畜生の宴

冴島ナツヤ

地獄への道は善意で舗装されている 後日談

 光華がその子どもに出会ったのは、本当に偶然だった。

 杵築ホールディングス主催の、ご令息生誕パーティーに初めて招かれた光華は、代表取締役である父に連れられて、しぶしぶ会場へ足を運んだ。

「決して失礼のないようにするんだぞ。分かっているな?」重々しい雰囲気を漂わせつつ、刺々しい口調でそう言った父の態度は、まるで聞き分けのない子どもに言い聞かせるかのようだった。「これでまた睨まれたら、今度こそ会社の存続の危機だ」

 光華は表面上こそ神妙な顔つきで聞いていたが、内心では非常にムカムカとした気分を味わっていた。そうであるならば、光華をつれてこなければ良いのに。一度やらかした娘を、わざわざ鬼門へつれていくなど、正気の沙汰ではない。

 しかし、そののせいで今日まで肩身の狭い思いをしている光華に、拒否権は存在しない。

 だから、光華は顔を伏せて唇を噛み締めながら、唯々諾々と父に従ったのである。

 紅の艶やかなパーティードレスに身を包んだ光華は回想を終えると、ぐるりと会場内を見渡した。様々な企業の重役とその家族、芸能人、業界人その他諸々が談笑し、話に花を咲かせている。中にはお忍びなのか、政治家崩れの者もおり、にやにやと品のない笑みを浮かべながら、力ある者にすり寄っているのは、端から見ても滑稽極まりなかった。

 光華は餌に群がる意地汚いハイエナの群れ群れを眺めながら、手当たり次第に声をかけて、豪華絢爛なパーティーを開催した杵築の浅ましさに、反吐が出る思いであった。

 光華も香月ディベロップメントの社長令嬢であることは割れているので、何度か声をかけられた。年齢の若い者ならば適当にかわし、年配の者ならば父へ回して、ぶらぶらと会場を渡り歩く。途中、何度か杵築ホールディングスの現総裁とそのご令息がいるであろう人だかりを通りすぎたが、兎に角、人が多くて顔を一目見ることは叶わなかった。

 ある程度の軽食を摘まんだものの、腹は満たされない。ボーイが差し出すシャンパンをくるくると回しながら、ぼんやりと時間を潰す。この頃には光華の素っ気なさに手応えを感じなくなったようで、誰も話しかけてこなかった。気は楽だったが、その分、時間が進むのが特に遅かった。

 そうやって壁の花を決め込んでいた光華は、ふと、下方から視線を感じた。

 何気なく見下ろして、ひゅ、と息をのむ。

 そこには、光り輝く麗しい子どもが、にこにことしながら光華を見つめていた。

 天使の輪のような光沢のある柔らかそうな短い髪、前髪に隠れたすべらかな額、形の整った眉、すらりとした鼻筋にくっついた可愛らしい丸い鼻、まろい頬は薔薇色に染まり、ぷっくりとした唇は笑みの形を象っている。

 一目見て理解できるような、天使と見紛う美しい子どもだった。性別は分からない。それが余計に、子どもを神秘のベールに包み込み、その美麗な顔立ちを際立たせている。

 しかし、何よりも目を惹かれるのが、子どもの【瞳】だった。びっしりと長く生え揃った睫毛に覆われた、アーモンド型の大きな瞳から、何故か異様に目が離せない。

 無邪気で、無垢なそれにかげろう、凄絶な艶かしい誘惑の色。蠱惑的な光。人を惑わせながらも手を伸ばさずにはいられない、きらきらと輝く一番星の瞳。

 光華はそれにからめとられながら、その既視感にくらくらとしていた。そう、光華はこの妖しく微笑む瞳の色を、以前にも見たことがあるのだ——。

 一方、子どもは何も話さずに、ただただ微笑んでいる。家族連れの中には、小さな子どもを遊ばせている者もいたが、このような目立つ子どもは見かけなかった。——否、光華が唯一、まだ目通りしていない子どもが、一人存在するのではあるが。……

 いつの間にか冷や汗がしとどに背中を伝っている。眺めているだけで感嘆のため息を漏らしてしまうような、愛らしい子どもであるというのに、光華は何故か、本能的な嫌悪感が拭えなかった。

 光華と子どもは、暫くの間、にらみ合いにも似た無言を貫き通して、お互いの出方を観察した。

 しかし、肌がひりつくような鋭い視線の交わし合いは、呆気ないほど突然に、終焉を迎えたのだった。

「シンバ」

「……! おかあさん」

 ぱっと振り返った子どもは、声を弾ませながら、呼び掛けられた声の方へと走っていく。恐らく喜色満面を表しているであろうことがよく分かる声色に、光華は人知れず強張っていた体の力を抜いた。どっとした疲れに襲われながら、光華は永遠には満たぬものの、永い時間を過ごしたような気持ちになった。

 子どもの瞳には、もう光華が映し出されることはなかった。もしかしたら、あの気紛れな出会いすら、既に頭には無いのかもしれない。

 そして、光華はふっ……と、子どもがしっかりと手を握りしめた先を見た。

「……。……え……?」

 ぽかんと口を開けたまま、呆けた顔つきで、子どもの母親らしき人物を凝視する。そんな、まさか、いや、——嘘だ……。

「あ……の、人……は……」

 光華は喘ぎ喘ぎ、苦しげな息を吸っては吐き出しながら、呆然と呟く。シャンパンの入ったグラスを落とし、粉々に割ってしまったが、それすらも気にかける余裕はなかった。慌ててボーイが近寄って、砕けたグラスを片付けながら、光華に怪我がないか問うたが、光華の意識は一組の母子に集中していて気がつかない。

 いっそのこと駆け寄ろうかと思ったが、身体中の血の気が引いて、くらくらと立ち眩みを起こしかけて、上手く動かすことができないのがもどかしかった。

 顔は見えなかった。声だって朧げだ。しかし、光華は確信していた。その根拠も、己の中できちんと確立している。

 ……。

 ああ、では、あの子どもは……、と光華は思い当たって、気の遠くなるような、鳩尾がすーぅ、と冷たくなるような、悪寒にゾッと身を震わせる。

 その間にも、クラシカルなドレスに身を包んだ、ほっそりとした女性の後ろ姿は、きらびやかでありながら人外魔境に匹敵する喧騒に飲まれていく。

 そして、その手をぎゅっと握りしめて離さない天使もまた、光華の視界からあっという間に消えてしまった……。

 

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