大学生活の為に上京して一年後。恋人に振られたらオッドアイの中学生との生活が始まりました。

ひるねこ

第1話 破局と雨の中の出会い

 変だと感じたのはいつだったか。何が悪かったのか。どこで間違ったのか。

 地元を出て都会の大学に通う一人暮らし。そして大学生ともなれば、ある程度は自立しなければならない。

 なのでバイトをしており、水樹瀬凪みずきせなはそれなりに忙しくしていた。

 勿論、一般的な大学生として――それにしては恵まれていたが――青春は謳歌おうかし、誰が見ても可愛いと断言出来る恋人も作れた。

 俺と同じように地元を出ており、境遇が似ている事で、彼女とすぐに距離を縮められたのだ。

 それだけでなく、似た境遇だからこそバイトにいそしむ俺を応援してくれたのを覚えている。

 けれどいつからか会う時間が減り、服装が変化し、彼女が別の男と一緒に居るという噂が耳に入りだした。

 そして今、ぐるぐると頭の中に疑問が渦巻く俺を、恋人のはずの女性が呆れた目で見ている。


「私達、別れよう?」


 久しぶりにデートに誘われたかと思えば、出会って一言に告げられた、無情な別れの言葉がもう一度耳に届いた。

 真っ昼間かつ人通りの多い駅前広場でのやりとりに周囲の視線が集まるが、そんな事を気にする余裕は無い。

 何故なら、目の前の恋人は関係の解消を言い出しただけでなく、隣に居る男性にべったりとくっついているのだから。


「どう、して……? その人は誰だよ……?」

「えー? だって水樹、全然私に構ってくれないし」

「それは、ごめん。でも――」


 今まで「瀬凪」と名前で呼んでくれていたのだが、どうやら二度と呼ぶ気は無いらしい。苗字へ呼び方が変わっている事に胸が痛んだ。

 これからはもっと構うという俺の意見は、再び彼女が口を開いた事でさえぎられる。


「言い訳はもういいよ。改善して欲しいとも思ってないし。――それに、私には雄太ゆうたが居るもの」


 そう言って彼女は隣の男に抱き着いた。

 雄太と言うらしい甘い顔をした男は、呆れとさげすみを混ぜた表情で瀬凪を見つめる。


「そういう事だよ、元彼氏くん。まあちょっとは悪いと思ってるけど、恋人を大切にしていない時点で彼氏失格だ」

「だから――」

「食事の際は全部割り勘で、プレゼントも殆ど送らない。しかもバイトで忙しいからって連絡もあまりしなかったんだっけ? そりゃあ別れを切り出されても当たり前だと思うけど」


