第35話、レジェ
ジリルは薄目を開けて、しっかりと玲喜を見ている。
「玲喜、来たら……ダメだ……」
ジリルの目の良さは霊体を捉える能力なのだと初めて知る。
以前に入れ替わっていたのを考えると、マギルもまた同じなのだろう。
玲喜は何も出来ない己が歯痒くて唇を噛み締める。
何とか魔力だけは使えないだろうかと試してみたが、肉体に入っていたように上手くはいかなかった。
「……、逃げて」
ジリルの目が虚になり、やがて閉じていく。
「いやだ! お前らを置いて逃げたくない! リン、何で? どうやったら魔力を使えるようになる⁉︎」
レジェの手から何とかゼリゼとジリルを解放させようと、リンが体を捻ってレジェの足を払うように仕掛ける。
動きは読まれていて簡単に避けられてしまった。
「玲喜っ、おれの体に入れ! それならたぶんいける!」
「入るって……」
「ジリルとおれは昔っから妙な能力があるんだよ。前にやって見せたのもその力だ。ジリルは目、おれは肉体だ。普段はジリルとしか体の入れ替わりをしてないが、今はとにかく時間がない! おれの体の向きに合わせて……っ、自分の体を重ねてみろ。おれの体に入れる筈だ!」
マギルの言う通りにすると、体が吸い込まれるような気がした。
唐突に全身に酷い痛みが走り、顔を顰める。
どうしてこんな酷い状態でマギルが普通に会話出来ていたのか、玲喜には不思議なくらいだった。
背骨や肩甲骨は所々が砕けていて、大腿骨も折れているだろう。左肩も右手首も脱臼していそうだ。
魔力が体内に巡るのを感じて、玲喜が即座に二種の治癒魔法を施す。
マギルがこうなら、ゼリゼとジリルも似たような状態の筈だ。
玲喜は体が完治するなり、勢いよく立ち上がった。
視線の高さが普段と全く違う。動かし難い体を持ち上げて、玲喜はゼリゼとジリルに向けて防御壁を飛ばして、浮遊魔法と数種類の治癒魔法もかけた。
「ごほっ、ごほ!」
咳き込みながら二人が床の位置で浮いている。見る間に傷が癒えていき、二人は目を開けた。
「お前ら、もしかして
慌てたようにリンが叫んだ。
巫覡とはシャーマンや巫女のような存在で、その身に神や精霊を落として情報を視て知り又は他者に伝えることが出来る。
「何それ。よく……っ、分からない~。皇后の血だとは言われたけど、僕たちは産みの親になんて会った事ないんだよ。皇后は写真でしか見てないし、王は元々式典とかで遠目にしか会えない。興味もないから態々謁見もしていない……っ、よ」
ジリルの言葉に、リンが何事かを思案するように眉根を寄せる。
「王と会っていない……まさか?」
玲喜はゼリゼに駆け寄るとその首に両腕を回して抱きついた。
微かにゼリゼの体が強張る。見た目はマギルなのだから仕方がないが。
「玲喜、なのか?」
「うん。そうだよ。ゼリゼ……間に合って良かった。今オレの体に入っているのはレジェっていうらしい。オレの双子の兄だと、そこにいるリンが教えてくれた。アイツの魂はずっとオレの中で眠ってた。そのオレが、体から弾き出されたからレジェが出てきてる。さっき聞いたばかりだから、上手く説明は出来ない……。ごめん」
玲喜は改めて、元自分の体と対峙した。
正面から自分の体を全体的に眺めるのは鏡を見ているようで妙な気分になるが、自分にはこんな表情も出来たのかと複雑な気分だ。
全てを見下し、高圧的で、闇しか孕んでいない赤い瞳がゆるりと細められて、口端が歪に持ち上げられていた。
「まさかとは思うがレキ、お前兄であるこのワタシを吸収出来るとでも思っているのか?」
聴覚を揺るがす声も自分の声とは、どこか違って聞こえる。
レジェは徐に腕を動かし、鎖骨の上……ちょうど短刀が刺さった場所を、自らの手刀で切り裂いて見せた。
「お前……何して……?」
「ここはワタシの魂が押し留められていた場所だ。何があると思う?」
声を押し殺して、音のない笑いを溢している。
「は?」
意味が分からず玲喜が凝視すると、レジェは中から何かを取り出して玲喜に掲げて見せた。
それは行方不明になっていたセレナの装飾品、アクアマリンの指輪だった。
短刀が刺さった時に破損したのか、半分程欠けてはいるが間違いない。
「セレナの指輪が、どうしてオレの中に……?」
通りで無い筈だ。ずっと自分の体の一部となっていたのだから無くて当然だった。
リンが言っていた言葉を思い出す。セレナが玲喜の魂の露出量を増やした方法として、アクアマリンを使っていたのだと。
——指輪を使っていたのか!
第五のチャクラと呼ばれるその場所は、本来は玲喜の魂が宿る場所だった。
そこを破壊される事は玲喜の死を意味する。
そして今の様にレジェの魂が出てきてしまう。セレナはレジェが出て来れないようにする為に、十歳だった玲喜の体にアクアマリンをもってして、玲喜の魂の裏側にレジェを閉じ込めて封じた。
アクアマリンにも魂に安らぎを与えて鎮め、また持つ者の生命力を蘇らせる特徴がある。
それを利用し、セレナは自らの命も代償に上乗せする事で玲喜の魂と体を生かした。
「セレナがお前にやった本当の形見だ。もう一つ言ってやれば、これがないとワタシは封じられない」
目の前で握りつぶされて、砕け散ったアクアマリンが床に落ちていく。まるでスローモーションのように感じた。
日を反射する水面みたいに光が明滅して床に散る。
「残念ね。レジェこそ、この帝国の本当の王よ」
急に知らない女の声が聞こえ、視線を向ける。
だが声音とは違い、そこには王冠を被った大柄な男が立っていた。
「王が、何故ここに……」
ゼリゼとジリルが呟く。
普段は王のいる王宮と皇子のいる城は分け隔てられていて、謁見ともなれば先に王宮に許しの手続きを取らなければならない手筈になっている。
その逆も然りで、こうして気軽に足を運べなければ、何の手順もなく来れはしない。しかしこうして赴いている。
「違う! こいつは王じゃない、レターナよ! いつから王になりすましていた?」
「何だと⁉︎」
叫んだリンを見て、レジェ以外の全員が愕然としていた。
生まれてこのかた実際この距離で会った試しなどないのだから知らなかったのもわけない。
しかし、ラルは昔はそうでもなかったと言っていたから、恐らくはそのタイミングで入れ替わっていたのだろう。
初めて近くで見るその姿が崩れていき、黒髪の女へと変わっていく。
警備隊たちを昏倒させ、銀色の短刀を渡した女と同一人物だ。
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