第9話 世界で一人だけの相棒

 夢は過去の記憶を思い出させた。そして、あの日々から逃げるように現実へと俺を帰還させる。

 あの時にジャバヲォックに相対するアミラの背中は父に重なり、あの攻撃を回避した際に腰を抜かした時の経験を想起させた。もしかしたら、反射的にジャバヲォックの攻撃を回避できたのは、あの時の経験が身体に残ってくれていたからかもしれない。そう考えると、あの日からジャバヲォックとの釣りは続いていたとも言えた。

 過去の記憶を強引にこじ開けたばかりの俺の後頭部に当たる柔らかい感触に、今一番会いたくない顔が目の前に現れることを予期した。


 「よお」


 目を開けると、想定通りアミラの顔が視界に入る。

 ここはもう夢の中ではない。目の前のアミラはあの時よりも成長している。同時にあの時から、俺はアミラと父の時間を奪ってしまったという事実に胸が苦しくなるような思いになる。


 「昔、俺とアミラは出会っていたんだな。あーくそ、情けないよな……悪い、今まで忘れていたよ」


 気絶し目を覚ました俺は何故かアミラに膝枕をされていた。まだ体力は戻っていないため、重ねて申し訳ない気持ちになりながらもしばらく膝を借りるしかないのでこのままの状態で話をすることにする。


 「開口一番、くそて何ですか。他に素敵な言葉があるでしょう。でも、まあ……思い出したのですね」


 事実だけを噛みしめるようにアミラは呟いた。


 「偶然ジャバヲォックを釣り上げてしまい、何とか奴をダンジョンに戻そうとしたけど結局は無理で……父さんに助けられたんだ。そして、俺はアミラのお父さんを死なせてしまった……」


 あの時の怪我が原因なのかもしれないが、もっと精神的な面が原因だったように思う。

 辛い経験を忘れたくて、無理やり記憶に蓋をしていた。自分の罪に向き合う事もできない幼い俺は、辛い記憶を忘れることで自分が生きられる、生きやすい道を選んだのだ。


 「……なあ、都合よく昔のことを忘れていた俺を恨んでいるんじゃないか。ここで謝罪をしても許されることではないと思うけど、できることなら精一杯償わせてほしい」


 恐る恐る訊ねる俺にアミラは淡々と首を横に振った。よく考えたら、謝罪をしたい当人に対して膝枕をされながら言う事ではないな、と客観的に考える前に出てしまった言葉だった。


 「膝枕されながら、言うことですか? ここでクルスさんを恨んでしまえば、さらに私達は惨めになる。あの日、パーティを組むための金銭的な余裕はないにも関わらず成果を焦っていた父にパーティを組んでくれたのはクルスさんだけでした。そもそも、あの時の父にはもう後がないと追い詰められて平常心を欠いていました。向かうダンジョンの情報を集めることを怠り、力量も計れなかった代償が死というなら仕方ない結果です。それがダンジョン釣りを仕事にするということでしょう?」


 驚くほど割り切った考え方のアミラにびっくりしたが、つい今しがた思い出した苦い過去から簡単に気持ちを切り替えることができないのは俺の方らしい。

 アミラからしたら数年前の出来事かもしれないが、俺からしたらつい先ほど起こった悲劇と変わらない。ここで、それならしょうがないなと簡単にはいかないのが俺だ。


 「しかし、結果的にパーティの力量と己の実力を見誤った俺の責任だ、アミラがどれだけそれでいいと思っても、俺が声を掛けなければダンジョン釣りはやらなかった。ジャバヲォックに遭遇することもなかった。下手をしたら、俺が親父に相談していたら、アミラ達を……レイジさんを止めてくれていたかもしれない……。目覚めてからずっと、そんなことを考えてしまうんだ」


 ずっとうだうだ悩む成人男性の姿に呆れているのか、アミラは溜め息を吐いた。こちらと違い、ずっと肩の力が抜けて自然体に思える。


 「無念だったかもしれませんが、魔断士としての父は死を受け入れていますよ。息絶えるその瞬間まで父の目は諦めていませんでしたし、あの時の父にクルスさんを恨むような気持ちは一切なかったように思えます。もしクルスさんがこれ以上、思い悩むなら、それは私達親子の最後のダンジョン釣りに泥を塗る行為です。自分達が求めたダンジョン釣りで戦い、そして敗北し死んだ。……クルスさんの責任にしないでください、あの日の苦しみも悲しみも絶望した気持ちすら……私達親子の思い出なのです。あの日のダンジョン釣りは、誰の物でもない父の最後の釣りだったんです」


 なんということだろうか、ここまで達観したものの見方ができるのだろうか。あの日、泣いていた少女はどれだけ必死に駆け抜けながらここまで来たのだろう。

 アミラの歩んできた数年と、俺が逃げ続けた数年、ここまで彼女と差が出てしまった。ずっと遠くに、いや、とても大きな存在としてアミラが目に映る。


 「分かった……。俺はもう後悔しないし悩まないよ。だけど、レイジさんの記憶はもう忘れない。あの日の釣りを胸に抱えて生きるよ」


 少しだけアミラが微笑を浮かべた。穏やかな夜空の淡い月明りのような、そんな安心を与えるような表情だった。


 「クルスさんは、それでいいんですよ。私達親子に無念があるとするなら、例のジャバヲォックを釣り上げれなかったことだけです。ですが本日、同じく過去に苦しめられていたクルスさんと私の手でその無念は晴らされた。それが結果であり、これ以上ないぐらい幸福な結末です。娘の活躍に父も喜んでいることでしょう」


