act 5

容赦ない真夏の日差しが照りつける8月。法廷内の冷房が効いているにも関わらず、緊張感で温度が上がっているかのようだ。証言台に立つ遺族の声に、傍聴席がしんと静まり返る。窓の外では蝉の声が喧しく、その単調な音が、法廷内の重苦しい空気をより際立たせているようだった。



裁判長は、厳かな表情で証言台を見つめていた。その目には、長年の経験から培われた冷静さと、この異例の裁判に対する緊張感が同居していた。彼は咳払いをして言った。


「これより、被害者遺族の証言を聞きます。証言者の皆様には、大変辛い経験を思い出していただくことになりますが、裁判所としては真実を明らかにするために、皆様のお話を伺う必要があります。」


裁判長の声は、威厳に満ちていながらも、遺族への配慮が感じられるものだった。彼は続けた。「まず、最初の被害者である葉山絵里奈さんのご遺族から、お話を伺います。」


傍聴席には、多くのジャーナリストや法律家、そして芸術関係者の姿が見られた。彼らは皆、この異例の裁判の行方を見守るように、真剣な表情で証言台を見つめていた。


「佐々木美穂さん、証言台にお立ちください。」裁判長の声が、静まり返った法廷内に響いた。


佐々木美穂(42歳)は、震える足取りで証言台に向かった。彼女の緊張した様子に、傍聴席から小さなざわめきが起こる。美穂は証言台に立つと、宣誓を済ませ、検察官の質問に答え始めた。


「妹の絵里奈は、看護師として都内の大学病院で働いていました。」美穂の声は、感情を抑えようとしているのが伝わってきた。「彼女は本当に優しい子で、患者さんからも同僚からも信頼されていました。特に小児科での勤務を好んでいて、子どもたちからは『絵里奈お姉さん』と慕われていました。」


美穂は一瞬言葉を詰まらせた。裁判長が静かに言った。「落ち着いてお話しください。休憩が必要であれば…」


しかし、美穂は首を振り、続けた。「あの日、絵里奈は夜勤を終えて帰宅途中でした。家族のために夜食を買って帰ろうとしていたんです。それが…最後の行動になるなんて…」


美穂の言葉に、法廷内が水を打ったように静かになる。被告人席の吉本晋也は、無表情のまま前を見つめていた。その姿は、まるで法廷という舞台の中心に立つ彫像のようだった。


検察官が静かに尋ねた。「佐々木さん、絵里奈さんがいなくなってから、ご家族はどのような日々を過ごされましたか?」


美穂は深く息を吸い、答えた。「私たちは、絵里奈が帰ってこないことに気づいてから必死で探しました。警察に届け出て、街中にポスターを貼って…両親は眠ることも食べることもままならない状態でした。私自身も仕事を休んで、毎日街を歩き回りました。」


美穂の目に涙が浮かぶ。傍聴席からはすすり泣く声が聞こえ始めた。裁判長は、静かに目を閉じ、深く息を吐いた。


「そして、見つかったのは…」美穂の声が震える。「彼女の…心臓のない遺体でした。」


法廷内に重い沈黙が落ちる。裁判長は、慎重に言葉を選びながら言った。「大変辛い経験をお話しいただき、ありがとうございます。」


検察官が、再び質問を始めた。「佐々木さん、被告人の行為について、どのようにお考えですか?」


美穂は、ゆっくりと吉本を見つめた。その目には、怒りと悲しみ、そして何か言い表せない感情が宿っていた。「私は…最初は憎しみしかありませんでした。吉本被告を、この世で最も憎むべき存在だと思っていました。」


美穂は一瞬言葉を詰まらせ、深く息を吸った。「でも、吉本被告の作品を見て…」


この言葭に、法廷内がざわめいた。裁剛長は、静粛を求める沐で掲手を上げた。


美穂は続けた。「妹の心臓が、あの作品の一部になっていると思うと…複雑な気持ちになります。絵里奈は誰かの命を救うことを夢見ていました。彼女の心臓が、こんな形で『芸術』になるなんて…」


美穂は言葉を詰まらせ、涙を流した。「私は吉本被告の行為を許すことはできません。でも、彼の作品が多くの人々に衝撃を与え、生命の尊さについて考えさせているのも事実です。絵里奈の死が、何か意味のあるものになれば…」


法廷内が騒然となる。裁判長が厳しい口調で静粛を求めた。


「最後に一つ、お聞きしたいことがあります。」美穂は、決意を固めたような表情で言った。「吉本被告に、なぜ妹を選んだのか、その理由を聞きたいです。そして、彼女の心臓を使って、どんな『メッセージ』を伝えようとしたのか…それを知りたいのです。」


美穂の証言が終わると、法廷内は重い沈黙に包まれた。裁判官たちは厳しい表情で吉本を見つめ、傍聴席の人々は複雑な表情を浮かべていた。


裁判長は、深いため息をついてから言った。「佐々木さん、大変貴重なお証言をありがとうございました。」そして、彼は被告人席に向かって言った。「被告人、遺族の方のお話を聞いて、何か言葉はありますか?」


