第3話  大井夫人と早良親王の怨霊伝説

#### 場所:甲斐国・躑躅ヶ崎館、大永年間(1521年頃)


甲斐の守護である武田信虎の妻、大井夫人は、当時の甲斐で有力な国衆大井氏の娘として、教養と知識を備えた女性であった。彼女は信玄(幼名:太郎)の母として、その育成に力を注ぎ、時には信虎の激しい性格に立ち向かいながらも、家を守り続けていた。


ある晩、夫人は躑躅ヶ崎館の一室で、信玄の幼少期の教育に必要な古書や仏教経典を読んでいた。彼女の脇には、信仰深い一面がうかがえるように、仏像や香炉が慎ましく飾られていた。秋風が静かに吹き込む中、大井夫人はふと手に取った書物の中に、ある一つの伝説を見つけた。


**大井夫人**(自言自語):「早良親王…あの方の名を聞いたことはある。怨霊として語り継がれた皇族…。」


夫人が読んでいたのは、奈良時代に桓武天皇の弟であった早良親王の怨霊伝説についての記述だった。早良親王は無実の罪で幽閉され、流罪の途中に命を落とした。その後、都には災いが相次ぎ、彼の死を悼む人々の間では、親王の怨霊が天皇家に不運をもたらしたと信じられていた。


**大井夫人**(静かに本を閉じながら):「無念の死を遂げた者が、後に祟りをもたらす…古来より、数多の例があるとはいえ、この話は特に悲しいものだわ。」


彼女の声には、ただの伝説に対する興味以上のものがあった。夫人は幼い信玄を抱えながら、常に戦国時代の荒波の中で、武田家の存続を守らなければならないというプレッシャーを感じていた。信虎の強権的な支配の影響で、周囲に敵を作りがちな彼の行動に、夫人は不安を募らせていた。


**大井夫人**(独り言):「この戦乱の世でも、多くの者が理不尽な運命に翻弄されている…。早良親王のように、無念を抱えた者の怨霊が災いをもたらすことがないよう、私はこの家を守らなければならない。」


夫人は早良親王の伝説を通して、現世と死後の世界との繋がり、そして怨霊が持つ力の強さを深く感じていた。彼女にとって、武田家の未来を担う幼い息子、太郎の成長にはただ戦術や学問だけでなく、精神的な強さと信仰が重要だと確信していた。


その夜、大井夫人は太郎の寝室に向かい、幼い息子の寝顔を見つめながら祈った。


**大井夫人**(心の中で):「太郎よ、あなたはきっとこの家を、そしてこの甲斐の国を守り抜く存在となる。どうか、どんな困難な運命にあっても、心を強く持ちなさい。そして、怨霊があなたの道を妨げることのないよう、私が全力で守りましょう。」


こうして、大井夫人は早良親王の怨霊伝説を心に刻みながら、信玄の成長を見守り、武田家を守るために尽力していくのだった。


怨霊の話は、彼女にとって単なる昔の物語ではなく、激動の戦国時代を生き抜くための教訓であり、武田家の未来を見据える指針の一つとなった。


 ### 場所:甲斐国・躑躅ヶ崎館、大永年間(1521年頃)


秋の夜が深まる中、大井夫人は信玄の寝室を見守りながら、思索にふけっていた。彼女の心には、早良親王の怨霊伝説が強く響いていた。武田家が直面する困難や、信虎の厳しい性格が家族に及ぼす影響を考えると、彼女の思いは一層深まった。


