釣り人はダンジョンで竿を振るう

構部季士

第1話 その男が家出をした理由

 ――釣りがしたいなら、ダンジョンへ行け。


 それがこの世界の常識だ。もしダンジョンが存在しない世界なら、冗句として受け取られたことだろう。

 ただ魚と戯れるだけなら、海や川に行けば良い。

 足場の悪さや毒魚に警戒するなど、常識の範囲内での危険はあるだろう。しかし基本的に、そこは安全な世界だ。

 海から釣り上げられた魚が人間以上の力で殺しに来ることはない。


 「――早く糸を寄せろ! クルス!」


 クルス! と、もう一度父に名前を呼ばれ余計な思考を中断した。

 返事をする間もないまま、両手に握ったおよそ5メートルの長さの釣竿ロッドに魔力を流し込む。

 竿先が伸びた先には、大物狙い用の太めの糸が光の道筋のように洞窟ダンジョンに続いていた。

 このダンジョン用の釣り竿――魔導竿ロッドに魔力を流し込むことにより、己の魔力によって生成された釣り糸が竿先から放出される。現在も魔力による糸は放出され続け、俺はそれを引っ張り上げている最中だった。


 「い、今やってるから!」


 釣りは釣りでも海や川での魚釣りと違い、手元には糸巻き器としての役割を持つリールはなく、釣りの対象としている生物の力に耐えられる器械はない。奴らは魔力を力の源にし、俺達は奴らに対抗する為に魔力を釣りの道具に込める。

 

 「――出てくるぞ、オークだ!」


 成人男性の三倍はありそうな巨体の輪郭が洞窟の暗闇から引きずられるようにして現れる。標的オークを視界から外さないように途中で針が外れないように慎重に少しずつ竿を持ったまま出口から離れた。

 洞窟の外に巨体の正体であるオークを外に引きずり出すような形になり、月明かりの下にオークが姿を現した。釣果は上がるが獲物が活性化し攻撃性も高くなる”夜釣り”を行っていたことを他人事のように思い出した。


 「糸を切れ!」


 素人じゃない、もう何度も経験している。父に言われなくても分かっている。

 このまま魔力糸で引っかけたままなら釣られるのは俺の方だ。父が指示するよりも早く準備を終えていたので、速やかに魔力の糸を断線させた。


 「――今だ、かかれっ!」


 父の指揮に従い、脇に立っていた母ディアが身の丈以上の大斧を振り上げ、叔父コントロが長槍を構えてオークに飛び掛かった。まだ12歳の妹は家業をどんどん吸収し覚えたばかりの魔法で、母と叔父の武器に強化魔法を付加させた。三人の後方では、父は両手剣に姉は片手剣に魔力を込めて必殺の一撃の準備をしていた。

 低いながら知能を持つオークは武器としての石のこん棒を振り回して応戦するものの、ダンジョンに充満していた魔素の保護を受けられないモンスターは驚くほど弱体化する。


 人間は海中では自由の活動はできない、それと同じようにモンスター達もダンジョンから引きずり出されることで日常的な活動に支障が出るほどの弊害を受ける。弱った彼らを攻撃、討伐、締め、知識のある者ならさらに解体をするのが魔断士エクスキューターの仕事だ。

 俺がダンジョンからモンスターを釣り上げる釣人アングラーの役割、他の家族達がモンスターの魔素と命を絶つ魔断士エクスキューターの役割をするのが日常だ。

 時間にして三分ほどだろうか、父に両腕を斬られ、最後に姉に首を斬り落とされてオークは息絶えた。終わりはあっけないものだったが、オークにとってはこれが最期の瞬間だ。


 「よし、剥ぎ取れ」


 父の指示で、つい数日まで血肉を嫌っていた妹までもがオークの皮や肉、爪、内蔵まで解体する。おおまかなダンジョン釣りの流れとしては、ダンジョンに多量に漂う大気中の魔力である魔素をたっぷりと吸ったモンスターが釣人に釣り上げられることで地上に引きずり出され徐々に魔素を失い弱体化した後、魔断士が討伐する。

