第110話 生還

「ではこのブリジットの名において、エミル捜索そうさく隊の隊長にアーシュラを任命する。捜索そうさく隊は全員、このアーシュラの指揮下に入り、その指示には必ず従うこと。プリシラ。おまえもだぞ」


 ブリジットの言葉に娘のプリシラは背すじを伸ばした。


「はい。必ず」


 他の面々も同様に姿勢を正してこれに返答した。

 だがネルは相変わらず不機嫌な顔であり、オリアーナは下を向いたまま、エステルは笑顔こそ浮かべているもののその顔はやや強張こわばっている。

 そんな彼女ら1人1人の顔を見ながらアーシュラは手を差し出して全員と握手をし、挨拶あいさつを交わした。


 皆もちろんアーシュラのことは知っている。

 先の大戦をくぐり抜けた英雄の1人だ。

 常にクローディアのそばに控える彼女は単なる秘書官としてだけではなく、工作員として誰からも一目置かれる存在だった。

 彼女が普段過ごしている共和国首都からダニアに訪れた時など、統一ダニア軍のデイジー将軍が諸手もろてを挙げて歓迎のうたげを開くほどだ。


「皆さん。よろしく。皆で協力し合って、必ずエミル様を連れ帰りましょう」


 そう言うとアーシュラはブリジットとボルドに向き直る。


「ブリジット。ボルド様。少しだけ3人でお話をよろしいですか?」


 そう言うアーシュラにブリジットはうなづき、残りの者たちには出発の準備を整えるように告げると、ボルドと共にアーシュラを連れて宿の部屋に戻る。

 部屋に入るとアーシュラはブリジットやボルドに断ってから、部屋の中をあらためた。

 そして部屋に誰もいないことや、聞き耳を立てる穴などがないことが分かると、声を潜めて話を切り出す。


「すみません。お2人にだけはお伝えしておくようにクローディアから申し付けられておりまして」


 そう言うとアーシュラはクローディアとイライアスの夫妻が、子女であるヴァージルとウェンディーを疎開させたことを告げた。

 その話にブリジットもボルドもおどろきの表情を浮かべる。

 ヴァージルとウェンディー。

 ブリジットとボルドにとってはおいめいであり、プリシラやエミルの従兄妹いとこに当たる2人のことは、赤子の頃からは可愛がってきた。

 

「そうだったのか……あの子たちが」

「ええ。行き先は共和国領の南部地域にあるパストラ村です」


 そう言うとアーシュラはこの話は2人だけの胸の内に秘めてほしいと頼んだ。

 もちろん2人とも心得ている。

 絶対に外部にれてはいけない情報だ。

 アーシュラは神妙な面持おももちで懸念けねんを口にした。

 

「エミルがねらわれたことといい、ダニアでも要人の家族がねらわれぬよう注意すべきですね」


 アーシュラの話にブリジットは危機感をその顔ににじませる。


「心得ておこう。ウィレミナやオーレリアなど評議員たちの家庭は防犯態勢を強化しておく」

 

 それからアーシュラはブリジットとボルドにもう一度エミル誘拐ゆうかいについての経緯や、プリシラのここまでの足取りについて話を聞いた。 

 今回の事件の全体像を把握はあくしておきたいと思ったからだ。

 そして一通り話を聞き、いくつか質問をするとうなづいて立ち上がる。


「分かりました。では捜索そうさく隊の隊長として意見を申し上げます。向かうべきはまずそのエミル様がいなくなった国境の山ですね。私としては現場をこの目で見たいと思っております」 


 その話にブリジットもボルドもだまってうなづく。

 最初に向かうべきはアリアドかと思ったが、アーシュラは他者にない視点を持っている。

 同じ黒髪術者ダークネスであるボルドが現場で気付かなかったことを、アーシュラなら気付けるかもしれない。

 彼女の言葉を尊重することが、エミル救出への近道だとブリジットらも分かっているのだ。


「分かった。方法はおまえに一任する。アーシュラ。跳ねっ返りばかりの人員ぞろいで苦労をかけると思うが、じゃじゃ馬たちの手綱たづなを握れるのはおまえしかいない。プリシラにも遠慮えんりょなくやってくれ。甘ったれの娘に世の厳しさを教えてやってほしい」

「かしこまりました。少々泣かせてしまうかもしれませんが、ご容赦ようしゃ下さい」


 そう言ってニヤリと笑うアーシュラにブリジットもボルドも安堵あんどを感じる。

 このアーシュラならばあの問題児たちをまとめ上げられるような気がしてきた。


「では1時間後に出発します。お2人はダニアでエミル様の帰還をお待ち下さい」

「ああ。頼んだぞ。アーシュラ」

「お願いします。アーシュラさん」


 3人は握手を交わし合い、互いに笑顔で別れるのだった。


☆☆☆☆☆☆


 ジャスティーナは夢を見ていた。

 かつて失ったはずの娘が大きく成長し、仲間と共にふざけ合う夢だ。

 赤毛の娘は、同じくらいの年頃の金髪の娘と仲良く談笑している。

 その金髪の娘をどこかで見たことがあるような気がして、ジャスティーナはすぐに思い出した。


(そうだ……あれは……プリシラだ)