### ある晩の静かな会話


**大井夫人**(そっと信玄を見つめながら):「太郎、あなたにはこの国を背負う大きな運命が待っている。でも、どんな状況でも心を強く持ってほしい。」


その時、信虎が部屋に入ってきた。彼は剣を手にしており、その姿は戦に備える武士そのものだった。


**信虎**:「何を考えている?太郎が寝ている間に何か不安でも感じているのか?」


大井夫人は、夫の厳しい視線に少し緊張したが、信玄を守るために毅然とした態度を崩さなかった。


**大井夫人**:「いえ、ただ未来のことを考えていただけです。この国を守るために、あなたも戦を続けなければなりませんから。」


信虎はその言葉に一瞬驚いたが、すぐに理解した。彼女は自分の強い意志を持っていた。


**信虎**:「私の強さが必要なのはわかっている。しかし、この戦乱の世では、家族が一番大切だ。お前も太郎も、私の守るべき者だ。」


**大井夫人**:「はい、私もこの家を守るために尽力します。しかし、心の強さが必要です。怨霊の話を思い出すと、無念を抱える者がどれほど多いか…私たちも、その影響を受けることがあるのではないかと心配です。」


### 不安と決意


信虎は一瞬、考え込んだ。大井夫人の言葉には、彼女自身の不安がにじんでいるように感じた。


**信虎**:「怨霊は恐ろしい存在だ。しかし、私が強くあれば、そんなものは退けられる。私たちの運命を自分の手で切り拓くのだ。」


大井夫人はその言葉に胸が熱くなった。


**大井夫人**:「あなたの言葉に力をもらいます。私も太郎を育てる中で、彼が怨霊の影に怯えないように教えていきます。」


信虎は彼女の決意を見て、心を和らげた。


**信虎**:「共に戦おう。私たちの力を合わせれば、武田家はどんな困難にも立ち向かえるはずだ。」


### 夜の祈り


その夜、大井夫人は再び信玄の寝室に向かい、祈りを捧げた。彼女は早良親王の怨霊伝説を思い出しながら、子供が無事に成長できるよう願った。


**大井夫人**(心の中で):「どうか、私たちを見守り、力を与えてください。怨霊の影がこの家に及ぶことがないように、私が守ります。」


大井夫人は、信玄の未来に希望を抱き、家族を守るための決意を新たにした。武田家の存続は、彼女の手にかかっていることを痛感していた。


このようにして、大井夫人は信虎と共に、武田家の未来を見据え、戦乱の世を生き抜くために力を合わせることを誓ったのであった。彼女の心には、早良親王の怨霊伝説が新たな教訓として刻まれ、家族を守るための指針となった。

 ### 場所:甲斐国・躑躅ヶ崎館、大永年間(1521年頃)


その後の日々、大井夫人は信玄の成長を見守る傍ら、武田家の運命を思い煩っていた。信虎は日々戦に明け暮れ、家の安寧を守るために多くの決断を下していたが、その影響で周囲の国衆との緊張も高まっていた。


### 信虎の決断


ある日、信虎は重要な軍議を開くことを決意した。彼は自らの支配を強化するため、大井氏との同盟を深める必要があると考えていた。しかし、その会議の準備を進める中で、彼は周囲からの反発を覚悟しなければならなかった。


**信虎**(席に着くと):「皆の者、これからの戦の行く末は私たちの決断にかかっている。大井氏との同盟を結ぶことで、我が家の基盤をさらに強固にする。」


参加者たちの中には懐疑的な表情を見せる者もいた。


**国衆の一人**:「大井氏は強大ではあるが、今後の状況によっては裏切る可能性もある。慎重に行動すべきです。」


信虎はその言葉に怒りを覚えたが、冷静さを保つ努力をした。


**信虎**:「恐れを抱く必要はない。私たちの意志を示すことが重要だ。信頼関係を築き、力を合わせれば、怨霊の影など恐れるに足りない。」


### 大井夫人の思い


一方、大井夫人は信虎の会議が進む中で、家族の将来に対する不安を強く感じていた。彼女は信玄を抱きしめながら、何とか家を守る方法を考えていた。


**大井夫人**(心の中で):「太郎よ、あなたが大きくなった時、どうかこの家が戦乱の渦に巻き込まれませんように。私たちの力で未来を切り開くのよ。」


夫人は早良親王の伝説を思い出し、過去の無念を繰り返さないために、どのように子を育てるべきかを考えていた。


### 運命の出会い


そんなある夜、大井夫人は夢の中で不思議な人物に出会った。それは曽我十郎の霊であり、彼は静かに語りかけてきた。


**曽我十郎**:「大井夫人、あなたの子、信玄は特別な運命を背負っています。彼が無念を抱える者たちの呪縛から逃れられるよう、導く必要があります。」


夫人はその言葉に驚きつつも、心に響くものを感じた。


**大井夫人**:「どうすれば良いのですか?信玄を守るために、私は何をすべきなのでしょうか?」


**曽我十郎**:「彼には心の強さと、歴史の真実を伝えることが重要です。怨霊の影を恐れるのではなく、逆にその力を理解し、受け入れることが必要です。」


### 新たな決意


目が覚めた大井夫人は、曽我十郎の言葉が頭から離れなかった。彼女は信玄を育てるための新たな決意を固めた。


**大井夫人**(信玄を見つめながら):「太郎、あなたが成長する過程で、真実を知り、強い心を持つことが大切なのです。怨霊の影に怯えず、未来を切り開く力を持ってほしい。」


これからの道のりは決して平坦ではないだろうが、大井夫人は信虎と共に、武田家を守り抜くために力を尽くすことを誓った。


このようにして、大井夫人は信玄の成長と武田家の未来を見据えながら、新たな希望を胸に秘め、戦乱の時代を生き抜いていくのだった。彼女の心には、早良親王の怨霊伝説が教訓として深く根付き、家族を守るための強い意志となっていた。

 

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