第26話 帰宅と疑惑と捜索 6
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「無くても、あっても、無いというでしょうね」
まず、藍はそんな軽率な発言をするような娘ではなかった。
ただパズルのピースの最後の一つがはまったような感覚に陥って、ついついその答え合わせに聴いてしまったのだ。
箱入り娘がそのまま成長したような母親の倫は夫への依存心が強く、好きではあったが「もしお母さんがクラスメイトだったら、友達にはならないな」と思うくらいには気心通じるものがなかった。
その点、叔母である類とは話が合った。
歴史上の事件への仮説や小説の読解法で、意見を云い合ってきた。
類は幼い姪にマウントを取るようなことをせず、藍は年少のルサンチマンを叔母にぶつけるようなことをせず、二人はお互いに一目を置いていた。
フリーの編集者である類には映画やコンサートのチケットがよく届くので、いちばん共に行くのは藍とであった。
「無い場合は、どうしてそんな疑惑が生まれたの? と問うでしょう?」
この返しは伯母と姪の良好な関係を壊すに足るものだった。
レスポンスが早い類には珍しい間が生まれる。
「藍、どうしても知りたいならば、また質問してきて。取り返しのつかない質問してきたと思ったら、もう忘れて」
「はい、判りました。夜分遅くに失礼しました」
類は、勉強がんばってね、と月並みな言葉で話を打ち切った。
スマートフォンを通話終了にすると藍の心に様々な思惑が打ち寄せてきた。
―間違いない、類さんとお父さんは昔、男女の関係だったのだ。
そして気づいたのは、母が伯母から父を奪ったのだろうということ。
姉妹の険悪だが表に出さない努力、母の不自然さと父への依存心、それは姉への負い目からか、未だ姉に競争心を持っているのか、完全な妻・母として夫を愛し、家族を経営していくことから生まれたものたちではないのか。
―朝の暴漢の女は、自分から麻井延彦を奪った妹の娘への類さんが差し向けた刺客、か。
いや、さすがにそれはない、と藍は直ぐにその疑念を振り払った。
―まず、今の電話で動揺が一切感じられないこと、それになにより類さんがそんな卑劣なマネをすることは絶対にあり得ない。
そして藍は万が一、仮にそうであっても、自分との関係が良好なこの時期にそんな悪手を用いるメリットが一切ないことにも突き当たった。
そして、もう一つの疑問が氷解した。
弟の昭だ。
藍はスマートフォンを取り出して、ショートメールを昭に送信した。
『ちょっと、話いい?』というものだ。
既読は直ぐについたが、返信はなかった。
十分待ってもそれはなく、藍は昭の自室のドアをノックした。
ゲームのBGMの音がする。
では先のレスの速さから、イヤホンはしていないハズだ。
ドアノブを回す。
昭は大画面のディスプレイに視線を固定したまま、「なんだよ」とだけ云った。
家族とはなるたけ接点を持たぬようにする反抗的な弟だったが、部屋内はアニメのポスターが貼られ、書棚には昔二人で回し読みした長編漫画が並び、子どもの頃からのお気に入りのぬいぐるみがあって、その変わらぬ状態に藍は少しホッとした。
「ゲーム、やってんだ」
返事をする代わりに、「見りゃ、判るだろう」というふうに視線を藍に回せたのは彼がやっているのがアクションやシューティングではなく、RPGだからだ。
「一つ教えてよ、昭が私たち家族に冷たくなった理由のこと」
相変わらず昭は黙ったままだ。
「あのさ、お父さんの女性関係で、何か知ったんじゃないの?」
昭がコントローラーを床においた。
藍は続ける。
「何か、知って、苦しんでいるのじゃあないの? 私もついさっきにようやく気づいたんだ。だから一人で苦しまないでよ」
「悪くするとお父さんとお母さんは離婚するかもだよ。わざわざ話して、話をデカくすることないよ」
昭が藍を見つめた。
その行為は何年ぶりかのように感じられた。
「離婚、そんなことを気にしていたんだ。もう荷物下ろしなよ」
昭が確実に〈落ちた〉ことが手に取るように判った。
「姉ちゃんにも、あの谷口って女が訪ねてきたのかよ」
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