第31話

 ◇レイフ視点◇


「騎士様のご帰還だ!」

 出迎えてくれたのはイーサクを初めとした村の人々。三十九名のベンノの部下が、今正に西武地方騎士団に連行されようとしている。遂に村は立ち上がり、報復を恐れず騎士団へ通報したのだ。騎士団は本件の黒幕では無かったという事実に、ホッと胸を撫で下ろす。

「助かったよ、レイフ。こちらは?」

「バディのライラだ。ライラ、こちらはアリシアの父のイーサク」

「よろしく。貴方、立ってて平気なの?」

 身体中に巻かれた清潔な包帯は全身の切り傷を癒す為だろうが、随分と壮健な表情だ。

「俺は昔から身体だけは強くてな。帰って来てベンノの部下をふんじばったのもこの俺だ。最初は皆恐れていても、俺が勝勢と見るや手を貸してくれたよ」

 何とも豪胆な。

「レイフ、お前も酷い怪我だ。頭部は見た目程深い傷ではなさそうだが、手当をした方が良い」

「レイフさん!」

 胸に走り飛び込もうとするアリシアをライラが抑える。

「彼は今胴体もやられているの。骨に罅が入っているかもしれないわ。看病は私がやります。アリシアは休んでて良いのよ」

「いえ! ライラさんも休んだ方が良いです! すっっっごく汗臭いですよ!」

 ライラは目を見開き、恥ずかしそうに俺を見つめる。

「いや、そんな事ないよ」

「……いいわ。レイフはアリシアに手当してもらいなさい。私はお風呂に入って着替えてくるから。……フラフラしちゃ駄目よ」

 ライラは念押しし、支えていた俺の左肩をアリシアへ引き渡すと、そのまま西武地方騎士団の中隊長らしき人物へ近付き何やら調整を始めた。そこら辺の子細は任せよう。

「レイフさん、すぐそこに応急のベッドを用意しています。少し歩けますか?」

「大丈夫だよ。一人で歩ける」

「駄目です! 転んだらどうするんですか!」

 少し強引なアリシアは密着し支えてくれる。

「アリシア、騎士様を頼んだぞ」

 イーサクは村の連中と打合せに向かう。聖堂の遺体の埋葬や次の村長の選挙等、皆やる事が山積みだ。

「レイフさん、父を助けて下さりありがとうございます」

 弱々しい声。事件の解決にどうやら緊張の糸が切れたようだ。二人で歩いていれば。

「あの人、駄目だったみたいねぇ」

 遠く、道すがらに聞こえたのは村人達の話し声。

 ……まさか。

「アリシア、駄目だったと言うのは?」

 少しの沈黙の後に。

「レイフさん達が助けて下さった内の一人が、精神的に持たなくて、先程、息を引き取られたみたいです」

 ……そうか。肉体的には持ったとしても、あの空間に二週間。普通なら耐えられない。寧ろ壮健なイーサクが異常なくらいなのだろう。

「俺達がもっと早く助けられれば」

「違います! レイフさん達は最善を尽くして下さいました! レイフさんがいなかったら、父だって……」

「うん。……そうだね。励ましてくれてありがとう」

「いえ! 私を赦して、励まして下さったのはレイフさんです」

 そして気が付けば、到着したのはアリシアの屋敷。

 あれ? 外に簡易ベッドが有ると言う話だったが?

「私の家の方が器材も揃っていますので」

 俺の疑問を察したのか、訊いてもいない説明を始める。そして奥の、先日まで泊まっていた寝室のベッドへゆっくり下される。

「着きましたよ。横になって下さい」

 清潔な布と沸かした湯で手当を始める。随分と手際が良い。

「慣れているのか?」

「この村は皆傷だらけですから。看病をしている内に」

 頭部へ包帯を丁寧に巻き、上半身の手当を終えると、アリシアはスラックスを脱がそうとする。

「ちょっと待ってくれ! そっちは大丈夫だ! 怪我していない!」

「駄目です! 今はアドレナリンが出て、痛みに気付いていないだけかもしれません! 小さな傷でも見逃すと破傷風の危険が有るんですよ!」

「……ええ……はい」

 言われるがままその手に委ねる。そして衣類は剥ぎ取られ、アリシアは清潔な布で下半身を拭き始める。

「……いつもこんな事を?」

「何言ってるんですか? 私は嫁入り前の乙女ですよ。こんなの初めてです」

「え!? 待って! 話が違う!」

「今包帯を巻いているので暴れないで下さい!」

 しかし同い年の女性に自身の性器を見られるというのは死ぬ程恥ずかしい。いや、これは医療行為なのだからそんな邪な考えは失礼だ。そういった理性とは反対に、自身のもう一人の人格を宿すそれは、健やかにイキリ立つ。