 プリシラと娘はジャスティーナの姿に気付くと、満面の笑みを浮かべて大きく手を振ってくる。

 とても……幸せな夢だった。


「プリ……シラ」


 ジャスティーナは左のこめかみに走るにぶい痛みで目を覚ます。

 彼女の目の前にはどこかの木造小屋と思しき、はりの通った天井が飛び込んできた。


「おや……目を覚ましたね。少し痛かったかい」


 その声がするほうに目を向けると、日に焼けた初老の女がこちらを見下ろしていた。

 ジャスティーナは自分が見知らぬ部屋に寝かされているのだと知り、自身の身に起きたことを思い返す。


(私は……あの谷で撃たれて……谷底に落下して……そうか。生き残ったのか)


 自分がまだ生きているのだと悟ると、ジャスティーナは内心で苦笑した。

 だが、すぐにこめかみに走る強い痛みに顔をしかめる。

 それを見た初老の女が心配そうにジャスティーナの顔をのぞき込んだ。


「すまないねぇ。新しい包帯と取り換えないといけないから、少し我慢しとくれ」


 左のこめかみはあの谷間の戦いで、敵のオニユリから銃撃を受けたところだ。

 今、自分がこうして生きているということは、幸運なことに鉛弾は頭の中までめり込まず、頭蓋ずがいの表面をけずって飛び去ったのだろう。

 自分の強運に自分でもあきれながら、あの後、仲間たちはどうなったのかジャスティーナは気をんだ。


 ジュードは、エミルは、プリシラはどうなったのか。

 身を起こそうとするジャスティーナだが、体に力が入らない。

 そんな彼女の肩に軽く手を置き、初老の女は笑った。


「無理しなさんな。血が足りていないのよ。もうすぐうちの人とあんたのお連れさんが食材を持って帰って来るから。そしたら少しでも何かお腹に食べ物を入れないとね」


 その言葉にジャスティーナはわずかにうなづいた。

 出血量の多い時は体が思うように動かないのは経験から分かっていた。


(連れ……ジュードは生きているのか)


 ホッと安堵あんどするジャスティーナに耳に、男たちに声が響いてきた。

 老人のものとおぼしきしゃがれ声と、若い男の声だ。

 それは馴染なじみの相棒の声だった。

 ジャスティーナの目に浮かぶ喜びの光を見た初老の女はニコリと微笑み、そして男たちに向けて声を張り上げた。


「おかえり。ちょっとあんたたち。ジャスティーナさんが目を覚ましたわよ」


 その声に家の中は一瞬、静まり返る。

 だがすぐに駆け足で寝室に飛び込んでくる音が騒々そうぞうしく響き渡り、寝室の入り口にジュードが姿を現した。

 その顔はおどろきと安堵あんどと歓喜が入り混じったような泣き笑いのような表情にいろどられている。


「ジャ……ジャスティーナ」


 何て顔をしているのだと言おうとしたが、声を出すのも億劫おっくうなほど疲れていたジャスティーナは、ほんのわずかに目を細めてうなづく。

 ジュードはゆっくりと彼女の横たわるベッドに近付いてその脇にしゃがみ込んだ。


「よく……生きていてくれたな」


 声を詰まらせてそう言うジュードに、ジャスティーナはほんの少しだけ口のはしり上げて笑う。

 そして何かを言おうとする。

 彼女が何を聞きたいか察したジュードは彼らしい穏やかな笑みを浮かべた。


「大丈夫だ。プリシラは生きているよ。無事に彼女の父親に引き渡した。エミルは……どうやら敵に捕まってしまったようだが、でも彼は敵にとっても大事な人質だ。絶対に命は無事だよ。今、ダニアが捜索そうさく隊を組んでいるから、きっと無事に救出されるはずさ。心配ない」


 力強くそう言うジュードにジャスティーナの表情がやわらかくゆるんだ。

 安堵あんどと疲れが一気に出たような、そんなジャスティーナの顔を見た初老の女は、満面の笑みを浮かべて立ち上がる。


「まだ目覚めたばかりで体も弱っているし、話はそのくらいにして、食事にしようかね。ご飯を食べれば元気が出る。元気が出れば体も早く良くなるって塩梅あんばいさ」


 ジャスティーナの生還を祝うような彼女の明るいその声が、部屋の雰囲気ふんいきを温かくしてくれ、皆が笑みを浮かべるのだった。

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