第15話

 ベロニカもケニーも一通り装備は整った。

 あとは、回復薬やロープ、寝袋などが必要になる。

 一応1人だけになってしまった時でもどうにかなるように、ベロニカにもある程度のものは持たせておきたい。しかし、あまり多くの物を持たせても、すぐに取り出せなくなるだろう。

 お金だけはあるのだ。ここは金に物を言わせることにする。

 ベロニカの持って来ているポーチは上位の収納魔法付き。重さを感じることもないとはいえ、あれこれ欲張って持って行っても仕方がない。

 携帯食料は2日分、水はボトル1本。それから、普通の冒険者では手を出すことが出来ない湧水を浄化するための魔石。体力回復用のポーションを2本と解毒薬、簡単な傷の手当をするための軟膏と包帯。

 地図はどうしようかと悩んではみたが、それよりも指定した地点を真っ直ぐに指すコンパス――これまた高級品なので、一般庶民は手にすることのできないものだ――を購入する。これで宿を指定しておけば、森の中で迷っても帰って来られるだろう。

 火起こし道具も、確実に火をつけられる魔石を用意する。それから小さなランタンと簡易テントに寝袋。かなりの量にはなったけれど、全部ポーチに収納することが出来た。

 ポーションや傷薬だけは、太腿に装着するポーチを別途購入して、すぐに装着させる。案の定「冒険者っぽいわ!」とベロニカには好評だった。

 ――ぽい、じゃなくて本当に冒険者になったって自覚はあるのか? このお嬢様。

 まだお遊び半分に見えるベロニカにケニーは不安になる。このままでは、大怪我をしかねない。そんなことになったら……

 ――俺、クビどころじゃ済まない。

 それは大問題だった。

 金庫の中で使うジュエリーボックスも購入し、一度宿に戻る。今日はテントや寝袋は必要ないから、余計な荷物は部屋に置いていく。簡単に早めのお昼を食べた2人は、さっそく依頼人の元へ向かった。


「ああ! あなたたちが依頼を受けてくださったんですね!」


 ありがとうございます! と両手を祈るように組んで感謝を伝えてくる依頼人のマリアを前に、ベロニカは必死に表情を作っていた。

 ベロニカは、その名前や書かれている文字から、依頼人を若い娘の薬師だと思い込んでいたのだ。まさか、ころんと丸っこい体型の男とは思っていなかった。目の前で嬉しそうにしている依頼人は、小柄で小太り、愛嬌のある顔立ちではあるが、どこから見ても男だった。


「マリア、さん?」

「はい! カルロ・マリア・メンガッチです。薬師をしてます」


 まあ、嘘を吐かれたわけではない。ベロニカが勝手に女性だと、仲良くなれるかもしれないと妄想しただけだ。意気消沈した様子を見せるわけにもいかないので、彼女は笑顔を作り続ける。


「では、この袋3つがいっぱいになるくらいの量の薬草を摘んできてください」

「袋、3つ……」


 カルロ・マリアが差し出してきたのはかなり大きな袋だった。ベロニカが予想していたよりもずっと大きい。これがいっぱいになるまで摘んだら、両腕で抱えなくてはいけなくなるだろう。

 ――全部想定外!!

 しかし、そう思っていたのはベロニカだけで、ケニーは当然のような顔で袋を受け取ってポーチにいれる。


「5日以内だったな」

「はじめてなんですよね? どうしても見つからなかったら、2袋でも良いですよ」


 ギルドから初心者のベロニカが依頼を受けたという連絡がいっていたようで、カルロ・マリアはちょっとだけ心配そうな顔になった。


「どこに群生地があるかとかも知らないですよね? 見つけるまでに苦労するかもしれないですし、それに」

「いや、いくら彼女にとってははじめてのクエストだって言っても、そこ甘やかさないでいい。俺は経験者だから」

「あ、そうなんですか? でも無理はしないでくださいね」


 彼は今年ここで店を構えたばかりらしく、ケニーのことを知らないようだった。

 店を出て少し行ったところで振り返れば、店頭に出てきていたカルロ・マリアが手を振っている。


「じゃあ、行ってきます!」


 大きく手を振ったベロニカに驚いた顔をしつつも笑顔を返してくれた依頼人に「むふ」と笑って、弾むような足取りで町の外に出る門を目指す。他にもクエストに出掛けるのだろうパーティが何組も同じ方向に向かっている。