「……レイフさん? 何ですかこれは?」

 アリシアは顔を真っ赤にして、しかしそれを凝視しながら尋ねる。

「ごめん! もう止めよう」

 起き上がろうとした瞬間、左脇腹へ激痛が走る。アドレナリンの喪失。身体はピクリとも動かない。

「……レイフさんも男の子ですもんね。生物は自身の命が危機に晒された時、遺伝子を残そうという意志が強く働くと聞いた事があります」

 アリシアはそして天突くそれを、真っ赤な顔のまま綺麗にゆっくり拭き始める。俺は邪な考えを必死に振り払う。これは医療行為なのだ。

「……助けて下さったお礼もしなくちゃいけませんよね」

 しかし、その時。

「アリシア!」

 客室の扉が勢い良く開く。そこには怒りの余り修羅と化したライラの姿。状況を瞬時に理解した修羅の周りは鋭く凍て付く。

「アリシア、これはどういうつもり? 近くに簡易ベッドが有るのに、何でこんな態々遠くまで?」

「あは! バレちゃいました? お風呂はどうしたんですか?」

 その言動に狙いを察した修羅は、問い掛けには答えない。そしてその目は俺と、もう一人のレイフへと向けられる。

「……レイフ、貴方というホモサピエンスがどういうものか、本当に、……本っっっ当に理解出来たわ」

 純然たる無垢な蔑み。

「ライラ! これは違うんだ!」

「どう違うのよ!」

 ライラは、舌打ちしながら抵抗するアリシアを引き剥がすと、目を背け顔から火を吹き出しながら、比較的傷の浅い下半身に服を着せる。

「破傷風に成ったらどうするんですか? これは医療行為ですよ」

「それならレイフはもう死んで良いわ。良いわよね?」

「……はい」

 余りの圧力に命は無価値へ。そしてライラは俺の左肩を支え、強引に立ち上がらせる。

「手当ありがとう。私達は宿へ帰ります」

「また来てくださいね?」

 アリシアの艶々な笑顔をライラは睨みつけると、重い空気を吸いながら、俺達はいつもの宿へ戻った。部屋の扉を開けると君はベッドに俺を座らせ尋問を始める。

「どこまでやったの?」

「……何が?」

「……いいわ。私の質問に全ていいえで答えなさい」

「違う! 誤解な――」

「いいえで答えなさい! いいわね?」

 有無を言わせぬ圧力に、俺は無言のまま首を縦に。

「アリシアとキスはした?」

「いいえ!」

 してない! そんな事をする訳が無い!

「アリシアの胸や……身体を触った?」

「いいえ!」

 してない! 俺をどんな奴だと思ってるんだ!?

「アリシアに陰茎を触らせた?」

「……いいえ」

 君は柳眉を逆立てる。

 違うんだ!

「……続けるわ。貴方から触ってってお願いしたの?」

「いいえ!」

 そう!

 いい質問だ!

 何か流れで仕方無かったんだ!

「アリシアに触られて興奮した?」

「い、いいえ!」

 大気は凍て付き氷柱が垂れ下がる。

 違うんだ!

 違わないけど、違うんだ!

「気持ち良かったのね。……そう。……レイフも男の子だもんね」

 腰に手を当て君は溜息。そしてフランボワズの瞳は据わる。

「脱いでそこ、横になりなさい」

「ライラさん?」

「あんな気障な台詞言った側からフラフラ、フラフラ、フラフラ、フラフラと。……誰が一番良い女か、

 君は青筋を立て激昂し、ムードも何も無いまま夜を誘う。

「オラッ! 服脱げ! 男だろ!」

「落ち着いてくれ! 本当に違う! 何も無かったんだ!」

 ボタンを外し服を脱がんとする君のその手を掴んで止める。

「放せクズ男! 死ね! ヤリチン糞野郎!」

 暴れる君を必死に抑えて、激痛を堪えて、抱き締めながら何度も謝り倒す。

「やっぱりあの糞女は殺す! 今殺す! 放せ淫獣! お前絶対性病だろ!」

 何度も、何度も、何度も謝り倒す。君の怒りは最もだ。百対零で俺が悪い。自身が本当に反省している事、一番大切な人は君である事を何度も、何度も繰り返す。理由は分からない。何故俺は、こんなにも君を……。

 誰を彼をも虜にしてしまうその美貌だろうか?

 鈴を転がしたように美しいその声色だろうか?

 悪戯と邪智暴虐に綻ばせるその頰笑だろうか?

 人の幸せを願う事が出来るその愛心だろうか?

 将又、それら全てだろうか?

 それらしい理由を挙げようとすれば切りが無い。それ程までに君は愛おしい。明確な答えなど、自問自答したところで見つからない。

 でも、それでもどうやら、確かに俺は、君の事が好きらしい。

 君にそれを伝えたい。

 語彙力も無い。

 伝える術も分からない。

 感情の由縁も分からない。

 答えもいらない。

 この先に誰の幸せも無い事は分かっている。

 それでも俺は、この溢れる感情の一欠片を、君へ贈りたい。

 

 ――窓から時明かりが流れ込む頃に、ようやく怒りが鎮火したのか、それとも体力が限界に近付いたのか、君は俺をベッドに押し倒したまま眠り始めた。

 君の腕の重みが左脇腹へ鈍い痛みを伴うが、不思議と嫌な気分はしない。

 窓の隙間から流れるそよ風が、光を透かすカーテンレースをサラサラ揺らす。

 静寂の中、君の吐息の音だけが穏やかにリフレインする。

 ヘリオトロープの香りは息絶え、君の少し汗ばんだ、しかし桃のような甘い匂いが世界を支配する。

 安堵に包まれ天井を見上げれば、ロココ調の華やかなシャンデリアの真鍮が、その薄明を艶々と反射する。

 結局俺は、〈ヘクソカズラ〉よりも骨折った。

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