 恋人に対して誠実では無かったと言われれば、確かにその通りなのだろう。

 しかし、いかにも「自分は違う」と思っていそうな目の前の男とて、恋人持ちの女性に近付いたのだ。

 俺だけが責められるいわれはない。

 怒りで思考が真っ赤に染まり、男を思い切り睨みつける。


「……人の恋人を奪ってよくもぬけぬけと」

「男の嫉妬は見苦しいよ。もっと余裕を持たないと、ね」

「水樹のそういう所、嫌だったんだよねぇ。バイト漬けで偶に会っても疲れてて話は面白くない。顔はそれなりに良いけど、それだけ」


 俺と彼女は大学に入った境遇こそ似ていたものの、その後は違う。

 彼女は大学に入学して、容姿の可憐さからすぐに有名になった。

 俺はというと、顔は悪くはないようだが有名になる程ではなかった。

 だからこそ胸の中は不安で一杯だったが、なるべく表に出さないようにしていたつもりだったのだ。けれど、見抜かれていたらしい。

 一番近い距離に居るはずの恋人の、容赦のない言葉に胸が抉られたように痛む。


「だから、雄太と付き合うね。いい経験になったよ、水樹」

「次はもうちょっと恋人を構ってやりなよ」


 既に俺と別れるのは決定事項であり、事実を言いに来ただけなのだろう。

 俺の言葉を聞かず、二人は歩き出した。当然のように恋人繋ぎをしているのが見えて、視界がぼやける。


「……なんだよ、それ。なんなんだよ」


 あまりにも唐突に、一方的に突き付けられた現実に、呆然と立ち竦む。

 無力感に拳を握り込んでも、何も得る事は無い。


「俺だって、俺だって……。ちくしょう……」


 顔を俯けると、悔しさが涙となって零れた。

 ぐっと奥歯を噛み締めていると、ようやく周囲の声が耳に入ってくる。


「わー、かわいそ、あれ」

「仕方ないんじゃない? 顔だけで性格が悪いっぽいし」

「彼女をほったらかしにしてたみたいだし、自業自得じゃん」


 人通りの多い場所が故の、容赦のない言葉。

 そんなものを受け止める余裕などある訳もなく、ゆっくりと歩き出す。


「………………」


 生活の為に頑張った所で、何の意味も無いのかもしれない。

 そう思うと、急に目の前が真っ暗になった気がする。

 それからどうやって家に帰ったのかは覚えていない。





 あれから数日経ち、俺は無気力に日々を過ごしていた。

 とはいえ、頭の冷静な部分では学業を疎かにしてはいけない事も分かっていたし、バイトをサボれば生きていけない事も分かっていた。

 なので引き篭りにはならなかったが、果たしてそれが良かったのかは分からない。

 大学では恋人を寝取られたとして、友人を除いて遠巻きに笑われているのだから。

 そのせいで同年代の女性に苦手意識を抱き、自分から話し掛けに行く気力も湧かなくなった。

 一名の例外を除いて元から異性と殆ど話していなかったから、問題は無いのだが。


「今日はバイト無しにしたんだっけ……。さっさと帰ろう」


 恋人に金を使う事が無くなった今、以前よりも時間に追われなくなった。

 自由な時間が大幅に増えた事に苦笑を零し、大学を出て駅へと向かう。

 ぼうっと何も考えないまま電車に揺られていると、窓を水滴が叩き始めた。


「……そういえば夕方から大雨が降るんだったっけな」


 偶々天気予報を耳にした結果、折り畳み傘を鞄に入れていた事を思い出す。

 雨音はどんどん強くなっているので、予報は現実になるようだ。


「持ってきておいて良かった」


 ずぶ濡れにならなくて良かったと内心で安堵あんどし、ホームへと降りる。

 既に雨は土砂降りで、駅を出ようとする人達が次々と傘を差しているのが見えた。

 だからだろう。駅の出口で途方に暮れたように立っている少女が目に入ったのは。


「……………」


 これといって特徴のない学生服に身を包む、かなり小柄な少女。

 腰まで伸ばされた艶のある黒髪は目元までをも覆っており、地味な印象を与える。

 駅の改札口という人の多い場所では、彼女の存在は消えてしまいそうに儚い。

 それでも俺が気付いたのは、彼女がマンションのお隣さんだからだ。


(名前、何だったっけ……? そもそも自己紹介すらされてなかったっけな?)


 少し前に隣に引っ越してきた際、母親の背に隠れていた事を思い出す。

 そのタイミングで彼女の母親に名字を告げられていただけなのも同時に思い出すが、残念ながら俺の頭から抜け落ちていた。

 そりゃあ分からないはずだと苦笑を零す。


「……ま、見捨てるのも寝覚めが悪いし、声だけは掛けてみるか」


 例え同年代の女性に苦手意識を抱いていても、全ての女性を拒絶するつもりはない。

 ましてやお隣さんなのだ。ここで見て見ぬふりをするのは寝覚めが悪い。

 ただ、初対面の時の姿からして、彼女は人見知りの可能性がある。そもそも俺を覚えていないかもしれないが。

 僅かでも拒絶されたらすぐに退こうと思いつつ「ねえ」と声を掛けた。

 まさか声を掛けられると思っていなかったのか、彼女がびくりと体を跳ねさせる。


「っ!? な、何でしょうか……?」


 怯えを多く含んだ声は、あまりにか細く小さく、下手をすると雨音に消えてしまいそうだ。

 これ以上警戒させるつもりはないと、小さな笑みを形作る。


「ああえっと、まず確認なんだけど、お隣さんで合ってるよね?」


 最初にすべき事は、俺の身元の証明だろう。

 同時に、人違いではない事の確認も出来るので一石二鳥だ。

 これで知らないと言われたらそれでお終いだったが、幸いにもそんな展開にはならなかった。

 黒髪の奥でぱちりと瞬きをした彼女は「あ」と声を漏らして強張っていた頬を僅かに緩める。


「は、はい、そうです。すみません、びっくりして一瞬分かりませんでした。覚えてくれてたんですね」

「引っ越しの挨拶をしてくれたからね」

「えっと、ありがとう、ございます……?」

「それは俺の台詞だけど、置いておいて。もしかして、傘忘れちゃった?」


 大学生が明らかに年下だろう学生に声を掛けたのだ。

 ここで揉めてしまうと事案になるので、スムーズに話が進むのは有り難い。

 とはいえ話が進まないので本題に入ると、彼女は再び顔を曇らせた。


「そんな、感じです」

「やっぱりか。なら、俺の傘を使って一緒に帰る? 手狭になって嫌かもしれないけど」


 近くのコンビニで傘を買うのも選択肢の一つだが、大雨なので似たような人は多いはずだ。

 傘が売り切れている可能性もあるし、そもそも年下の女性に「コンビニで傘を買えばいいじゃん」というある意味無情な提案は出来ない。隣人とはいえ、他人の金に口を出すのはマナー違反だろう。

 因みに俺がコンビニで傘を買うという選択肢は無い。

 自分の傘があるのにコンビニで買うのは無駄だ。地味に高いし。

 なので現実的な提案をすれば、少女がしゅんと顔を俯けた。


「それは有り難いですけど、申し訳ないですよ」

「いや、別に気にしないで。お隣さんを放っておけないって自己満足で提案しただけだから」


 恩を売るつもりはないと肩を竦めて態度で示し、彼女の返答を待っていると「うーん」とひとしきり悩んだ後、ぺこりと頭を下げられた。


「すみませんが、よろしくお願いします」

「おっけ、任された」


 話がスムーズ進んで何よりだ。

 持っている傘を差し、彼女を傘の中に入れて歩き出す。

 肩が僅かにはみ出て濡れてしまうが、ここは男の見せどころだろう。

 高校生以下だろう女性に頼れる所を見せても何にもならないと思いつつも、お隣さんを助けられたならそれでいいかと思いなおした。

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