうがいいんじゃない? 怒った犯人に消されちゃうかもよ」猫みたいな目で柏女は言い、そして不意に、からかうような小悪魔の笑みを見せた。「とか言ってぇ、ふふっ、本当はわたしが殺してたりしてー」
それが作為的なものであるとわかっていても見る者の心がざわめく、そんな蠱惑的な微笑だった──武蔵の頬にさっと朱が差す。
柏女が厄介美少女すぎて、歩はどん引きである。
赤空学園は広大な田んぼに囲まれている。町へと続く鋪道はあるけれど、時折、小さな蛇がうねうねしていたり潰れた蛙が干からびていたりと、とてもナチュラルだ。
その道を歩と武蔵は歩いていた。とぼとぼ。
探偵ごっこの成果は、知り合いが増えたことだけである。他殺なのか自殺なのか確定させることさえできていない。徒労だ。精神的な疲れがまつわりついているし、お腹も空いている。ぐぅと鳴る。
アパートで一人暮らしをしている歩は、自分の
冷蔵庫の中を思い浮かべる──
「ぼくは〈
〈羊たちのまどろみ〉は、閑静な住宅街の片隅にひっそりと佇む個人経営の喫茶店だ。たぶん隠れ家カフェというやつだ。落ち着いた雰囲気が好きで歩はよく利用している。
「オイラも行くわ。あそこの体に悪そうなオムライス食いてぇわけ」
らしいので、二人は〈羊たちのまどろみ〉へ足先を向けた。
夕暮れの気配が空に漂いはじめたころに到着した。
──ちりんちりん。
ドアベルが奏でる優しい音色の裏に、きぃきぃと軋む音が隠れて鳴いていた。
その音を聞きつけた黒いエプロン姿のバイト店員──リコが、「いらっしゃいませ~」と妙に気が抜けていて間延びした馬鹿っぽい声と共に応対にやってくる。「おやおやぁ、歩さん、今日は一人じゃないんですね~」
「人を万年ぼっちみたいに言わないでくれる?」
「それは失礼しましたぁ~」
などと言ってはいるが、へらりと軽薄な笑みを浮かべるリコに悪びれる様子は皆無だ。
この、リコとかいう頭の軽そうな金髪巨乳ちゃんは、歩が常連のせいか、年が近いせいか──彼女はこれでも進学校に通っている──はたまた元来そういう気質なのか、緩ーい文化系サークルの内輪ノリのような馴れ馴れしさで接してくる。彼女は謎に媚を含んだ上目遣いに、
「テーブル席でいいですかぁ~?」
「どこでも」「いいよ」歩と武蔵が答えると、
「は~い、二名様ご案内~」元気そうなのにやる気の感じられない不思議な声を出してリコは、ふりふりとお尻を揺らして進む。
店内には、仕事帰りだろうか、くたびれたスーツの中年男性や、レイプされても泣き寝入りしそうな大学生くらいの年齢の女、退屈と不機嫌をない交ぜにしたような表情のセーラー服の少女、大柄なのに子犬めいた雰囲気の男、赤空学園の制服を着たお団子ヘアの少女──同じ二年生のようだ──がいた。全員お一人様だ。そして、全員同じようにスマホをいじっていた。
注文を承ったリコが厨房へ消えると、武蔵はテーブルに頬杖を突き、出し抜けに、「超能力とか使えたらいいのになぁ」などと意味不明なことを言い出した。「心が読めれば犯人なんかすぐわかるわけ」
「そういう漫画とかありそうだよね」歩はおざなりに相づちを打つ。
「誰が殺したんだろうなぁ」武蔵の頭からは、ガチ自殺パターンが抜け落ちているようだった。
自殺ではないはず、というのは、兎月にその動機がないと思われることから導かれた推測だ。
とはいえ人の心は外からはわからないのだから、誰にも見せていなかった動機があった可能性も否定できない。
感情的には否定したいけれど、自ら身を投げたとしか思えない状況だったのならば、兎月にしかわからない悩みを苦に自死を選んだと見るべきなのだろう。そう考えるのが最も理にかなっている。それは十二分に理解しているが……。
むすりとした顔の武蔵と事件について多分に愚痴の響きを含んだ推理を交わしていると、やがて
「お待ちどおさま」
と物腰柔らかく言って料理を並べるのは、店主の
さぞおモテになるのだろうな、やろうと思えば取っ替え引っ替えできそうだ、選り取り見取りだ、と思っていたら、彼の妻だという女が店の手伝いに現れて歩は驚いた。その女──茶橋
ほかにいくらでも選択肢があったろうにわざわざそんなおばさんと結婚するなんてもの好きだなぁ、と、かなり失礼なことを思ったものである。
しかし、通ううちに紳也がミステリマニアだと知り、そして桔梗の本業を教えてもらい、腑に入った。彼女は赤空警察署刑事課強行犯係に所属する刑事だったのだ。