吉本は静かに立ち上がった。法廷内の緊張が一気に高まる。


「私には謝罪の言葉はありません。」吉本の声は冷静で、感情を感じさせなかった。「私の行為は、芸術表現の究極の形です。葉山絵里奈さんの生命は、永遠の芸術作品となって存在し続けます。それこそが、最大の敬意であり、彼女の魂の永遠の生き方なのです。」


法廷内は、吉本の言葉に絶句したかのように静まり返った。美穂の表情には、怒りと悲しみ、そして言いようのない複雑さが浮かんでいた。


裁判長は、厳しい表情で吉本を見つめ、そして静かに言った。「被告人の発言を記録に留めます。」


次に証言台に立ったのは、久我哲也の妻である久我さやか(40歳)だった。さやかは、凛とした態度で証言台に立った。


裁判長が言った。「久我さん、宣誓をお願いします。」


さやかは右手を挙げ、宣誓を行った。その姿に、法廷内の緊張が再び高まる。


検察官が質問を始めた。「久我さん、ご主人についてお聞かせください。」


さやかは、感情を抑えながら答え始めた。「私の夫は、IT企業の役員でした。仕事一筋の人間でしたが、最近になってようやく家族との時間を大切にしようとしていました。」さやかの声には、悔しさと怒りが滲んでいた。「あの日も、朝食を一緒に取る約束をしていたんです。」


さやかは吉本を見つめ、声を震わせながら続けた。「なぜ、やっと家族との時間を持とうとしていた夫を…なぜ彼の人生を奪ったのですか?」


裁判長が静かに言った。「久我さん、被告人に直接質問することは控えてください。検察官の質問にお答えください。」


検察官が再び質問した。「久我さん、ご主人を失ってからの生活について、お聞かせいただけますか?」


さやかは深く息を吸い、答えた。「夫の死後、私たち家族の生活は一変しました。子どもたちは父親を失い、特に長男は不登校になってしまいました。私自身も、突然一家の大黒柱を失い、経済的にも精神的にも大変な苦労を強いられています。」


法廷内に、同情の念を示すようなざわめきが広がる。


検察官が静かに尋ねた。「久我さん、被告人の芸術活動について、どのようにお考えですか?」


さやかは一瞬目を閉じ、深呼吸をした。「正直に申し上げますと、私には理解できません。人の命を奪って作った『芸術』なんて、認められるはずがありません。」


しかし、さやかは続けた。「ただ…夫の同僚から聞いた話があります。夫は、吉本被告の過去の作品を高く評価していたそうです。『技術と芸術の融合』だと。」


法廷内がざわめく。裁判長が静粛を求めた。


さやかは涙を浮かべながら言った。「夫が評価していた芸術家に殺されるなんて…何という皮肉でしょうか。私には、この状況を受け入れることはできません。でも、夫の魂は、きっとこの状況を『興味深い』と言うかもしれません。」


さやかの言葉に、法廷内の空気が凍りついた。彼女の複雑な心境が、全ての人の胸に重くのしかかる。


裁判長は、深い思索の色を浮かべながら言った。「久我さん、貴重なお証言ありがとうございました。」


最後に証言台に立ったのは、若き芸術家だった青木瑠璃の父親、青木正人(58歳)だった。正人は、悲しみに打ちひしがれた様子で証言を始めた。


裁判長が言った。「青木さん、お気持ちはお察しいたしますが、できる限り冷静にお話しください。」


正人は頷き、宣誓を済ませてから話し始めた。


「瑠璃は…才能あふれる娘でした。彼女の絵は、人々の心を動かす力がありました。」正人の声は、娘への愛情と誇りに満ちていた。「彼女は、芸術の力で世界を少しでも良くしたいと、いつも言っていました。」


正人は、吉本を見つめた。その目には、怒りよりも深い悲しみが宿っていた。


「吉本被告。あなたは、娘の命を奪いました。しかし、それだけではありません。あなたは、彼女が世界にもたらそうとしていた美しさも奪ったのです。」


検察官が尋ねた。「青木さん、被告人の作品について、どのようにお考えですか?」


正人は長い沈黙の後、静かに答えた。「私は…吉本被告の作品を見ました。美術評論家として、その芸術性を否定することはできません。」


法廷内がざわめく。裁判長が再び静粛を求めた。


正人は続けた。「しかし、その芸術性を認めることと、彼の行為を許すことは別問題です。芸術は、生命を称えるものであって、奪うものであってはならない。それが、芸術家としての私の信念です。」


正人は涙を流しながら、最後にこう言った。「娘の死が、芸術と倫理の関係について、社会に問いを投げかけるきっかけになったのかもしれません。でも、その代償はあまりにも大きすぎる。私は…ただ娘に、もう一度会いたいのです。」


正人の言葉が、法廷内に重く響く。裁判官たちは、厳しい表情の中にも深い思索の色を浮かべていた。


裁判長は、青木正人の証言が終わった後、深いため息をついてから言った。「青木さん、貴重なお証言ありがとうございました。芸術家としての視点からのお話は、この裁判に新たな視点を提供してくれました。」


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