第5話 漆の木
仕事の関係で関東圏で生活するようになって、かれこれ長い時間になる。今住んでいる街は都心までJR一本で交通の便がいい。
周辺の再開発は年を追うごとに盛んになり、新築マンションの建設ラッシュが続いている。
そんな事情にも関わらず、僕のマンションから駅に向かう途中に、周辺とは不釣り合いな一画がある。
長く使われていない建物が一軒取り残されたままだ。一階は母屋と思われ、二階に2室だけある小さな木造アパート。
伸びたツタが建物を半分ぐらい覆っている。
その建物もさることながら、周辺と異質な風景となっているのが鬱蒼とした庭の木々だ。
イチョウ、ウルシ、イチジク、アジサイ、ツバキなど、他にも名前のよくわからない樹木が生い茂っている。
その木々が粗末なトタンの柵から、狭い歩道に覆い被るようにはみ出している。
時折地主が手入れに来ているようだが、木々の成長に間に合っていない。
雨の日には突き出た枝が傘の邪魔になるし、落葉の季節となるとその一帯だけが落ち葉だらけとなり、周囲の美観を損ねているのは明らかだ。
使っていない土地を手放さない理由はわからないが、長らくそんな状態が続いていた。
それが数年前の夏頃、変化が起きた。
歩道際に生えていた一番立派なイチョウの木が、突然伐採されたのだ。
大人が一抱え以上あるような幹の太さだったから、樹齢は優に100年を超えていただろう。
毎年秋になると見事な黄色に色づき、目には鮮やかな存在だった。
ただ見た目には美しい紅葉も、放置された落ち葉は始末が悪い。踏み散らかされ、その一画だけ毎年残念な歩道になってしまう。巨木だけに落ち葉の量も相当だ。
近所からの苦情などもあったのかもしれない。
僕が朝出勤するときには確かにあったのに、夕方帰宅するときには無くなっていた。
おそらくクレーン車両など、相当大掛かりな専門業者を使って伐採したのだろう。
同じ敷地内にウルシの木が一本ある。二階建てのアパートの屋根を越えるほどの高さだ。
イチョウとは建物を挟んだ対角線の位置に生えている。
毎年冬前には燃えるような赤色に染まり、イチョウの黄色ととてもきれいなコントラストを見せていた。
それがこの年、イチョウの伐採からしばらくして、ウルシは赤く色づき始めることなく、緑のままの葉を全部散らせてしまった。
それを見た僕は、ウルシの木が長年の仲間を失った悲しみのショックから、葉を散らせてしまったように思えた。
次の年からはまた以前と変わらず、葉を赤く染めている。イチョウの木が伐採されたその年だけ、そんなことが起こった。
植物は土の中で根から微弱な電気信号を発して、互いにコミュニケーションを図っていることが、近年わかってきたという。
特に身の危険に関する情報をやり取りしているらしい。
彼らは人間が考えている以上に、したたかな戦略を持って何億年もの間を生き抜いてきたのだ。
あの年、イチョウの断末魔の悲鳴を、きっとウルシが受け取ったのだと思うと、僕はなんだかやるせない気持ちになる。
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