第8話 揺れる輪郭

夜の静けさの中、美咲は父の遺品を整理していた。

書斎の奥に積まれていた古びたダンボールのひとつを開けると、黒い革表紙のノートが出てくる。表紙には何も書かれていないが、中にはびっしりと手書きのメモと資料のコピーが挟まれていた。


ページをめくると、ある言葉が何度も強調されていた。


――「紅月開発」――


美咲は思わず声に出していた。

それは、母が生前に追っていた闇経済ネットワークの中で、繰り返し登場していた企業名だった。


「……やっぱり、父さんも気づいてたんだ」


混乱しながらも、美咲はノートを抱えて警視庁へ向かった。


捜査一課の仮設会議室。

翔太と玲奈が、夜勤明けにもかかわらず美咲に呼び出されて集まっていた。


「これ……父の書斎で見つけたの。たぶん誰にも言わずに残してたもの」


玲奈がノートを受け取り、ページをめくっていくうちに、その表情が硬くなっていく。

「これは……すごい。紅月開発が絡んでる政治献金の記録、資金洗浄の経路、そして……これ」


翔太が指差した図表には、複数の警察内部の名前が記載されていた。

「これ、やばくないか……警察内部の名前がある。明らかに内部情報を紅月に流してる誰かがいるってことじゃ……」


玲奈が一度息を整え、美咲を見つめた。「あんたの父親、本当にギリギリまで追ってたんだね……ここに“氷室”って名前がある」


「氷室さん……?」


「公安の協力者。もと会計課の刑事で、今は庁内記録管理にいる。数年前から紅月開発に不審な動きがあるって、独自に記録を残してたの」


美咲が立ち上がった。「今すぐ会いに行ける?」


玲奈はわずかに首を振る。「実は最近、姿を見ていない。連絡もつかないの」


「まさか……」


翔太が口を挟む。「いや、偶然とは思えないな。俺、この前経済班のアクセスログ見てたんだけど、氷室ってアカウントで変な時間に“紅月関連”の記録にアクセスがあった。でも、その後アクセス履歴がごっそり消されてて……」


玲奈がふっと目を伏せる。「氷室さん、自分に何か起こるのを予測して、誰かに託したのかもしれない。その“誰か”が……美咲の父だった」


沈黙が落ちる。


翔太が冗談めかして言った。「こうなったら、俺らで地道に調べていくしかないっしょ。課長には……うまく報告しておいて」


その一言に、玲奈がわずかに眉をひそめた。「そういえば、一課長……紅月の話には一言も触れてこない」


美咲も思い返す。「父が亡くなったときは、一番に来てくれたのに……最近、距離を感じる」


玲奈が低くつぶやく。「気になるわね。誰が味方で、誰がそうじゃないのか……この輪郭が揺れ始めてる」


そして、翔太が小さく言った。「俺、ちょっとだけ当たってみるよ。紅月開発の土地取引の件……どうにも引っかかってたから」


それぞれが、交錯する疑念を抱えたまま、動き始めていた。

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