 アミラは凄い女の子だと思う。この年齢にして、魔断士としての死生観が完成している。死が隣り合わせだということを当然のごとく受け入れて自身の糧にできている。

 簡単にできるものじゃない、それ故に俺の惨めさが際立つ。そして、そんな小さなことで落ち込んでしまう俺が情けない。


 「ジャバヲォックはどうしましょうか」


 「気絶してから、どのくらい時間が経った?」


 「一時間ほどです」


 「あーくそ……時間が経ちすぎてるな……。鮮度が落ちてるから、あまり高くはならないだろうが、一度ギルドに戻って解体できる連中を呼んでこよう」


 「それがいいですね、私一人では解体するのも運ぶのも大変そうです」


 他の釣人に横取りされないように、俺達の名前を書いた木製の札を置き、血肉に誘われた魔物達がダンジョンから出てこないようにモンスター除けの聖水を撒いておいた。このモンスター除けの聖水により、一時的に血肉や腐臭といった臭いが完全に消臭されるのだ。鮮度が悪くなるという説もあるが、今回に関してはジャバヲォックを始末することが目的だ。ジャバヲォックの躯で旅費でも出れば儲けものだろう。




 しばらく二人で夜空を眺めていたが体が動けるようになったので、ゆっくりと少しずつ町へ目指して二人で歩きだした。頻繁に人の往来があるのだろうよく舗装された道を下っているとアミラが質問を投げかけてきた。



 「……これから、クルスさんはどうするんですか」


 単純に明日の予定を訊いている訳ではない、神妙そうな口ぶりは俺の今後についてのどうするかという問いかけだ。


 「どうする、か。……まずは飯かな」


 「そういうことを訊いてるんじゃないですよ」


 口を尖らせるアミラに、俺は苦笑する。

 この子との出会いはある意味では家出というの始点の一つでもあり終点の形でもある。

 そうだとしても、俺が実家に帰る道理はないし、かといってこのまま根無し草のままで居る理由にもならない。だからこそ、決着を付けなければならない。

 逃げ出したもう一つの過去に正面から向き合い、それから俺は新たな未来に歩まなければならない。


 「その、なんだ……俺はこれから変なことを言う。断ってくれても構わないし、目的は済んだからこのまま無視しても問題ない。……それでも耳を傾けてくれるか」


 「相変わらず遠回しな言い方ですね、本当にどっちが年上か分かりませんね」


 この毒舌にも少し慣れてきた。口角が上がることを隠しもせず、俺は言葉を続けた。


 「お前が居なかったら、俺はずっと進めなかった。それにこんな前向きな気持ちになることもなかった。たぶん一生いろんなことから逃げていたと思う。……そこで、迷惑ついでに頼みたいことがあるんだ――俺と付き合ってくれないか?」


 「え!? そ、それって……す、少し大胆過ぎます……出会って一日しか経っていないのに……」


 顔を赤くして熱を抑えるように両頬に両手を添えるアミラに俺は咄嗟に言い直した。


 「ち、違うっ。そういう意味じゃなくて、喧嘩して飛び出してきた親父ともう一度話をしてみようと思って……それをお前……アミラのお陰だって言ったんだ!」


 「うん? つまりどういうことですか。その成人男性とは思えない挙動不審な様子から告白ではないことだけは、分かりました」


 「その毒舌は腹立つが今はツッコまないぞ。恥ずかしい勘違いしやがって……。何ていうか、これから先を考えるとまずは親父達と向き合う必要があると考えたんだ」


 「実家に戻って、トライハードの名前を継ぐのですか」


 それこそありえない、と俺は肩をすくめた。


 「馬鹿を言うなよ、きっとうちの姉と妹が第一線で活躍しているだろうし今さらトライハード家には戻らないし未練もない。出戻りの息子なんて親父が許しちゃくれねえよ」


 だけど、と一度言葉を区切ってから続けた。


 「今度はちゃんと話をしてから、新しく人生を始めたいんだ。門前払いでも構わないし、きつく怒鳴られてもいい、どんな形になっても決着はつけておきたい」


 むしろ聞く耳すら持たれない方が、清々しくていいかもしれないなと考えたがそれは黙っておく。

 今の話よりも勇気の必要な提案がある。二度三度深呼吸をして、アミラに向き直る。なんだこのドキドキは、アミラがおかしなことを言うせいで、それこそ愛の告白でもしそうなぐらい緊張している。


 「あーその……アミラ、頼みというかお願いがあるんだけどさ……」


 男がもじもじしているのがよほど面白いのか、人差し指の関節の辺りの小さな唇に当ててアミラは笑った。

 もう全てが分かっているという様子だ。こんな手玉に取られたら好きにしてくれ、という気持ちになる。


 「分かりました、そんなおかしな姿を見せられたら受けるしかありませんね。――はい、もう私達はパーティですから、喜んでお供しますよ」


 こんなの同い年と変わらんな、などと心の中で悪態をついて照れ隠しのように俺は手を差し出した。


 「……恩に着る、よろしく」


 「はい、よろしくお願いします。あ、一つ提案いいですか。私達の関係についてです。これから行動することで、はっきりしといた方がいいと思います」


 「兄と妹とか、本当の妹いるけど」


 「本当の妹がいるならだめでしょう、お兄様。……そこで提案です、私たちはこれからダンジョン釣りの相棒同士というのはいかがでしょう」


 まったく、困ったものだ。アミラは実に嬉しそうにそんなことを言う。そんな顔を見せられたら、俺は彼女の笑顔を否定することなんてできないじゃないか。


 「ダンジョン釣りやるか分からんけど、まあ……うん、よろしく。——相棒」


 少しだけ複雑な関係の俺達は過去を乗り越え、今その手を握った。

 月の明かりに照らされたアミラのその顔は、どこか幻想的で、それでいて少し頼もしく思えた。

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