23 清少納言、ラーメンを食べる

 帰ってくると母さんが珍しくクラシックを家の中にかけながら鶏ハムを仕込んでいた。

 母さんはよくオーディブルでミステリを聴いてインプットしているが、たまにヘッドホンで肩が凝るとこうやって家じゅうにドビュッシーとかサティを流す。クラシックを聞くならオペラ、の父さんと違ってあっさりめのピアノ曲が好きらしい。

 まあその間に生まれた僕はぜんぜんクラシックに興味がなく、音楽を聴くとなるとだいたいゲーム音楽とかアニソンとかそういう感じだ。


 きょう図書館で西園寺と出くわした話をする。習い事に行く余裕のあるやつは大変なんだね、と言うと、母さんは少し考えた。


「西園寺くん、昔から病弱だったからねえ……」


「そうなの? やっぱりか」


「うん。幼稚園のころからひときわちっちゃくて、夏でも長袖着てないと熱が出る、ってお母様が言ってた。しょっちゅう熱出してて可哀想だったな……芋掘り会の日が霧雨でね、次の日の焼き芋を楽しみにしてたのに見事にひどい風邪引いて焼き芋食べられなかったこともあるし、遠足のときだってずっと楽しみにしてたのにぜんそくがおさまらなくて休むことになっちゃったこともあった」


 そうなのか。あいつはあいつで苦しんでいたんだな、成績優秀、実家ゴン太、趣味多彩だというのに。健康ばっかりはお金で買えないものだ。いや、厳密には買える健康もあるのだろうけど、それで全て完璧に健康になることはできないのだ。


 僕はみんなのこと、ぜんぜん知らないんだな。

 いつものみんな、なんて簡単に言っちゃうけど、それでくくれないくらい人間というのは複雑なものなのだな、と思うに至った。


 そんな話をしていると父さんが帰ってきた。父さんはどうやら「黄泉のツガイ」を、既刊ぜんぶ読んできたらしい。楽しそうに母さんに話す様子は、まるっきし初めて映画に連れて行ってもらった子供だ。


「宗介さん、タビトに読ませるエッセイの書き方の本探すって言ってませんでした?」


「……あ」


 どうやらちゃんと目的があったのに漫画を黙々と読んでしまったらしい。父さんらしいなと思う。


「まあ、本を読んで書けるようになったら編集者さんも新人賞もいらないんだよ。とにかく思うままノビノビ書いていくしかないね」


「あのさ父さん、僕エッセイストになるなんて一言も言ってないけど」


「えっ、あのものすごい熱量のエッセイはなんだったの?」


「そりゃあ……みんなと釣り合うようなものが書きたくて」


「そっか、タビトを動かしてるのは劣等感なんだ。いいよいいよ、文章を書くことは自分をさらけだすことだ。大河のまひろちゃんだって自分の身に起きたことはなんでも文章のネタだって言ってた」


 大河のヒロインはもうちょっと優雅な言い方をしたと思うし、それに紫式部なのだからエッセイでなく小説を書いていたと思うのだが、それはともかく。


 晩御飯は質素な、生野菜のサラダとカレイの煮魚とごま塩ご飯、それから白菜の味噌汁、ついでに母さん手製のチーズケーキだった。

 マロがカレイを欲しがっていたが、きりっと味がついているので与えられない。父さんもそれは分かっているのでマロにはあげなかった。


「ごめんねマロきゅん、お刺身の日にあげようね」


 マロはもらえないとわかるとぷいとそっぽを向いて、自分の寝床に転がってしまった。猫も空気を読むのである。


 食事のあと、父さんのお下がりのパソコンで、少しだけきょう思ったことを書いてみた。僕は友達のことを何にも知らないのだなあ、と。

 どこかに発表するわけでもないのにやたらと筆がのってしまった。気がついたら深夜だ。

 ぐいっと伸びをして、さてトイレに行ってから寝るか、と思ったら部屋の前に父さんとマロがいた。寒かろうに。


「なにしてんの父さん」


「タビトが創作に目覚めた瞬間を見届けようと思って」


「別に創作とかそういう立派なものじゃないよ、ただ日記を書いてただけ」


「ほほーう日記文学。土佐日記みたいにJCになりきりとか?」


「しないよ!!!!」


「そういえば2、3年前までえねっちけーEテレでやってた『なりきり!』って動物番組面白かったよね。なんで終わっちゃったんだろ。あと『オトッペ』もアプリ入れるか真面目に考えてるうちに終わっちゃったなあ。『プチプチアニメ』はたまに観るから面白いんであって毎日は飽きるよね」


 父さんよ、なぜいい大人がEテレを夢中で見ているのか。まあ僕も0655くらいは観るけど。


「そうだ、せっかく珠子ちゃんも寝静まったことだし、内緒でラーメン食べに行こう。清少納言さんも誘って」


 別にお腹が空いているわけではないのだが……と言おうとしたら「だいじょぶだいじょぶ、原稿料もらってるから3人分ちゃんと払えるし、近くの道路沿いによくいる夜泣きそばの屋台が行きつけなんだ」と、どうやら家族が寝ている隙に1人でよくラーメンを食べに行っているらしいセリフが出た。


 そういうわけで寒い中、清少納言と父さんと、3人でラーメンの屋台に向かった。確かに道の片隅に、「ラーメン頑固」というのれんを下げた屋台が佇んでおり、父さんは当たり前みたいに入って文字通り頑固そうな大将に「ラーメンみっつ」と注文した。僕と清少納言もスツールに腰掛ける。

 すぐに出てきたラーメンはしょうゆ味のいわゆる支那そばで、寒い日だからかホカホカと湯気を上げており、とてもおいしそうだった。清少納言も、「これはエモい……」と納得している。3人でラーメンを啜った。とてもおいしかった。

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