第136話 村の異変

 日が西に傾いてきた。

 共和国内の森の中にポツンと建つ元・貴族の別荘では、眠りから覚めた者たちが動き出している。

 西日が差し込み始める1時間ほど前に目を覚ましたチェルシーは再度の入浴を済ませ、それからショーナと共に食事をった。

 そして一階に降りるとすでにその場に集まっていた部下たちと共に今後の動きを確認し合う。


「日没と同時に出発するわよ。協力者たちの息のかかった隊商の馬車に紛れて夜明け前まで馬車移動。共和国南部のアマデ山脈のふもとで日中を過ごすわ。明日は野営になるわよ」


 チェルシーの話に不満を示す者は1人もいない。

 皆、元より露天での野営が通常運転のつもりでいるのだ。

 今日のように屋根の下で眠れることのほうが僥倖ぎょうこうだった。

 そこからシジマが話を引き継ぐ。


「今夜、パストラ村の仕掛けが動き出す予定だ。目標があぶり出されるのを確認したら、アマデ山脈に沿って共和国南部へ出る。そこからはあらかじめ決めておいたいくつかの地点で目標の奪取に取り掛かるぞ。目標の動きは流動的になるだろうが、最終的な受けあみとなるのは港町バラーディオだ。そこに船を用意してある。目標を捕らえたら、そのまま船で王国へ戻る」


 話を聞いていた一同は緊張感をただよわせて短く返事をした。

 いつ敵に見つかるかも分からない。

 目標が不測の動きをして、こちらの任務が失敗するかもしれない。

 そんな不安は尽きないが、ここにいる全員が必ずや成果を上げると強い決意を胸に秘めている。


 彼らは皆、ココノエの民だ。

 彼らの行動の成否が一族の王国内での立場を上げもするし下げもする。

 こういう緊張感こそが任務を成功させるのだとチェルシーは感じ取っていた。


「必ず成果を得るわよ。皆、協力して。王国のためだけじゃなく、ココノエの民のために」


 チェルシーの言葉に部下たちは高揚した表情でうなづく。

 その様子を背後からショーナは暗い目で見つめていた。


(自身の復讐ふくしゅうのために……とは言えないですよね)


 ショーナは胸に浮かび上がるそんな自分の内心の声をいましめるように、拳を強く握り締めるのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 パストラ村では午後から夕方にかけて村医者が忙しく走り回っていた。

 突如として村のあちこちで村民たちが発熱し、苦しみ始めているのだ。

 老いた医者1人ではとてもきれないほどの患者数であり、村のそこかしこで助けを求める声が上がる。

 そんな中、村長宅の裏手に建てられている別邸に1人の赤毛の女が飛び込んできた。


「ジリアン! やばいぞ!」


 血相を変えてそう言うのはリビーだ。

 クローディアの部下であり、現在この村に疎開中のヴァージルとウェンディーを護衛するためにこの村に滞在する熟練の女戦士だった。

 彼女が危機感をその顔に貼り付かせているその理由は、同僚のジリアンももちろん知っている。


 突如として体調をくずし始める者が村で続出しているのだ。

 ジリアンとリビーは共に口元に布を巻いている。

 村の中で伝染病が発生した危険性が疑われるからだ。


 この村に疎開するに当たり、護衛の2人にはあらかじめ伝えられていることがある。

 村が何らかの危機におちいきざしがある場合、事前にすみやかな退避をして次の疎開先に移るべし、と。

 伝染病も診断確定するまでは数日かかるが、その結果を待たず、疑われる事態に直面した時は早々に村から退避するよう厳命されていた。

 大統領イライアスとダニアの銀の女王クローディアの子女であるヴァージルとウェンディーに、万が一にも感染させるわけにはいかないからだ。


「お2人を連れて今夜のうちに出るぞ」

「おまえたちも準備を済ませておけ」


 ジリアンとリビーは側付きの小姓こしょうらにそう言うと、奥の部屋にいるヴァージルとウェンディーに状況を伝える。

 ヴァージルは事態をすぐに理解すると、ジリアンから差し出された布で口元をおおう。

 そのとなりではウェンディーがわずかに顔を上気させ、期待を込めた目をジリアンたちに向けた。


「母様たちの元へ戻れるの?」


 そう言うウェンディーにジリアンは胸が痛むのを感じながら首を横に振った。


「申し訳ございません。ウェンディー様。まだご自宅には帰れないのです。また別の場所に移動することになります」


 その言葉に幼いウェンディーは落胆の色をその顔にハッキリ浮かべて項垂うなだれた。 

 そんな妹の手をヴァージルはギュッと握る。


「ウェンディー。ジリアン達を困らせちゃ駄目だめだよ。僕たちが病気にならないようにジリアン達は考えてくれているんだから」


 そう言うとヴァージルは妹の頭をで、その口元に布を巻いてやった。

 ウェンディーは涙をこらえてうなづく。

 ジリアンはその様子に思わず目を細めた。

 ヴァージルとてまだ8歳だというのに、妹のために必死に兄としての務めを果たしているのだ。

 2人ともこの経験を経て、きっと大きく成長し、将来は立派な人物になるだろう。

 

(何としてもこの子たちを守らなければならない。クローディアのためだけじゃなく、ダニアと共和国の未来のために)


 それから兄妹とジリアン、リビー、そして小姓こしょう2人は皆で準備を済ませ、パストラ村の村長宅を訪れると、短く礼を言って馬車で村を出る。

 唐突な夜間の出発にヴァージルもウェンディーもその顔に不安をにじませるのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 パストラ村から街道を南進し数キロほど離れた街道脇の林の中で、木々の陰に身を潜めた1人の男がじっと街道を見つめていた。

 男はつい先日までパストラ村に滞在していた若き薬屋だ。

 彼が目を光らせる中、月明かりに照らされた夜の街道を走る一台の馬車が見えて来た。

 薬屋は静かに目をらし、その馬車の御者台に座っているのが大柄な赤毛の女であることを確認してほくそ笑む。


「……来たな。予定通りだ」


 薬屋はそれがパストラ村で見かけた赤毛の女だとすぐに分かった。

 馬車のほろの中はもちろん見えないが、目当ての人物らが乗っているのは間違いないだろう。

 今頃起きているであろうあの村の惨状から、護衛である赤毛の女だけが逃げ出すことは考えられない。


 そのために薬屋は村で微量の毒物をいて、村人たちが体調不良におちいるように仕向けたのだから。

 招待された民家の食事に、村の井戸に、畑に、即効性や致死ちし性の無い軽微な遅効性ちこうせい毒物をいて村人らに浸透しんとうさせていったのだ。

 後日、体調不良者が続出するように演出したのはこの薬屋だった。

 村人を信用させるための行動も、その演出をしやすくさせてくれた。


(必ずあの兄妹を連れているはずだ。あぶり出しは成功だな)


 薬屋はすぐさま移動を開始する。

 状況を依頼主に報告するために。

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