ヒロインを殺したのはヒロインである

虫野律(むしのりつ)

第一章

【ヒント①】

 読者への挑戦をうたう以上当然ではあるが、〈語り手は嘘をつかない〉ことをここに明記しておく。




◆◆◆




 六帖の洋室に若い男がいた。顔立ちはよくも悪くもないが、すべらかとは言いがたい肌や手入れの行き届いていない眉が、いかにも非モテという印象を与える。


 男はデスクトップパソコンの前の、ゴツいが座り心地のよい椅子──ゲーミングチェアに腰を下ろすと、それを起動させた。

 カチカチと操作し、そしてゲームのタイトル画面が映し出された。


『チマミレ☆ハート』


 頭の悪い女子校生が好んで使いそうなポップな字体のタイトルが、画面上部で血のようにどす黒い赤に染まっている。その下には九人の、美少女又は美女が、マグショットを撮影される犯罪者のように名前やスリーサイズが記されたボードを持って並んでいる。

 十八禁のアダルトゲーム、いわゆるエロゲーだった。東北地方にある人口減少が進む赤空市あかぞらしを舞台にヒロインたちとの性的な交流を楽しむ、そんなゲームだ。


 男は、『続きから』をクリックした。ゲームが始まる。




◆◆◆




 牛若うしわかあゆむの通う公立赤空学園には美少女が多い。

 ほかの学園のことは知らないけれど、トップアイドル級の超絶美少女がグループを作れるくらいいるうえに二軍三軍とされる大半の女子だって欠点のほとんどない十分に端麗な容姿をしているのだからこの自説は正しいと歩は思っていた。

 歩の、自殺したことになっている元恋人、兎月うづき恋町こまちもそうだった。

 チョコレートを溶かしたような甘い色合いの艶やかなセミロング、女子の平均よりも低い身長でありながら均整の取れたプロポーション、あるいは兎を思わせる、庇護欲をそそるかわいらしい顔立ち──華やかな学園でも埋もれない頭一つ抜けた美少女だった。


 そんな兎月と付き合いはじめたのは、二年に進級して同じクラスになってからだった。一年生の時は違うクラスで会話をしたことすらなかったが、話してみると居心地がよく、互いに一人暮らしという共感ポイントもあり、すぐに仲良くなった。

 桜の咲き誇る五月の上旬のこと、どちらからともなく恋情を打ち明け、ごく自然な流れで交際が始まった。


 幸せな日々だった。女の子と付き合った経験などない歩には、すべてが新鮮で、まぶしいくらいだった。兎月も同じ気持ちだと信じていた。


 ところが、華やかだった桜もすっかり散ってしまった五月下旬──二十五日(土)に彼女は旧校舎の屋上のフェンスにくくりつけた紐で首を吊った状態で発見された。朝早くに登校した教師が、旧校舎の屋上からぶら下がるヒトガタを見つけ、通報したのだ。


 捜査した警察は、争った形跡がなかったことから自殺であると判断したようだった。

 その、いささか信用ならない判断によると、発見の前日に兎月は、バイトしているコンビニを出た二十二時過ぎごろから未明までの間に旧校舎に侵入し、くくった紐に首を通した状態で屋上から身を投げた──その位置エネルギーで頸骨けいこつが砕けて即死した──のだという。


 しかし、歩は納得していなかった。その日も兎月はいつもどおり登校していたし、普通に笑っていたと思う。自殺するなんて意味がわからなかった。初めて彼女が自殺したと聞いた時は、たちの悪い冗談かドッキリかと思ったほどだ。

 そして、そのように彼女の自殺を疑う者は歩だけではなかった。


「やっぱりおかしいと思うわけよ、オイラは」友人の武蔵たけくらけいが、机に身を乗り出すようにして言った。歩と武蔵は朝の教室で話していた。「あんなに楽しそうにしてた兎月が自殺なんて、青天せいてん霹靂へきれきなわけよ」


 武蔵は変わった話し方をする。その理由について歩は、武蔵は平々凡々なルックスと能力という没個性的な自身のキャラクターにわかりやすい色をつけたいのだろうな、と推量していた。まるでセンスも実力もやる気もないラノベ作家のようだ。


「ぼくもそう思うけど」歩は煮え切らない口調で答える。「でも、警察が言うことも一理あると思う」


「兎月が抵抗した形跡がないから自殺に違いないって理屈は、たしかに正しいように思えるよ? けど、動機のない自殺はおかしいって理屈も正しいわけ」


「それはそう」うなずいた歩の眉間には、歪な力が入っていた。


「やっぱお前もそう思うよな」

 そう言って武蔵は、自身の顎を掴んで、動機について考えているのだろう、「うーん」とうなり出した。やがて、「わかんねぇな」とつぶやくように言うと、歩の目を見た。「オイラは童貞だから恋愛の機微みたいのには疎いけど、そういうので何かあったりしたわけ?」


 残念ながら歩も童貞だ。付き合っていた期間も短いし、恋愛経験は武蔵と大差ない。

 もしかしたら武蔵の言うように知らないうちに兎月をひどく傷つけてしまっていたのかもしれない。しかし、思い返してみても彼女にそんな様子はなかったように思う。きらきらの笑顔を向けてくれていた。


 歩が答えずにいると、気を悪くしたと思ったのか武蔵は焦ったように、


「これはお前を責めてるわけじゃなくて、純粋に真相を解明したいわけでだな──」しかしそこで言葉を切り、「いや、わりぃ、無神経だったな」と眉尻を下げた。


 叱られた子犬みたいだ。歩は、くすりと軽い笑いを零した。「大丈夫、わかってるから。ぼくが気づかなかっただけで本当は悩んでたのかなって記憶を確かめてただけ」


 兎月の悩み……強いて挙げるとすれば、家族との関係だろうか。あまり上手くいっていないとは言っていた。それが理由で一人暮らしをしているとも。

 一般的にはそれは自殺の動機になりうるのかもしれない。よくある悩みでもあるし、いろいろなものを抱えていて手が塞がっている大人たちは、それが原因で自殺したんだな、と納得しようともするだろう。そういう怠慢を可能にするだけの説得力ぐらいならこの言説にもある。

 でもなぁ、と歩は思う。

 深刻そうな様子はなかった。と思う。何なら一人暮らしを満喫しているまであった。

 やはり腑に落ちない。兎月が自殺したというのは、受け入れられない。受け入れたくない。

 ただ、そうだとすると──。


「……駄目だ。いくら考えても自殺するほどの悩みがあったとは思えない」歩は言った。


「だよなぁ」武蔵は答える。「それならやっぱりこの自殺は偽装ってわけだ」


「うん」歩は重々しくうなずいた。「誰かが自殺に見せかけて恋町を殺した──そうとしか考えられない」


 武蔵は、「そんならさ」と声を高くした。「オイラたちで犯人を見つけようぜ!」


 歩は目を丸くした。「それは……できるかな? 警察にもできなかったのに」


「警察なんか当てにならないわけ! 捜査してる時の、あのやる気のない顔見ただろ? あいつら面倒だから少しくらい他殺の疑いがあっても無理やりに自殺ってことにしたわけ。警察なんてそんなもんなわけ」


 極論ではある。けど、あながち間違ってはいないとも思う。


「……わかった」歩は首肯した。「やってみようか」


「よっしゃ、決まりだな!」武蔵は挑戦的な笑みをたたえた。「早速、今日から調査開始だ!」

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