きっと紳也は〈殺人事件の捜査をする女刑事〉という属性に惹かれたのだろう。年増は年増でも美人ではあるし。
「深刻な顔してどうしたんだい?」料理を並べおえた紳也が、尋ねてきた。「悩み事かい?」
「ええ、例の自殺事件のことです」
歩は答え、自殺とすると納得いかない点があることを説明し、その途中で、ミステリマニアの紳也ならもっといい推理ができるのでは? と気づいた。「紳也さんは推理小説が好きなんですよね? 何かわかりませんか?」
「ううん、現実と小説は違うからねぇ」と悩ましげにうなりながらも紳也の頬は、作中の私立探偵のように頼られてうれしいのか、満更でもなさそうに緩みかけている。が、造形が良いからか様になっている理不尽。
「ぼくとしては、やっぱり他殺は考えにくいかなって思うんですけど」歩が言うと、
「オイラは他殺だと思うけどなぁ」歩と紳也のやり取りをぼんやりと眺めていた武蔵も口を出す。「自殺って普通、よっぽどのことがないとしないわけ」
ややもったいをつけるように紳也は、「リアルは措いておいて本格ミステリのロジックで言うならば」と前置きし、「自殺にしろ他殺にしろ動機がないというのは、たしかに感情的動機不要論を主張する過激派もいるけれど、基本的にはありえない。
動機、方法、犯人──この三種の神器が美しく組み合わさった無駄も隙もない論理を提示されて初めて我々読者は納得するからだ。
それに、動機がないとゲーム性が損なわれたと感じる人もいるだろうし、アンフェアだと非難する人もいるかもしれない」
「要するにさ、店主さんも他殺説を推してるってわけ?」歩にちらと視線をやってから武蔵が尋ねた。
「そうなるね」紳也は点頭した。「自殺にも動機は必要だ。ないのなら、それは自殺であってはならないんだよ」
「仮にその理屈が現実でも通用するとして」歩は言う。「それじゃあ、自殺の偽装はどうやったんでしょう? そこが最大の問題なんですよね」
「うん、それはわからない」
「じゃあ犯人は?」武蔵が質問した。
「さぁ、それもわからない」
「えー、じゃあ結局どうしようもないじゃないですか」歩は肩透かしを食った気分だった。
「仕方ないだろう?」紳也は小さく肩をすくめた。「僕はただのミステリマニアであって名探偵じゃあないんだから」そして彼は、「それではごゆっくり」と残し、逃げるように去っていった。
紳也は二枚目だと思っていたけれど、案外三枚目なのかもしれない。
疎らな街灯に照らされる住宅街の夜道を歩く。左手にはコンビニの袋を提げている。
武蔵とは別れ、歩独りだ。
古くさい外観の二階建てのアパートが見えてきた。そこの二階の端が歩の住みかだ。学園に進学してからずっとそこに住んでいる。
玄関扉に備え付けられている郵便受けにあるチラシを抜き取ってドアノブをひねると、「ただいま」と独りごちた。当然、返事はない。じめっとした暗い静寂が待ち受けていただけだ。
世間ではテレビ業界はすっかり斜陽産業とみなされているけれど、歩は帰宅するとすぐにテレビを点ける。
リモコンをテレビへ向け、ぽちっとする──いや、感触的には、ぐにっと、と言うべきか──と、観れれば何でもいいというスタンスで購入した二十四インチの液晶画面が、一瞬白くひらめき、うるさいだけでおもしろくもない芸人の顔が映し出された。
ベッドの側面を背もたれ代わりにして、足を投げ出すようにして硬いフローリングに座り、ちかちかする液晶画面を眺める。
──気がつけば、バラエティーは終わっていて、地元放送局のニュース番組が始まっていた。地元出身という女子アナが、やはり地元のニュースを読み上げている。
『本日十九時ごろ、赤空市
うわぁマジかぁ──眠りかけていた歩の意識が現実に引き戻された。こんな牧歌的とさえ形容できる田舎町で随分と物騒な事件が起きたものである。
被害者の顔写真が表示された。どこにでもいる初老の男性といった印象を受けた。何でこんな普通のおじさんが……。
『──警察は、怨恨によるものか、猟奇的な嗜虐欲求によるものと見て捜査しています』
歩は、ふと思う──この事件と兎月の事件、まさか関係あったりしないよね?
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