 私も冒険者の仲間入り、と顔に貼り付けているベロニカの服を引っ張ったケニーは、道の脇に逸れる。 


「なに? 忘れ物?」

「じゃなくて。いくら採取だけでも、そんなに浮かれてたら危険だ。少し、気を引き締めて」

「大丈夫よ」


 大丈夫じゃないから言ってるんだ、とケニーは大きく息を吐く。


「このままだと、薬草を摘む時に自分の指まで切りそうだし、注意力散漫になっていると万が一モンスターに狙われた時にも――」

「だって、ケニーがいるじゃない」

「……いや、いるけども。」

「じゃあ、大丈夫よ」


 この自分に対する絶対的な信頼度が、嬉しくもあるし、不安でもある。

 ――もし、なにかがあって俺とはぐれてしまったら、お嬢様はどうするつもりなんだろう。

 まるでそういう事態を想定していないだろうベロニカに、いつか危険のない範囲で『そういう事態』を起こして危機感を抱かせねばいけない、と心に決めるケニーだった。

 

 町を出て、すぐ近くにある森に向かう。森の奥にはダンジョンがあるようで、切り開かれた道を別パーティが歩いていく。森に入って少し行ったところで、ケニーは「こっち」と藪の中を指した。


「記憶違いじゃなかったら、こっちの奥に群生地があったはず」

「そんなに近い所にあるの?」


 少々不満げなベロニカにまた溜息を吐いたケニーは藪に突っ込んでいく。待って、と慌ててついてくる彼女の気配を背中に感じながら藪をかきわけて進む。

 足元には、常に湿っているのだろう土と落ち葉。それらを踏みしめながら、ケニーとベロニカは奥へと入っていく。

 背の高い木々が天に向かって伸び、わずかな光だけが葉の隙間から射し込み、足元で揺れる。薄暗い中、時折、鳥の囀りと風に揺れる葉の音が響く。その度にビクッと小さく肩を揺らせるベロニカが、ケニーの上着の裾を掴んでくる。


「どうしました?」

「な……っ、なんでもないわよ。別に怖いわけじゃなくて、怖くなくて、じゃなくて、はぐれたらいけないって思って」


 明らかな言い訳口調。口元が歪んだ笑みを作るのを自覚しながら、ケニーは小首を傾げる。


「はぐれた時には、さっき買ったコンパスの示す方向に歩いていけば、宿に戻れますよ」

「そういう問題じゃないでしょ」


 初めてのクエストだし失敗したくないし、と口を尖らせたベロニカは、バサバサバサッと鳥が飛び立った音で身体を小さく丸めた。


「仕方ないですね」


 ケニーは手を差し出す。


「繋ぎますか?」

「……うん」


 子供扱いしないで! と返ってくるかと思いきや、素直に手を握り返されたケニーは黙り込む。知ってはいたが、自分よりも小さくて華奢で、なんの苦労もしていない柔らかい手。こうなると、どの程度の力で握り返して良いのか迷う。


「ケニー? どうしたの?」


 黙ってしまい、その上、手を握り返してこない彼の様子を不審に思ったベロニカが尋ねてくる。


「……子供じゃないんですから、素直に繋いで来ないでくださいよ」

「っ!! じゃあ良いわよっ! なによ自分から手を出してきたくせにっ」


 振り払われそうになる手を、ケニーは強く握り返した。その瞬間、彼の唇には挑発的な笑みが浮かび、彼女の反応を楽しむかのように目を細めてみせた。


「ええ、どうですね。差し出したのは俺です」


 低く響いた、少し意地悪な声に、ベロニカは一瞬ムッとした表情を見せた。眉がわずかに寄り、鋭い視線が向けられる。けれど、ケニーは全く気にする素振りも見せずに、そのままの表情で彼女を見つめ返した。


「そういう、感情を隠しきれないところ、本当に昔から変わりませんね」

「家族以外の前ではしないわよ」

「……家族」


 ふっ、とケニーの口元が緩む。

 しかし、その表情をからかわれていると受け取ったベロニカはぐっと奥歯を噛み締め、手を振りほどこうとする。が、ケニーがその手を放すことはない。


「なんなのよ」

「このまま放したら、怒りに任せて突っ走ったお嬢様が本当に迷子になりそうなので」


 にこりとわざとらしい取り繕った笑みを浮かべるケニーに、ベロニカは「はぁ?!」と素っ頓狂な声を出した。


「そんなことしな――」

「だから、放しません、絶対」


 こっちです、と再び歩き出したケニーは、なんだかんだ彼女を一番甘やかしているのは自分なんじゃないか? と苦笑いを浮かべた。

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