 あっという間にバラバラに解体されたオークだが、叔父と叔母は新しい武器を造る為に骨も解体しているところだった。妹に至っては、新鮮なオークの刺身だと一切れ食べている。おぞましい光景にも思えるが、仕留めて数分以内なら肥えたオークの腹回りの生肉は珍味として知られている。

 

 「――おい、クルス」


 ぼんやりとしていると突然、父から胸倉を掴まれた。


 「痛いよ、父さん……」


 「どうして、解体を手伝わなかった! 俺達家族の生業はモンスターを釣るダンジョン釣りだ。もう何十年も身内からは犠牲者は出ていないからといって、パーティの輪を乱すような行為が命取りになるんだ! まさか、もう15歳になったというのに私的な理由で解体を拒否するつもりか!」


 私的な理由、と父は言ったが数日前のダンジョン釣りで、俺が解体作業を気持ち悪いとぼやいていたのを耳にしたのだろう。息子の声は聞こえないくせに、自分の気に食わないぼやきにはここまで反応するのか。

 幼い頃から家業を手伝ってきた俺も我慢できなくなって言い返す。


 「そうだよ! おかしいだろ、モンスターのハラワタ漁って血まみれになって、俺達家族はケダモノみたいな目で街の人間達から見られている! もう嫌なんだよ、こんな血生臭い生活は! 俺はもっとまともな仕事をしている親の子供になりたかったよ!」


 薄暗闇の中で父のこめかみに青筋が浮かんでいるのが見えた。


 「お前が馬鹿にしたこの仕事は、俺達トライハード家が何代にも渡って継いできたこの世界に必要な仕事だ。血を浴び傷を負い、それでもダンジョンに挑んできた。過去の先祖達や家業を侮辱したお前を俺は許すことはできん。お前の発言は、英霊を愚弄する発言だ。……出ていけ、誇りある家業を馬鹿にするお前を家に置いておくことはできない!」


 投げられるように俺の体は地面に叩き付けられた。その時、俺の視界にはモンスターだった肉片が視界に飛び込んできた。これでもかと自分の血生臭い家業を痛感させられる。

 いつもこれだ、叱責を受けて仕方なく必死にやりたくもない釣りをして半泣きになりながらモンスターの亡骸と対峙しなくてはならない。もう体内の魔力も空っぽだ、それなのに帰宅したらロッドの整備もやらなければいけない。ああ嫌だ、俺が望んでいるのは、もっと楽しく穏やかな暮らしだ。ダンジョンで生活しているモンスターを引っ張り出して殺すなんて、人間がやる仕事じゃない。こんなの殺戮者と同じじゃないか。この仕事のどこに正義があるんだ、この仕事のどこにやりがいがあるんだ。

 溢れそうな涙を飲み込み転がった地面から垣間見えた見上げた夜空の美しさが、もっと広い世界を見に行けと言っている気がした。

 ああ……。

 何か納得するように振り切るように、もしかしたら吐き出すように、俺は吐息を漏らして立ち上がった。

 目の前の親父は相変わらず鬼のような形相で俺を見下ろしていた。さっきのオークの方がずっと穏やかだったんじゃないか。


 「ああ、分かったよ! こんな汚い仕事、俺には最初から向いていなかったんだ! 冗談じゃない、生き物を殺して血肉を啜るような仕事はもうやめだ! これじゃどっちがモンスターか分かんねえよ! 言う通りにしてやるよ、それに……言われなくても、そうするつもりだったさ! じゃあな、親父! モンスターの餌にならないように気をつけな!」


 一度崩壊した土砂が止まることを知らぬように積み重ねた感情を思いのまま吐き出し、ロッドを放り投げると背を向けて俺はさっさと歩き出した。

 ふと、背後で妹が「お兄ちゃん」と呼んだ。

 どうやら俺にも呼び止めてくれる人間も居たらしいと振り返った。


 「オークの刺身、まだ残っているよ?」


 口元を血まみれにしながら咀嚼する妹が、ナイフの先に乗せた肉の切れ端を俺に差し出していた。

 絶句した俺は、そこから背を向けて無我夢中で走り出した。


 ――これが15歳の時だ。それから5年間、俺は安定と夢のある仕事を探して旅をしている。

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釣り人はダンジョンで竿を振るう 構部季士 @ki-mio

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